発症から復職までの苦労が今の自分を奮い立たせている──

心療内科や精神科を100軒以上訪ねたが、摂食障害は命に関わる病気なので扱えないと断られた。佐々木さんは復職したい一念で体重を38kgまで増やし、1年後の定期訓練で合格する。再びフライトに戻れた喜びは大きく、毎日楽しかったが、「また1人の生活になると食べ物を買うことができず、食べることもすごく怖いと感じてしまう。自分は本当に病気なのだと気づいたのです」。

佐々木さんは自分の力で治そうと決意し、心理カウンセラーの講座に通い始める。カウンセリングを学ぶうちに、自身がずっと心の中に抱えてきた心の傷にも気づかされたという。

「家族との関係や過去のいじめから生じる悲しさや自己肯定感の低さがありました。妹は明るくて友だちもいっぱいいるのに、私は学校でいじめられていた。母がうつ状態になることもあったので、自分はつらくても母を支えなければ、良い子でいなければと思う。ずっと親に喜んでもらうために頑張っていたので、自分の意思がなかったのでしょう」

自分はこのままCAをしていても、体も心も壊れていってしまう。生きづらさを感じていた岩切さんは人生プランを書き出し、自分が本当にやりたいことのリストをつくった。

「もっとわがままに生きていいと思い、正社員でなければとか“当たり前”に捉われない生活をしたかった。そして何より、心の病気や生きづらさを抱える人たちのために居場所をつくり、希望を与えられるような存在になりたいと思いました」

2018年に退職すると、まずは海外で働きたいという夢を果たす。フロリダのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの採用試験に受かり渡米。CAで身につけた接客やコミュニケーションの力を試したかったのだ。現地では高級レストランのサーバーとして、世界中から訪れるゲストの接客を担当。お客様満足度1位という評価を得た。

1年半働いた後、コロナ禍で帰国すると、オンラインでカウンセラーの仕事を始める。摂食障害やうつ病、対人恐怖症などに苦しむ人たちの心に寄り添ってきた。

「私自身も摂食障害を発症して、客室乗務員を降ろされた瞬間がいちばん苦しかった。そこから立ち上がり、復職するまでの苦労が自分を常に奮い立たせてくれています。カウンセリングでは、誰もが『私は頑張ってきたのに何でこんな病気になってしまったのか』と嘆き、人生を諦める気持ちを口にします。でも決して人生は終わりではなく、そこから新たな人生がスタートし、自分が脱皮するときなのだと伝えたいのです」

自身の生活も大きく変化した。CA時代に知り合った友人と結婚し、家庭を築いた。夢だった英語教室を開くことも実現する。英語を通して、子どもたちの個性や自己肯定感を育む場になればと願っている。

「摂食障害は一生抱えて生きていくもの。だからこそ、それも個性と受け止め、自分がどう生きたいかを考えていく。その先にもっと幸せなことが起きると信じ、希望を持って働き続けていきたいと思っています」

自分も病気を抱えているから、同じ苦しみを持つ人を助けたい。それが今は生きがいになっている。

撮影=松隈直樹

歌代 幸子(うたしろ・ゆきこ)
ノンフィクションライター

1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。