私が主張する道州制では、その傘下にある国民生活の核になる行政単位を「コミュニティ」と呼んでいるが、コミュニティは地域の行政サービスに関するすべての権限を司り、地域住民の行政手続きはすべてコミュニティが一元管理する。免許証もパスポートも保険証も、その他年金の手続きに至るまで、一つの窓口でできるのだ。現在は都道府県が行っている建築許認可も、コミュニティの窓口でできるようにする。本来、建築基準や街並みなどというのは地域の実情に合わせてコミュニティが決めるべきもので、全国一律の建築基準法で定められていること自体が驚くべき中央集権なのだ。

究極的には戸籍と住民票を一つにして、コミュニティベースの住民データベースを構築し、それを中心に行政サービスを一元化する。このデータベースは日本全国で共有されることが必要。全コミュニティの共同プロジェクトでクラウドコンピューティング(ネットワーク経由でコンピュータ処理を行う利用形態)の概念でシステム開発すれば、コミュニティの自治コストは現在の10分の1以下になるだろう。しかも、各住民と行政窓口はネットでつながっているので、家に居ながらすべての手続きが可能となる。

さらに、どんなコミュニティをつくり上げるかはコミュニティが決めるとなれば、人材育成まで責任を負うことになる。当然、各コミュニティも教育に力が入る。

民主党は選挙権の取得年齢だけでなく、成人年齢も18歳と改め、高校卒業までを義務教育とする。郷土を愛し、国を愛し、世界を愛する立派な社会人を育成しようと400のコミュニティが一斉に競争を始めたら、すごいことになる。環境や教育で競い合うことでコミュニティは磨かれていくのだ。

このように基礎自治体という概念を掘り下げるだけで、民主党がマニフェストにぶら提げた短冊のような政策の半分くらいは整理できるし、成人年齢や少年法の問題、さらには教育改革の議論にもつながってくる。

生活基盤に責任を持つコミュニティの上位概念は道州である。これは産業基盤を司り、世界から投資を呼び込んで経済を発展させ雇用を創出する。このような作業をすれば中央集権という対立概念もハッキリするので、何を削って何を残すか、選択と集中に迷いがなくなるのだ。

(小川 剛=構成 若杉憲司・市来朋久=撮影)