いける! 絶好調のスタートだったが

初日は予約客だけのつもりが、予約がない方もたくさんいらして、大賑わいでした。知り合いが多いので、みんなが店をのぞいてくれた感じで。

2009年12月にオープンし、2010年3月までの4カ月間は、ものすごい数のお客さまが来てくださいました。このときは「よっしゃ、いける!」と思いましたよ。ただ、まだチームワークができていなかったし、料理を出すのも遅れがちでした。オペレーションがうまくいっていなかったんです。グローバルダイニングの長谷川耕造社長が、オープン当初は悪い印象を与えてしまうから宣伝しないと本に書かれていたのですが、その理由がよくわかりました。

1回はご来店いただけても、フランス料理が好きでない方は、リピートが少なく、数回のご来店で終わってしまい、5カ月目の2010年4月に急にドーンと落ち込みました。そこからは、僕個人のストックから運転資金を補てんして、会社の銀行預金残高を維持していました。鳴かず飛ばずの中で、「3.11」がやってきて、再び、ドドーンと落ちたんです。

結局、「自分がもっとも行きたい店」を開いたわけですが、自分と似た人間はそうそういなかったわけです(笑)。こだわった内装ですが、ビストロとしてはお金をかけすぎて、経営を圧迫しました。僕のように金額を気にせずに自腹で飲み食いする人はそうそういないこともわかりました。ワインリストが充実といっても、マイナー地域のワインへのニーズはなかった。僕が行きたい店がないのは、そういった店のニーズがなかったからなんです。

じゃあ、そのニーズを僕が作れるのか――。お客さまとの信頼関係のなかで、その部分に力を入れていくのが勝負所だなと思いました。

とはいえ、とりあえずできることとして、「3回来てくださった方には送る」と決めてメルマガを、過去に1回でもご来店頂いてお名刺をいただいた方全員に送ることにしたんです。すると……。

応援団が僕を救ってくれた

「行くの、忘れてたよ」とか、「元気だった?」という返信とともに、久々のお客さまが大勢来てくださった。「1度しかお見えになっていない方に、メルマガを送ったらご迷惑になる」と僕が勝手に思い込んでいただけで、「情報発信って、やっぱり重要なんだな」とあらためて認識しました。

「twitterやFacebookをやるといい」と人から言われて始めたら、それも大きな転機になりました。高校時代の同級生、それも卒業後20何年間まったく会っていなかった連中とつながって、「おまえ、こんなことやっているんだ」と面白がってくれ、次から次へと店に来てくれたんです。

僕は高校時代、学年350人中トップクラス、人付き合いが悪くて、面白くも何ともないガリ勉くんでした。店に来てくれた同期は、どちらかというとやんちゃでアクティブ、勉強よりはバンドや部活に熱を入れていたタイプが多く、正直あまり接点なかった。そんな彼らが今、僕を応援してくれている。

さらに、大学の同級生たちともつながって、なんと僕の「応援団」ができたんです。ミシュラン掲載の人気店などと言われていますが、このときできた応援団のおかげで、かろうじて生き延びているというのが実情なんですよ。

8年間、店をやってみて、カード会社のCMじゃないですが、「人に支えられている」という気持ちになれるプライスレスな世界があるというのは期待していなかったリターンでした。自分の応援団ができるなんて、想像もしていませんでした。

お客様は、リピーターが9割、残りの1割もその大半は既存客のご紹介です。常連さまのなかには、上場企業の経営者もいらして、「脱サラしたあの面白い兄ちゃんの店、また行ってみよう」という感じでちょこちょこ来てくださっている。景気の話とか、相場の話とか、僕も一通り話せますので。