子供に「なぜ勉強をしなければならないのか?」と問われたら
筆者は仕事柄、中高生と話すことが多い。すると毎年、5月の大型連休後に、いわゆる「五月病」の症状に悩む生徒に出くわす。新学年、新学期の新しい環境への適応がうまくいかずに心身に不調が出てくるのだ。その中には「なぜ勉強をしなければならないのか?」という“根源的な悩み”にぶち当たってしまう子がいる。
今回は、そういう思春期特有の悩みを持つ子供を3つのタイプに分け、親にできることは何かを探ってみたい。
【1:「秀才煮詰まりタイプ」へのアプローチ法】
ある時、東京大学合格者数ベスト10に入るほどの進学校に通う首都圏の私立中学生にこういう話をされたことがある。
「勉強をやる意味がわからないんです……。学校を辞めたい……」
会社役員である父親にそう告げたところ、その子の父親はこう返したのだそうだ。
「オマエは『駕籠(かご)に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人』という言葉を知っているか? オマエは車で言えば、どの座席に座りたいのか、よく考えろ」
つまり、その父親は息子にも自分のように運転手付きの車の後部座席に乗る立場の人間になってほしいのだ。そのために偏差値の高い難関大学に行き、優良企業に就職しろという希望を持っているようだった。
いろいろな世の中の矛盾や理不尽に気が付いていく中で、その進学校の中学生は「勉強をやることは当然」と迫ってくる親や学校に強烈な反発心を持ってしまったのだろう。
残念ながら、その後この中学生は不登校に陥り、併設高校へは進学しなかった。父親の落胆ぶりは相当なものだったが、これは“秀才煮詰まり”タイプへの誘導を親が間違えた結果だと筆者は思っている。
優秀な子供が勉強する目的を見失った時に、大人が「試験のため」「知名度の高い大学へ行くため」「裕福な生活をするため」と言って丸め込もうとすると、親の期待とは正反対のところに着地するケースは少なくない。
そうした大人の意見は、幸せに至るひとつの“手段”であって、人生の“真の目的”ではないから子供の疑問解消には至らないのだろう。
では、このタイプの子供にはどうアプローチすればよいのだろうか?