「横田滋さんの娘を拉致したことが、北朝鮮の最大の失敗だった」
めぐみさんと再会させてあげたかった。だれもがそう思ったに違いない。
北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(当時13歳)の父親、横田滋さんが6月5日、老衰で亡くなった。87歳だった。拉致被害者の家族会に参加し、拉致被害者の救出活動で先頭に立って家族会を引っ張ってきた。被害家族の象徴的な存在だった。
新潟市の中学1年生だっためぐみさんがバドミントン部の練習の帰りに行方不明になったのが、1977年11月。北朝鮮の工作員による拉致だった。あれから42年余り。その間、横田滋さんは決してあきらめることなく、拉致問題の解決を訴え続け、政府関係者をして「滋さんの娘を拉致したことが、北朝鮮の最大の失敗だった」とまで言わしめた。
横田滋さんは生きて娘と再会できなかったが、めぐみさんら拉致被害者全員が無事に帰国できることを願う滋さんの魂は消えない。
娘に対する熱い思いが横田滋さんの原動力だった
2002年10月15日の羽田空港。政府チャーター機のタラップから地村保志さんや蓮池薫さんら5人が降り立ち、親や兄弟と抱き合った。拉致被害者の喜びの帰国だった。しかし、そこには横田めぐみさんの姿はなかった。
この1カ月ほど前の9月17日、小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮を訪問し、金正日(キム・ジョンイル)総書記(当時)=2011年12月17日に70歳で死去=と初の首脳会談に臨んだ。この会談で北朝鮮はそれまで全否定していた拉致の事実を認めて謝罪した。だが、北朝鮮は5人の生存を認めたものの、めぐみさんら8人については「死亡した」と説明した。「めぐみは本当に死んだのか。信じられない」。横田滋さんは絶望の淵に立たされた。
その後、北朝鮮はめぐみさんの遺骨の一部を日本に提出したが、日本側のDNA鑑定によって別人のものと判明した。滋さんは記者会見で「めぐみの生存の可能性が強くなった」と語り、拉致被害者の救出活動に力を注ぐことを誓った。そこには父親の娘に対する熱い思いがあった。