それぞれ世代が異なる3つの家を訪れるたびに、彼女たちの来日と関係しているであろうフィリピンと日本の歴史について、専門家による解説がナレーションで挿入される。20代後半の日系フィリピン人姉妹については、20世紀初頭、フィリピンで道路建設工事を行うために日本人2000人が海を渡り、現在でもその子孫は日本で長期滞在するビザを取得しやすい、という背後関係が説明された。

アスカさんのように、パブで働くフィリピン人女性たちが大量に来日し始めたのは、バブル時代の1980年代後半のこと。好景気のあまり、歓楽街で働く女性が不足し、興行ビザを使ってフィリピンからの労働力を求めたのが始まりだった。2004年には年間8万人が来日し、その中の1割は日本人と結婚している。

そして介護福祉士を目指すフィリピン人が増えたのは、06年の日本・フィリピン経済連携協定締結がきっかけになっている。日本の介護現場での人手不足を補うためでもあり、フィリピンはまだ高齢化が進んでおらず、同様の問題を抱えていないという背景もある。

矢沢ファンのフィリピンバプ・ママは涙した

ホームステイ先のフィリピン人女性たちは、皆明るいが、楽しいことばかりだったわけではない。OLの姉妹は日本で正社員になる前、コンビニのレジのバイトをしていたが、勤務先の店長が日本語で仕事内容を説明する上に、大きな声を出すので怖い思いをした。それでも彼女たちは「仕事は厳しいほうがいい」と語る。

パブで働くアスカさんは、フィリピンの家族を養うために27年前に来日した。故郷の美人コンテストで優勝したほどの美女で、来日費用で抱えた借金を返済しながら日本人男性と結婚。その後、子どもを2人もうけたが昨年離婚している。離婚に至った理由のひとつには、フィリピンの家族への毎月の仕送りがあった、と自身は考えている。矢沢永吉ファンのアスカさんは、子どもたちと暮らせないつらさを涙ながらに訴えたが、「日本が今の私を強くしてくれた」とも語る。

介護福祉士を目指す留学生たちは、まだまだこれからの日本での生活に希望を持っている。学校に通いながら介護施設でアルバイトをし、毎晩故郷の家族とチャットで話す。「日本は夢が広がる国です。(日本では)どんなときでも夢をかなえるのに人々が協力してくれる。なんでもできると思います」と語る。