韓国で生涯を閉じた方子妃の誠心誠意

戦時中、日本の士官学校で教育を受けた半島出身者の多くの将校らも日本軍と共に勇敢に戦いました。戦後、彼らの多くが韓国で、軍の要職に就きました。朴正熙(パク・チョンヒ)大統領などはその代表です。

1947年、日本国憲法が施行されると王公族制度が廃止され、李垠殿下は李王の位を喪失し、一介の在日韓国人となります。李垠夫妻は帰国を大韓民国に申請します。方子妃は夫に従って、韓国へ渡る覚悟でした。しかし、当時の李承晩(イ・スンマン)大統領が王政復活を警戒し、帰国を受け入れませんでした。韓国国民も自分たちの王族を呼び戻すべきと声を上げることなく、見捨てました。

失意の李垠殿下を方子妃は献身的に支えました。ようやく、1962年、朴正煕大統領の時代に、李垠殿下夫妻は韓国籍取得と帰国を認められます。翌年、夫妻は韓国へ帰還しますが、殿下は脳梗塞を患っており、ソウルで入院生活を続けました。

方子妃は7年間、懸命に夫を介護しました。韓国国民も方子妃の献身ぶりを称賛し、温かく接しています。殿下の死後も方子妃は韓国に留まり、昌徳宮の楽善斎で暮らしました。方子妃は1989年、87歳で死去します。

方子妃は日本と韓国の架け橋となり、相互の友好を願いながら、夫に尽くした生涯を送りました。我々は方子妃の誠心誠意を決して忘れてはなりません。

方子妃の願いが叶い、1965年には日韓基本条約が結ばれ、両国は正式に国交を結び、日本が韓国を経済的に支援することになりました。こうした歴史の真実を、「植民地」や「不法統治」などと言って、日本を批判している韓国の人々にこそ、理解して頂きたいものです。