
妻が遺した重い、重い「秘密」
「死ぬ前に決着をつけたかった」
この言葉を遺して、2024年夏、51歳の男性が亡くなった。神奈川県内の自宅押し入れに三人の赤ちゃんの遺体を隠していると、自ら警察に通報した約1週間後だった。
報道によると、男性は、2020年に44歳で病死した妻から亡くなる前に「二人だけの秘密にしてほしい」と、このことを打ち明けられた。4年後の2024年、男性が「余命が短い。話したいことがある」と警察に電話。その後のDNA鑑定により、赤ちゃんは三人とも夫婦のこどもであることがわかった。三人の死因は不明である。
黙って旅立つこともできただろう。妻がなぜ3回もの出産を夫に隠していたのか、不可解さも残る。だが、命の終わりを悟った夫婦がそれぞれに最後にとった行動には、三人の赤ちゃんへの贖罪と、少しでも心を軽くしてこの世を去りたいという切実な思いがにじむ。
神奈川県警は今年2月3日、死体遺棄の疑いで夫婦2人を容疑者死亡のまま書類送検した。
わが子の遺体を隠しながら暮らす人生とは
妻はひっそりと臨月までを過ごしたのだろうか。一人で出産の恐怖に立ち向かい、一人で産んだその人が、夫にさえ隠して赤ちゃんの遺体を始末し、押し入れに隠した。そのような非常事態が、一人の女性の身の上に3度、繰り返された。
一人で出産する、それは恐ろしい事態だ。母子ともに命の危険が高いことはいうまでもない。にもかかわらず、一人で出産することを選択した女性は、自傷行為をしようとしているという認識を欠いた、異常事態にある。
嬰児殺害遺棄事件や遺棄事件は、この10年ほど、年間10〜20件、発生しているが、その多くは女性が一人で産んだ直後に殺害、あるいは、死産した赤ちゃんを遺棄していた。
しかも自ら産んだ赤ちゃんの遺体を隠し持って暮らさなくてはならない人生とは、いったいどのようなものなのだろう。
逮捕によって「負の連鎖」が断ち切れた
2024年2月、高松市の風俗店勤務女性の住むアパートの押し入れから、三人の嬰児の遺体が見つかった。通報者は「分娩した乳児の遺体を遺棄したと聞いたことがある」と話したという。女性は必ずしも隠していたわけではなかったと考えられる。
逮捕時、女性は35歳。一人暮らしだった。女性は捜査に訪れた警察官に「押し入れに3つの遺体がある」と話した。そのとき、女性の胸を去来したのは絶望か、それとも安堵だろうか。
一人目と三人目についての死体遺棄罪の公判は終了し、残る二人目の殺人・死体遺棄罪についての裁判員裁判が2月17日から高松地裁で始まる。20日に結審し、21日に判決が言い渡される予定だ。
「きっかけはどうであれ、この方はこれまで隠してこられたことが明らかになってよかったのだと思います。そうでないと、風俗店という妊娠しやすい勤務環境で、今後も同じことが繰り返し起きたかもしれません。それはご本人にとっても大変つらいことです。この裁判が、人生の方向転換のきっかけとなるように願います」
こう話すのは、熊本市の慈恵病院理事長蓮田健氏だ。

もし赤ちゃんポストに預けていれば…
慈恵病院は「こうのとりのゆりかご」と名づけた赤ちゃんポストを運用している。こどもを育てることのできない事情のある人が、匿名で赤ちゃんを預け入れることのできる仕組みとして2007年に始まった。
その後、2020年ごろから同院は、孤立出産による嬰児殺害遺棄事件で、被告女性の裁判支援活動に取り組んでいる。神経発達症を専門とする精神科医・興野康也氏(熊本県人吉市、人吉こころのホスピタル)と連携し、孤立出産した女性が赤ちゃんを殺害・遺棄した背景や原因の究明に努める。
裁判支援を始めたきっかけは、同じように孤立出産をしても、熊本まで赤ちゃんを託しにくる女性と、その場で殺したり遺棄したりする女性がいる、その選択を分けるものは何なのか、疑問を持ったことだ。
今回の高松市の事件には特に胸を痛めたという。逮捕後の供述によると、被告女性は、赤ちゃんが無事に生まれたら赤ちゃんポストに預けたいと思っていたためだ。
「私どもの『こうのとりのゆりかご』に連れて行くことを考えておられながら、このような結果になってしまったことは非常に残念です。せめて、被告女性の背景にある、生きづらさや困難を解明する役に立ちたいと思いました」
5年間で3回、孤立出産と遺棄を繰り返した
