『がんばらない』(集英社)から17年。これまで医療のあり方、生き方について数々の書著を書いてきた諏訪中央病院院長の鎌田實さんが、初めて自分の人生にフォーカスをした本、『遊行を生きる ~悩み、迷う自分を劇的に変える124の言葉』(清流出版)を書きました。自分の生い立ちや、人知れず持っていた孤独な思いなどを突き破り、新しいステージ入った鎌田さんですが、その進化の根底には、あるひとつの言葉があったのです。

「動」のエネルギーを感じる遊行期

これまで、私は人間の心にスポットをあてた本を数多く書いていましたが、5年ほど前から、初めて自分自身の心にスポットをあてたエッセイの連載を『月刊清流』に書き始めました。

私は幼い頃に親に捨てられました。おかげさまで多くの人の助けがあって今、こうしていられるわけですが、捨てられたという思いがずっと心の奥底にあり、どこかで「自分の人生はこれでよいのだろうか」と悩んでいました。

医師であり作家の鎌田實氏

連載を始めた頃は、まさに自分の中で壁にぶつかっていました。“遊行”という言葉に出会ったのもこの頃です。インドで人生を4つの時期に区切り、そのうちのひとつが遊行期なのです。ちなみにその4つとは、「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」です。

「学生期」はオギャアと生まれてから人が学び成長する時期です。「家住期」は家を作る時期。家族を作ったり、実際に家を建てたりします。会社、組織を作る人もいるでしょう。「林住期」は、老年を迎える時期で、森や林に隠棲しながら人生について考えます。内向きで「静」を感じます。そして最後に「遊行期」。これは死の準備期間。人生の締めくくりの時期です。

ところが、この「遊行期」は、「林住期」が“静”なのに対し、「動」のエネルギーを感じます。「もう死も間近だし、明るく生きようではないか」といったような、どこか達観したような、外にはじけるパワーを感じます。遊行(=遊びにいく)という音も、自由で開放的な気持ちにさせてくれます。

私はこの遊行という言葉がすっかり気に入ってしまい、自分の人生を振り返りながら、「これからは遊行でいく!」と心に決めました。遊行をスローガンにし、ことあるごとに遊行について考えるようになりました。「尾崎豊は遊行人だな」「ビートルズの中でも、ジョン・レノンは飛びぬけた遊行人なんじゃないか、だから、あんなに人気があったんだな」とか……。

そんなことを言っているうちに、いつのまにか遊行的な生き方をしている自分に気づくようになりました。それまでの自分の人生では会うことのなかったような若い人たちやタイプの違う人たちと親しくなり、一緒に事業や福祉活動を行うようになったのです。2025年の医療問題を見据えて、若い人たちと起こした地域包括ケア研究所もそのひとつ。