私は、子どものいない人、とりわけ女性たちに降りかかるさまざまなことに、いらいらし、腹を立てることさえあった。特に職場では、親が保育園の送迎や夕食に出かけた後、ひとりでイベントの後片付けをしたり、誰かの産休のために自分の仕事が大変になったり、保育の手配がうまくいかなかった誰かの作業を肩代わりしたり。子どもがいないからといって、私が忙しくないわけでも、疲れていないわけでも、大切な用事がないわけでもないのにと、苦々しく何度も思った。

しかし、リサーチと執筆を重ねながら、周りの親たちが苦労しているのを見ているうちに、このような考え方は、単に狭量で不親切であるだけではないと気づいた。

もちろん、その両方である上に、危険でもあるのだ。なぜなら、この考え方は、あまりにも簡単に、もっと別の、大きく重要な事柄へと紛れ込んでしまうからだ。

なぜ私の税金は、公立学校や危険な若者のためのプログラム、困難な家庭のための住宅プロジェクト、幼児教育の取り組みに使われなければならないの? 子どもを産むと選んだのは私ではない――あなたでしょう。

人種紛争のピクトグラム
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「私vsあなた」以外の選択肢

過去の女性たち、この本のページに登場する女性たちは、私に教えてくれた。私の時間vsあなたの時間、あなたの子どもvs私に子どもがいないこと、私の選択vsあなたの選択、といった考え方が、唯一の選択肢ではないことを。

今の時代に、子育て中の親たちが苦労している姿を見ながら、そんなことはあり得ないと確信した。

私たちが互いから後ずさりすることで、全員が孤立し、母親と子どものいない女性との間に溝ができている。この溝は、私たちの人生がまったく別のものである場合にのみ意味をなすものだ。

しかし、そうではない。環境、政治、文化など、私たちすべてに訪れる危機を乗り切るには、次世代を、親がひとりで背負うべき個人的なものではなく、私たち全員が取り組むべきプロジェクトと考えなければならない。

「同じ穴のムジナ」だった

シーラ・ヘティが言うところの、母親とノンマザーの「内戦」の片棒を担ぐような本を書くところだったと考えると、私は身がすくむ思いだ。もし塹壕があるのなら――そのような状態に見えるのは確かだ――私たちは一緒にその中に入っている。互いに助け合ったほうがいいに決まっているのだ。

この本は、ある疑問から始まった。「なぜ、アメリカ人女性は子どもを産まないのか?」その答えは簡単ではない。これまで見てきたように、そこに至る歴史があり、多くの出来事がこれまでに刻まれてきた。

そして、現在の子どものいない状況は――選択なのか、運命なのか、その中間なのか――たとえその原因を正確に特定できたとしても、また、そもそもそれを解決することが必要であり、有益であると同意したとしても、解決できるものではない。