ジャニーズ事務所の故・ジャニー喜多川社長による少年たちへの大規模な性加害を事務所が認めて1年。ジャーナリストの柴田優呼さんは「NHKが旧ジャニーズ事務所のタレントの新規起用を再開すると発表し、民放とあわせ全ての主要テレビ局で従来どおりの体制に。しかし、本当に被害者の認定と補償、心のケアは進んでいるのか」という――。
東京都渋谷区のNHK放送センター
写真=iStock.com/mizoula
東京都渋谷区のNHK放送センター

故・ジャニー喜多川社長の大規模な性加害を認めて1年

テレビ東京に続き、NHKも10月16日、旧ジャニーズ事務所(現SMILE-UP./スマイルアップ)のマネジメント業務を引き継いだSTARTO ENTERTAINMENT(スタートエンターテイメント、福田淳代表取締役CEO)所属タレントの新規起用を再開すると発表した。これまで見送ってきた2局が方針を転換することで、主要テレビ全局で解禁となった。

NHKの稲葉延雄会長は、「被害者への補償と再発防止の取り組み、スマイル社とスタート社の経営分離が着実に進んでいることが確認できた」と、定例会見で理由を話した。この結果、昨年はゼロだった暮れの紅白歌合戦にも、スタート社のタレントが出演する可能性が高い。

だがNHKなどのテレビ局がこうした判断をする上で、大きく抜け落ちているものがある。それは被害者の心のケアがどれだけ行われているか、という最も大切な点だ。

性暴力を受けた後、被害者が一番苦しむのは心の問題だ。回復して再び人生を歩んでいくのに不可欠なのは、心の健康を取り戻すことだ。そのための専門的なケアや、場合によっては長期の治療を受けることが大きなポイントとなる。性暴力はそれほど「心と人生を破壊」するものだという基本的な認識が、いまだに欠けているのだ。

性被害者の「心のケア」もできていると言えるのか

こうした問題が本当にわかっていたら、補償金を支払い、経営分離などの組織改革さえ行われれば十分であるかのような会長発言にはならないはずだ。

NHKは19年から、「性暴力を考える」というテーマを約240回もサイトで取り上げている。報道にはこのように力を入れているのに、心のケアこそが被害者救済の鍵であること、また被害者が心の健康を取り戻さなければ最終的な回復につながらないことを、組織のトップが評価基準として示そうともしなかった。これはどういうことなのだろうか。

「性暴力を考える」で取り上げられた被害例の多くは、女性が対象だ。そもそも性被害者の圧倒的多数が女性だからだ。最近は男性の被害例も取り上げられているが、稲葉会長の発言からは結局、女性が被害の大半を占めてきた犯罪に対して基本的に関心が薄く、本気で向き合っていないように感じられる。

決定権を持つ組織上層部の大半が男性で、男性優位の考えが支配的な日本のテレビは、性暴力が被害者の人生をぼろぼろにする深刻な人権侵害であるということの内実が、今も本当にはわかっていないのではないか。

ジャニーズタレントを起用してきたメディアは変わったのか

ジャニー喜多川児童性加害事件を通じて、メディアは一体変わったのだろうか。ことテレビについては、首を傾げざるを得ない。各局の検証番組でも示唆された、制作部門と報道部門の乖離かいりが解消しているとは思えない。

ジャニー喜多川事件の特徴は、メディアが犯罪の「共犯」として何十年も沈黙を続け、男児に対する人権侵害の隠蔽に加担してきたことだ。これはメディアが、旧ジャニーズ事務所に所属する人気タレントを、番組や記事などで「目玉」として頻繁に起用してきたことと不可分な関係にある。

メディアは旧ジャニーズ事務所と、そうしたビジネス取引をする利害関係者だった。その一方で、第三者としての立場から、事件・事故や社会問題などを伝える本来の役割を持つ。