事件のあらましを振り返る。
2024年2月14日に警察官が女性の自宅アパートを捜索し、遺体を発見したという。
(2024年2月16日・朝日新聞香川版)
押し入れからはさらに、出産時期の異なる二遺体が見つかる。遺体は腐敗が進み、司法解剖では性別がわからない状態だったとも記事は伝えている。
後日、DNA鑑定で赤ちゃんが三人とも女性の子であることがわかった。女性は2018年、2020年、2023年の3回、孤立出産していた。
2018年と2023年の二遺体の遺棄については、2024年4月の公判で起訴内容を認めている。
事情が異なるのは、2020年4月中旬に産んだ三人目の赤ちゃんだ。女性は出産後、数日間育てたのちに殺害していた。遺体にはベビー服が着せられていた。
2024年5月、香川県警は女性を殺人容疑で再逮捕した。警察の取り調べに対し、女性は経済的な問題を理由に挙げたという。
被告となった女性たちの悲しい共通点
慈恵病院による孤立出産殺害遺棄事件被告女性支援は10件を超えた。筆者は関連する7件の裁判を傍聴したが、被告女性7人のうち6人が産婦人科を受診していなかった。
上記7件のうち4件について、興野氏が精神鑑定を実施している。興野氏は裁判所に意見書を出し、事件によっては、法廷で境界知能(平均知能指数を100とした場合、51~70未満が軽度知的障害、70~84が境界知能)やその他の神経発達症との関わりを証言した。

たとえば、羽田空港のトイレで孤立出産した赤ちゃんを殺害後に公園に遺棄した事件(2020年)。札幌で起きた、孤立出産した赤ちゃんを殺害後にコインロッカーに遺棄した事件(2021年)。東京郊外の自宅マンションで孤立出産後に赤ちゃんを殺害遺棄したとして起訴された事件(2021年)。
いずれも、興野氏が拘置所に出向き、あるいは保釈中に被告女性が興野氏の病院を受診して、精神鑑定を行なった結果、境界知能であることがわかった。加えて神経発達症のADHD(注意欠如・多動症)の人もいた。
中には孤立出産時にかかる強度のストレスから、解離症を発症し、出産前後の記憶を失ってしまったケースもあった。
「死産」か「生産」かを巡る法廷論争
この被告女性は、逮捕後に警察官や検察官の質問に対し殺害を認める供述をしているが、その後、弁護士との接見時、実は出産前後の記憶がないと打ち明けた。公判結審時の最終陳述では「記憶がない」ということの悲しみと、そのために自分を責める気持ち、赤ちゃんへの申し訳なさを、被告は泣きながら語った。
埼玉県で起きた嬰児殺害遺棄事件(2021年)では女性は二度、孤立出産後に赤ちゃんの遺体を隠していた。女性は殺害を否認し、「死産」か「生産」かをめぐり検察と弁護側が争った。遺体は腐敗が進み、司法解剖では死因は「不明」だった。
検察と弁護人はそれぞれ産婦人科医を参考人に招き、法廷はさながら医療者対決のような展開となった。「生産」の可能性が高いことを立証しようとする検察側証人の産婦人科医に対し、弁護側証人の蓮田氏は、遺体の状況から考えるとあくまで「事実はわからないこと」と主張した。
検察は7年を求刑し、2024年3月に懲役5年6月(求刑懲役7年)の実刑判決が下りた。被告女性は控訴したが、2025年1月、東京高裁は控訴棄却を決定した。
裁判では重視されていない「特性」
これまでの裁判では、境界知能や神経発達症と孤立出産殺害遺棄の関わりは積極的に認められていない。女性に「特性」があることは認めるものの、そのことと事件の因果関係は切り分ける判決が続いている。
孤立出産が引き金となったこれらの事件の傍聴を重ねると、被害者はもう一人いることに気づかされる。一人目の被害者が亡くなった赤ちゃんであることはいうまでもない。もう一人の被害者は、ほかの誰でもない、被告女性だ。
前述の通り、興野医師が精神鑑定した4人の被告女性は全員が境界知能であることがわかった。境界知能の場合、状況を認識する力が弱く、今、自身に起きている問題や出来事を客観的に捉えることが苦手だという。それは、他者に事情を話して助けを求める行動を起こしにくいという現象に現れる。
また、神経発達症との関わりを興野氏は指摘した。たとえば、「片づけられない」「時間の約束を守れない」「計画的にお金を管理できない」「衝動的な行動が多い」といった生活態度が見られた場合、それらはADHDの特性との関わりが考えられるという。
