コロナ禍の現在、「新型コロナは人民解放軍の生物兵器」といった中国がらみの陰謀論もよく飛び交うようになっている。なぜ中国は陰謀論の対象になるのか。幸い日本には「東洋史」という学問がある。江戸時代以来の漢学の伝統のうえに、清朝の考証学や西洋の歴史学の実証的な研究姿勢を組み合わせた日本独自の研究分野で、主に中国と漢字文化圏の歴史を考察の対象としてきた。
現代の中国を読み解くには、この東洋史の視座が大変有用だ。京都府立大学教授で東洋史学者の岡本隆司氏と、中国ルポライターで大学・大学院時代に東洋史を修めていた安田峰俊氏の「東洋史対談」をお届けする――。(前編/全2回)
日本にないものを日本語で表現すると「ひとり歩き」する
【安田】日本の地盤沈下やコロナ禍による社会不安もあってか、近年ではフェイクニュースや「トンデモ歴史学」が従来に増して盛んです。なかでも「新型コロナは人民解放軍の生物兵器」といった、中国がらみのデマは特に多い。そこで「東洋史学はいかにトンデモに立ち向かえるか?」というのを今日の隠れたテーマにしたいのですが……。
【岡本】それは大きい話だなあ(笑)。わが「東洋史学」のありかたは追い追い語り合うとして、まずは「トンデモ」説の一つとして、中国がらみの陰謀論について話しましょうか。安田さんの著書『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)の副題「マフィア、政党、カルト」も、ぱっと聞くといかにも陰謀論的な臭いの単語が並んでいます。日本語で説明するとこういう言葉を使わざるを得ないわけですが……。
【安田】そうなのです。実際のところ、中国の民間組織である「会党」は、ヤクザと右翼と生活協同組合とライオンズクラブと県人会を足して5で割らないというか、どんな性質も持ち得る存在です。もちろん「秘密結社」でもありますが、その言葉だけでは説明できない。ただ、いちど「秘密結社」と呼びはじめると、語感がひとり歩きしておどろおどろしいイメージが生まれます。
【岡本】呼称はそれを呼ぶ者の目線を反映するんです。まず日本と中国の国情にちがいがあって、日本にないものを日本語でいわないといけないので、誤った、ムリな表現になる。これは別に日中に限らない話です。
もうひとつは立場・観点のちがいでしょうか。たとえばわれわれ研究者が目にする史料の多くは、実は官憲やエリート知識人が書いたもの。ゆえに権力や知識人の目から見れば、庶民のわけのわからない集まりは「秘密結社」で、儒教なり共産主義なりの“正しき”価値観から外れた信仰のありかたは「邪教」となる(笑)。おどろおどろしい呼称は、誤解と偏見の産物でもあるわけですね。