義理の母との不仲で、50年前に縁を切る

「家庭は自分で選べませんから、私が幸せになるにはこうするしかなかったでしょう」。親を捨てて49年。現在は仙台市南部にあるマンションに住む小野寺康平さん(仮名・66歳)だ。

生まれは福島市。物心がついた6歳のときから父親の再婚相手である義理の母のもとで育った。愛情は血の繋がっていない弟に向けられていたこともあり、17歳で高校を中退後、古川市(現大崎市)の親戚の家に転がり込んだ。実質的に親を捨てた瞬間だ。

キャバレーのボーイなどアルバイトを転々としながら自動車免許を取り、21歳で上京した。しかし、上京後2年で東京に見切りをつけ、1973年に再び仙台に戻り長距離トラックの運転手に。特に生活に困ることはなく、34歳で14歳年下の職場の同僚と結婚し、すぐに2人の子どもをもうけた。3LDKのマンションを35年ローンで購入し、今もそこに住んでいる。99年から現在まではずっとタクシー運転手だ。これまで親の存在がよぎることはなかったのか。

「自分でも驚くほど意識していません。むしろ最近は親の介護で大変なご近所さんを見て安堵感すら覚えますよ」

2人の息子にはサッカーもさせたし、受験期には塾にも行かせた。小泉政権以降、改正道路運送法により新規参入が急増。売り上げが減少し深夜出勤が増えた。朝帰りの生活は66歳にとって楽ではないが、2人の息子は独り立ちしているのでいくぶん気は楽だ。現在の年収は週5日勤務で約250万円。

「仮に今、父親の介護を負担していたとすれば、経済的にも精神的にもストレスは計り知れません」

昨年、連絡先を調べた姉が訪ねてきて父親が亡くなったことを知った。1回だけ墓参りに行ったがそれきりだ。自宅マンションには仏壇もない。

親を捨てた背景も年齢も異なる2人。現在は親子関係のしがらみなどの精神的側面と経済的側面の、2つの解放を手に入れている。