【田原】高校は商業高校ですね。

鯖や 社長 右田孝宣氏

【右田】家から一番近かったのが商業高校で、僕の偏差値でも入れました。ただ、1年生のときに数学、国語、英語、体育の単位を落として留年。1年生を2回やっています。

【田原】体育も? 不良は運動が得意だと思ってた。

【右田】出席日数が足りなかったんです。僕が通っていた商業高校は女子300人に対して、男子が60人。だからよくモテました。ただ、当時の僕は、もやしみたいな体形。水泳の時間に友達から「右田、そんなガリガリで恥ずかしないんか」と言われて、そこから水泳の授業をサボるようになってしまった。プライドばかり高かったんでしょうね。

【田原】体を鍛えればいいのに。

【右田】やりました。そこから隠れて水泳に通ったし、格闘技も始めました。ただ、成果が出るまでは学校のプールに行くのは嫌だなと。

【田原】ところが高校3年になって自信がついて、いろいろやる気になった。これはどうして?

【右田】僕はムダにプライドが高かったんです。だから2回目の1年生のときは、元クラスメートの上級生と顔を合わせるのが嫌で、彼らから逃げるようにして通っていました。僕が4年目に入ると、彼らも卒業。そこからやっと羽を伸ばせるようになって、気持ちも前向きに変わっていきました。

【田原】具体的にどう変わった?

【右田】勉強は相変わらずやりませんでしたが、生徒会の副会長や体育祭の副団長をやらせてもらいました。最後の一年間は、高校生活をめちゃくちゃ楽しめたと思います。

【田原】高校卒業後は、スーパーの中の鮮魚店に入社する。

【右田】最初は水泳のインストラクターをしていたのですが、高校のときの親友が中央卸売市場で働いていて、知り合いの魚屋が困っているからそこに行ってくれと頼まれました。じつは僕は19歳まで魚を食べられなかったんです。でも、「俺の顔を立てると思って」と頼まれて、しゃーないなと。

【田原】へえ、魚が嫌いだったの?

【右田】おかんの魚料理がホンマに下手でね。肉ばかり食べてました。

【田原】鮮魚店で、どういう仕事を?

【右田】まず命じられたのが、発泡スチロールに入っているサンマの数を数える仕事です。中は冷たい氷水で、数えていたらしもやけになって腫れてくる。それでも苦労して「31匹だ」と数えたら、発泡スチロールの横に31と書いてありました。最初からわかってたものを、新入りの僕にわざわざ数えさせたんです。もう完全にいじめですが、最初は毎日こんな感じでした。