「本当の敵は、安倍政権ではなく、政治的無関心なのではないか」。先の総選挙に立憲民主党から出馬した元朝日新聞編集委員の山田厚史さんはそう振り返る。選挙告示の10日前に突然出馬を決めたが、6万票超を集めるなど健闘した。それでも半数以上の人は投票すらしていない。なぜ政治に距離を置く人が増えているのか――。

比例復活を果たせず次点にとどまる

当落が決まったのは、開票日の翌日10月23日の早朝だった。千葉・神奈川・山梨3県でなる南関東比例区の得票が確定し、立憲民主党の比例当選は6人と決まった。惜敗率が7番目だった私は比例復活を果たせず、次点にとどまった。

「立憲民主の比例得票があと2000票あれば、7人目として滑り込めたのに……」。応援してくれた仲間からそんな声が上がった。

「もう数日早く運動を始めていたら」「投票日に嵐が来なかったら」「選挙のやり方が分かっていれば」……。「たられば」の反省は山のようにあるが、やって悔いなし、選挙をやりぬいた、という気分だった。それは「候補者の自己満足」にすぎなかった。応援してくれた人たちにとって「落選」は受け入れられる結果ではなかった。

終盤に確かな手ごたえを感じ、「この調子なら惜敗率で滑り込める」と期待感は高まり、支援者も「戦うジャーナリスト山田厚史を国会へ送り出そう」とその気になっていた。それだけに「やるだけのことはやった」では済まない。候補者としては「この経験を糧に次は絶対当選だ。皆さんよろしくお願いします」というべきだが、年齢を考えると、その選択はない。

獲得した6万2894票への責任もある。私の名前をこれほど多くの人が書いてくれた。期待にどう応えるか。重い宿題を背負った気分になった。

立候補要請を受けたのは選挙告示の10日前

疾風怒濤の2週間だった。私が選挙に出ると知った友人たちがびっくりして電話を掛けてきた。

「君が選挙に出るなんて、どういうことだ」
「カネは大丈夫か。どれぐらいかかる? カンパするぞ」
「やるだけのことを思いっきりやれ。健闘を祈る」

おおむね、こんな励ましがほとんどだった。「やめろ!」「思いとどまれ」という声は意外にも、なかった。民進党の瓦解、リベラル崩壊、という流れに危機感を抱く友人は多く、青天の霹靂のような「立候補」を暖かく受け止めてくれていた。

ビックリしているのは私も同じだ。まさか自分が選挙に出るなんて考えてもいなかった。立候補の要請を受けたのは選挙告示10日前の9月30日だった。浦安市の公団住宅にあるわが家に、知人が訪ねてきた。気の合う仲間として接してきた人物だ。浦安の隣の市川市に住む彼は千葉県市民連合のメンバーでもあった。

「千葉5区から立候補してくれないか」という打診だった。「選挙に出るなどなんて考えられえない」とやんわりお断りした。

市民連合は、国政選挙で野党共闘を実現しようという集まりで、法政大学の山口二郎教授らが中心になり全国規模で動いている。千葉5区(浦安市と市川市南部)はこれまで自民・民主・共産の三つどもえの戦いで、自民党の薗浦健太郎氏と民主党の村越祐民氏が勝ったり負けたりを繰り返してきた。