いま日本全国でクマによる被害が急増している。じつは約100年前の北海道でもクマ被害が急増したことがあるのをご存じだろうか。ノンフィクション作家の中山茂大さんは「かつて日露戦争で余った村田銃の払い下げを受けた『にわか猟師』が増えたことから、むしろクマ被害が相次ぐことになった。人間の経済活動とクマによる被害には密接な関係がある」という――。
五体がバラバラになるほど食害されていた
今年は全国でクマの出没が相次いでいる。環境省の統計によると、2023年4月から9月の間にクマの被害にあった人は109人にものぼる。
特に北海道では、2023年5月に朱鞠内湖で釣り客の男性が襲われ死亡。10月には渡島半島で登山中の大学生が襲われてやはり死亡している。
いずれも五体がバラバラになるほど食害されていたといわれる。
なぜこれだけ被害が続いているのか。
いくつかの理由が考えられるが、まず猛暑など環境の急変によって山で十分なエサが手に入らず、やむを得ず人里に下りてくる個体が増えたこと、次に過疎化によってクマの生息域と人里が近接するようになったこと、最後にクマの個体数自体が増えたこと、などがあげられる。
「ヒグマによる死者が多い年」に何があったのか
かつての日本でもクマによる被害が相次ぐ時代があったが、そこには上記の理由以外にも、別の大きな理由があったと考えられる。
筆者は、明治から昭和にかけての約70年分の地方紙を通読し、ヒグマに関する事件を拾い上げてデータベース化している。これをもとに、北海道・樺太でヒグマによる死者数が多かった年と、その理由を、可能な範囲で考察してみよう。
・明治34年 11名
当時の北見枝幸はゴールドラッシュに沸いていた。砂金掘り人夫の小屋にヒグマが乱入し、2名が喰い殺されている。
・明治41年 14名
上川郡士別地方では、わずか2カ月の間に7名がヒグマの犠牲になった。(前年に大流行した狂犬病との因果関係が疑われる)