さらに、こうした事件と結びつきやすいADHDの特性があるという。興野氏は次の2点を挙げた。
他人への依存が最悪の結果をもたらす
まず、性衝動が強い傾向だ。
被告女性の中にはデリヘルや風俗店勤務だった人が複数いた。客に避妊を求めたのに応じてもらえず妊娠したケースもあった。妊娠させられやすい職業環境に加えて、依存傾向が負の方向に進んだ場合、ホストクラブや風俗の闇営業などアンダーグラウンドの構造に取り込まれてしまうことは、すでに歌舞伎町界隈に関する多くの報道が伝えている。
ある被告女性は風俗勤務で知り合った男性と過度な依存関係に陥り、稼いだ金を吸い取られて貧困状態に陥っていた。
2つめは依存性の高さである。
「もちろん、依存性が高いからといってマイナスなわけではありません。自分の好きなものと出会い、それを応援してくれる周囲の人たちなど環境が整えば、対象に集中し、世界を切り開いたという事例は珍しくありません。
ただ、それがマイナスのほうに出た場合、極端な男性依存や性依存といったことになり、事件につながることがあります」(興野氏)
だれにも頼れず、ひとりで産むしかない
家族や学校など地域社会に神経発達症の知識がない場合、「だらしない」など性格の問題として捉えて厳しく接してしまう。神経発達症の特性が理解されないまま、本人には叱責される負の体験が積み重なっていく。そして成人するころには、親にとっては「手に負えない」存在となる。親はこどもに対して悩みを深める一方、こどもは親から見放されたと感じる。

前述の被告女性7人は妊娠を親に相談していなかった(1人は母親が病院に同行したが、反対の検査結果を本人が母親に伝えた)。親との関係が疎遠になっていた人もいた。逆に、親から極端に管理される過干渉に疲弊してしまった人もいた。
親や学校など周囲に特性を理解されないまま成長した結果、孤立を深めた状況。それは、予期せぬ妊娠という非常時に頼るべき存在の不在を招く。
神経発達症やその特性についての知識と認識を、私たちがともに持ち合わなくてはならないと痛感する。産む性である女の子の成長過程では、特に境界知能や神経発達症を理解し、さらにそれらの特性と性の関わりを大人が注意深く見守りサポートする必要を考えさせられもする。
孤絶状態になる前に救い上げる方法
孤立出産は「妊娠を誰にも知られたくなかったから(孤立出産をした)」という言葉で説明のつく状態ではない。
出産という究極の恐怖シーンの淵に一人で立つ女性は、この最終地点に傾れ込むまでのプロセスで、親、家族、友人、職場、すべての関係性から孤絶し、深い溝に落ち込んでいる。
もし、それらの遠因となった境界知能や神経発達症の特性への理解が社会で共有されていれば、彼女たちは溝に転げ落ちるより早い時点でいくつものセーフティネットによって守られていたのではないか。
高松市の事件は、3回の孤立出産遺棄という特殊さに加えて、もうひとつ、解明が待たれる点がある。
孤立出産嬰児殺害遺棄事件のほとんどは出産直後に母親が殺害している。
たとえば、今年1月、24歳の女性が宮城県塩竈市の自宅で出産した赤ちゃんを雪の中に埋めて殺害した事件。報道によると、女性は取り調べに対し「雪の中に隠したのは間違いないが、当時はパニックになってそこまで考えられなかった」と殺意を否認したという(その後、仙台地検が不起訴処分)。
この女性のように、孤立出産直後に殺害した女性が「パニック」という言葉で自らの行動を説明することは少なくない。
なぜ女性は赤ちゃんの命を奪ったのか
ところが、本件の被告女性は2020年4月中旬ごろに2回目の孤立出産をし、その後、4月下旬ごろまで赤ちゃんと過ごしていた。産後から10日間ほどといえば、産褥期の女性の身体は疲れ切っていただろう。
その間、一人で赤ちゃんのお世話をしたであろう女性は、赤ちゃんの鼻と口を覆って呼吸困難にさせ、殺害した(読売新聞2024年12月28日)。
赤ちゃんを殺したのはなぜだったのか。そもそも女性が3回の孤立出産をしたのはなぜだったのか。遺体を押し入れに隠し続けなければならなかったのはなぜだったのか。
興野氏は2月18日、蓮田氏は2月19日に弁護側参考人として高松地裁で証言する。
裁判で明らかになる事実は後編で詳報する。