「経営の神様」から「会社を預かろう」

<strong>牛尾治朗</strong> うしお・じろう●1931年、兵庫県生まれ。53年東京大学法学部政治学科卒業、東京銀行入行。カリフォルニア大学大学院留学を経て、64年ウシオ電機を設立し社長に就任。79年会長。日本青年会議所会頭、経済同友会代表幹事、内閣府経済財政諮問会議議員、社会経済生産性本部会長などを歴任。
ウシオ電機会長 牛尾治朗 うしお・じろう●1931年、兵庫県生まれ。53年東京大学法学部政治学科卒業、東京銀行入行。カリフォルニア大学大学院留学を経て、64年ウシオ電機を設立し社長に就任。79年会長。日本青年会議所会頭、経済同友会代表幹事、内閣府経済財政諮問会議議員、社会経済生産性本部会長などを歴任。

1979年正月、新年行事がひと区切りついたところで、兵庫県西宮市へ向かう。松下幸之助さんに会うためだ。数日前に、電話をもらっていた。用件は、3カ月後に迫った東京都知事選への立候補問題だった。

前年夏、新自由クラブの河野洋平党首が「牛尾擁立」をぶち上げた。すぐに否定したが、永田町ではずっと話がくすぶっていた。クリスマスイブの日、大平正芳首相(自民党)から、東京・世田谷の自宅で催す忘年会に誘われた。気の合う学者や演出家らだけだと聞いて、参加する。ところが、盃を交していると、大平さんが、切り出した。「牛尾君、都知事になる気はありませんか?」

革新都政を掲げた美濃部亮吉知事が四選不出馬を表明し、自民党は都政奪還の好機として候補者選びに入り、何人かの名が上がっていた。だが、自民党を飛び出した新自由クラブの面々が推す候補への同調には、党内に抵抗感がある。それなのに、党の総裁でもある大平さんからの打診だ。その場でいきなり断ったのでは、失礼になる。年が明けたところで改めて話し合うことにしたが、もちろん、その気はなかった。

ところが、新年にかけて、いくつかの新聞が「自民党、都知事選候補に牛尾氏」と報じた。どこかから、話が洩れたらしい。大平さんから電話が入り、党内の抵抗感は根強いと言う。幸之助さんは、そうした動きを耳にして、電話をくれたようだ。会うと、ウシオ電機の社員数などを尋ねてきた。答えると、「もし出馬するなら、知事在任中は、自分がウシオ電機を預かりましょう」と言ってくれた。予想もしない言葉に、胸が詰まる。ただ、詳しい経緯を説明すると、「首相から『ぜひ出てほしい』とまで言われていないのなら、やめておきなはれ」と言い直された。そのひと言で、心が固まる。

政治志向の始まりは、60年代に遡る。若手経営者が集まる日本青年会議所(JC)の役員だったとき、海部俊樹、小渕恵三、橋本龍太郎の各氏ら若手政治家を招き、意見を交換した。JCに政治問題の委員会をつくり、委員長となって政治セミナーを開き、大平さん、宮沢喜一、松野頼三、田中角栄の各氏に議論を戦わせてももらう。大平さんとはそれ以来の縁で、尊敬する政治家だ。ただ、政策論議の活性化や政府への提言には力を尽くすが、政治家になる気持ちはない。そのことを、47歳のこのとき、自分でも確認した。

幸之助さんとの縁は、その後も続く。まず、都知事選の2カ月後に設立された松下政経塾の副塾長への就任。「経営の神様」は、ロッキード事件で露呈した政治の腐敗を嘆き、政策論なき政局に踊る政治家に失望し、「21世紀の日本をつくる政治家を育てる」と決意した。それに対し、「政治家の地位は自ら勝ち取るものであり、育てるなどというヤワなやり方ではだめだ」と反対する。でも、「世の中には難しいことがいっぱいあって、育てなきゃ、なかなか政治家になんてなれん。結果として、育てた中からしっかりした人が出てきますよ。だから、一緒にやってほしい。自分が塾長をするから、副塾長になってくれ」と続けた。

驚いた。年の差は大きいし、会社の規模も全く違う。それなのに、対等に扱ってくれる。しかも、反対論を言い続けていたのに、一緒にやってくれと頼む。意見の違う人間と組むことで、政経塾の幅を広げようとする。度量の広さに、感服した。

亡くなる数年前、松下新党設立の相談も受けた。政治に企業経営の手法を採り入れ、積立金の運用で財政を賄う無税国家論などを掲げる構想だ。雪の降る日に訪ねてきて、「政経塾をつくったが、政治家が育つのを待っていたら間に合わんですわ」と切り出した。1時間話し込む。結局、「新党をつくらないと間に合わないという考えには賛成です。しかし、外交と防衛の政策がきちんとしていないと、政党はつくれません」と、またも反対する。でも、その議論から「世界を考える京都座会」が生まれ、非自民政権を生んだ日本新党誕生の下敷きにもなった。

「松下も、かつてはウシオ電機のように小さな会社だったから、あなたの気持ちがよくわかり、気が合うんだ」――そう言って、企業家のあるべき姿を教えてくれたのが幸之助さんなら、官と民のあるべき関係を学んだのは土光敏夫さんからだ。