他の刑事ドラマだったら出演していない

田村正和は、この『古畑任三郎』が初めての刑事役だった。すでに俳優として長いキャリアのあった田村だが、それまで刑事役のオファーがあったとしても断っていたわけである。引き受けた理由は、まずは脚本の面白さにあった。

「台本を読んだとたん、これはと思いました。まずなぞ解きが面白い。構成が綿密で余分なものがないから、ぐーっと引きつけられるんです。普通の刑事ものだったら出てませんよ」(『読売新聞』1994年4月15日付け記事)と当時の田村は語っている。

三谷幸喜にとっても、田村正和は「古畑任三郎」のイメージにぴったりの配役だった。「狙いは、なぞ解きをパズルとして楽しんでもらうこと。彼の生活感のなさが、いい意味で生きてくると思うんです」(同記事)とは、三谷の言葉だ。

1943年生まれの田村正和は、『古畑任三郎』開始時ちょうど50代に入ったところだった。戦前の大スター・阪東妻三郎の三男として生まれた田村は、1961年に映画でデビュー。その後映画、ドラマで活躍を続けた。

そして1972年から放送の時代劇『眠狂四郎』(フジテレビ系)が人気に。憂愁を帯びたミステリアスな雰囲気が女性を中心に熱狂的な支持を集め、時代を代表する二枚目俳優のひとりとなった。

古畑であり、田村正和であり

転機が訪れたのは、1980年代である。1984年から放送の『うちの子にかぎって…』(TBS系)では、生意気でませた小学生たちに手を焼く学校教師を演じ、それまでの田村のイメージとのギャップに世間は驚いた。子どもたちに振り回されオロオロする姿は、眠狂四郎の寡黙な剣士とはあまりに異なっていたからである。だがこのドラマがヒット。田村正和主演のコメディドラマ路線が定着することになる。

パパはニュースキャスター』(TBS系、1987年放送)も、ヒットした作品のひとつ。ここでの田村は、人気ニュースキャスター。ところがある日、自分を父親だと言う3人の女の子が突然現れ、同居することになる。その共同生活のなかで巻き起こるさまざまな騒動をコミカルかつ感動的に描いた作品である。

これらのドラマを通じ、田村正和のコメディセンスは開花した。二枚目の代表というイメージに、新たな魅力が加わったわけである。

『古畑任三郎』には、毎回冒頭でスポットライトの当たるなか古畑が小噺を披露するおなじみの場面があるが、そこには田村のユーモアセンスが垣間見える。どこかミステリアスな部分とそこはかとないユーモアという両面を併せ持つ古畑任三郎というキャラクターは、まさに田村正和の俳優人生を象徴するものだったと言える。