生まれたときから新興宗教の信者として育てられ、様々な制約を受けて苦しみながら育った“宗教2世”たち。両親が統一教会信者だった小川さゆりさんは「信仰熱心だった10代の頃、教会の活動でショッキングな体験をしてパニック発作に苦しむようになったが、親は理解してくれず脱会した。宗教による子どもへの権利侵害を訴えていきたい」という――。

※本稿は、横道誠(編)『みんなの宗教2世問題』(晶文社)の一部を再編集したものです。

外で祈る女性。
写真=iStock.com/AH86
※写真はイメージです

合同結婚式で結婚した両親のもとに生まれて

両親が統一教会の合同結婚式で結婚して、自分はそこから生まれた2世信者です。

生まれながらに「神の子」と言われて生きてきました。ですが、実際の生活にはあまりにもギャップがありました。家にはずっとお金がなく、小さい頃は特に、持ち物や衣類は人のお下がりがほとんどで、お小遣いはなく、お年玉も没収され、クリスマスプレゼント、誕生日プレゼントももらえなかったり。両親は私たち兄弟に断りなく、我が家の生活水準にしてみれば高額と思える献金を教会に繰り返ししていました。また、信仰の面ではお祈りをさせられたり、教義本を声に出して読まされたり、敬拝といって韓国式の深いお辞儀を何度もさせられたりしました。家にある祈祷室には教祖たちの写真があり、友だちも呼びづらかったです。

見た目が貧しく見えたせいで、小学校では何度もいじめに遭いました。美容室に連れて行ってもらえなかったので、父に髪を切られていて、おかっぱ頭にされていました。親は自分たちの服に興味を持ってくれませんでした。

そういう貧しさに劣等感があって、まわりの子がとてもきらきらして見えました。「あんなかわいい服もあるんだ」って。傘、鞄などを買ってもらったりしている友達を見ると、自分はみんなとぜんぜん違うんだなって、つねに劣等感を抱きながら生活していたと思います。

小学生までは「なんとなく嫌だ」という感覚

小学生の頃は、あまり物事を深く考えようとしない子でした。考えとかも未熟なんですけど、でも教会のことに関しては、やっぱりなんとなく嫌だな、教会のことってすごく面倒くさいな、ふつうの家族として過ごしてるときは楽しいけど、何でしないといけないのかなと思っていました。、ということは疑問でした。でもそれ以上考えることもなく、生まれた頃からそうだったし、うちはそれが当たり前なのかなってというぐらいの感覚でした。

韓国語は、小学校ぐらいから勉強させられ、文字を少し読めたり、一部言葉も覚えています。統一教会の教義では、韓国は文鮮明氏(メシア)が生まれた国なので、アダムの国などと言って持ち上げられ、韓国語をしゃべれるようになることや、韓国人と結婚することというのはとても名誉なことで、死んでからも良い霊界に行けるとか、そういうふうに言われたこともありました。礼拝のあとに韓国語の時間があったり、日韓家庭や韓日家庭が多いので、その人たちから韓国語講座を開いてもらったり。そうやって勉強していました。信者じゃない友だちのあいだでも、少女時代などのK-POPがはやりだしたときも、親や教会の人たちは、韓国にメシアが誕生したことなどが影響しているのだと信じて疑わない様子でした。自分もそう思っていました。