「10年ひと昔」と言うが、時間がたてば常識はいとも簡単に変わる。世の中に流れる情報量やその流速が劇的に上がったこの数十年、常識が上書きされるスピードもまた高速化した。そして、食マンガの"祖"とも言える『包丁人味平』の連載がスタートした1973年(昭和48年)から半世紀近くがたった現在、当時と比べると「食の常識」も大きく変わった。

指から出血したままキャベツを刻む味平

外食産業の充実、調理手法・技術の進化、店と客の距離感……。中でもこの数十年で大きく変化したのは、衛生への意識などに象徴される「食の安全」にまつわる常識だろう。そうした視点でいま『包丁人味平』を読み返してみると、「ええええっ!?」と思わずギョッとしてしまうような表現も少なくない。例えばこんなシーンもそのひとつだ。

とか

あたりのコマだ。これらは『包丁人味平』1巻での描写だが、上記の3コマが含まれる厨房が描かれた見開きにチーフコックの北村は6回登場する。そして、そのすべてでパイプ(たばこ)をくわえている。北村チーフは厨房でも客前でもパイプを手放さない。いくら1970年代であっても、実際に生の肉を切りながらパイプを吸うコックはそうはいなかったろうが、たばこに対して寛容だった世相が作品にもキャラクターにも反映されている。現代ならば「いくらマンガとはいえ、他のシーンの説得力に関わる」などと編集者からNGが出そうな場面だ。

他にこんなシーンもある。こちらも1巻から。

味平が包丁で手を切り、出血したまま平気でキャベツを切っている。ちなみに「平気で」とは言ったが、手を切ってでも調理を続ける気合を賞賛しているわけではない。

現代では、プロの調理現場で手を切った者は調理から外れるか、それが難しい環境でもゴム手袋などを着用するのは常識となっている。手に傷や湿疹があると、食中毒菌でもある黄色ブドウ球菌がそこで増殖し、食中毒を引き起こすリスクが高くなってしまうからだ。だが、外食産業黎明期とも言える当時は、そうした衛生知識がない“プロ”も多かった。