だが、この利害関係者としての利益を優先し、第三者としての報道機関という使命に目をつぶってきたのが、メディアにとってのジャニー喜多川事件の根本だ。

メディアが利害関係者として「何をしてきたか」は外部からは不明だ。一方で、報道機関としてするべきだった「何をしてこなかったか」ということが大きな問題になった。

記者会見にずらりと並ぶテレビカメラ
写真=iStock.com/microgen
※写真はイメージです

テレビ局はタレント出演を優先し、報道の使命に目をつぶってきた

今回のNHKの方針転換にまつわる状況は、またもこの構図をなぞっているように見える。テレビ局は取引相手として、人権デューデリジェンス(人権侵害防止の取り組み)に基づき、スマイル社に改善を求める立場にある。しかし稲葉会長は「スマイル社とスタート社の経営分離は進んでいる」と言うのにとどまり、実際の資本関係がどうなっていると認識しているのか、明確にしなかった。

「スマイル社が主体的に公表しないなら、NHKがスマイル社から了承をとって代わりに経営実態を公にし、起用再開の理由がどこにあるかを説明するくらいでなければ、国民の理解は得られない」と、元テレビ朝日法務部長の西脇亨輔弁護士が、朝日新聞のインタビューで指摘していたが、無視している。

NHKだけではなく、国民の財産である公共の電波を使う民放各社にも同等の責任がある。だが、視聴者全員から受信料を徴収して運営しているNHKには、より透明度の高い説明が求められる。にもかかわらず、利害関係者として「何をしてきたか」は、またも明らかにしなかった。

心のケアについても、それが最重要事項だという認識があるのであれば、スマイル社の対応をどう評価しているかも明らかにしてよいはずだったが、稲葉会長はそれもしなかった。

NHKは方針転換の前に、再検証の結果を報じるべきだった

何より報道機関として、実際に被害申告者に取材して報道することができたはずだ。それはメディアが、通常の利害関係者とは大きく異なる点だ。しかし、「性暴力を考える」という長期の取り組みをしていながら、ジャニー喜多川事件の被害者に対して、タレント新規起用の再開発表前には、そうした報道をしていない。

NHKは報道機関として「何をしてこなかったか」ということについて、本当に反省しているのだろうか。自分たちとは切り離しつつ、まるで他人事ひとごとのように性暴力について報じているということはないのだろうか。

スマイル社によると15日現在、被害申告者1000人のうち530人に補償内容を、213人には補償しないことを通知したという。530人のうち95%に既に補償金を支払い済み。残り237人からは、複数回試みても返信がない状況。また、他20人との間で補償内容の算定や在籍確認などの手続きが進行中だという。

だがスマイル社は、こうした数字の発表をサイト上で行うだけで、記者会見を開いて説明しようとしないので、詳細がわからない。

例えば、「連絡が取れない」人たちの中に、被害体験を話すことや周囲の人々に知られること、誹謗中傷ひぼうちゅうしょうされることへの恐怖があり、手続きを続けることを躊躇している人たちがいる可能性もある。同様の理由から、申告自体をためらっている人たちもいる可能性がある。

性被害者の声を伝えていくのも、テレビ局の役割では

実際、解散した「ジャニーズ性加害問題当事者の会」の副代表だった石丸志門氏は、「家族に知られるのが怖い」と被害申告ができないでいる人たち複数から相談されたことを、朝日新聞の記事で語っている。そのうち3人は申告しないと決めたという。

別の朝日新聞の記事では、被害申告をしたが、補償を拒否された人たち2人が、実名・顔出しで報じられている。「関係資料と突き合せて協議も行い、可能な限り検証したが、事実を確認できなかった」ことなどが理由だったが、「詐欺呼ばわりされてつらい」などと話している。

こうした人たちの声を伝えていくことも、メディアの役割ではないだろうか。不祥事を起こした企業のその後の対応について報じる際、企業側の発表だけでなく、被害者側の受け止め方を伝えるのは当然のことだ。そうした報道の役割を果たさず沈黙すること自体が、利害関係者としてビジネスに都合の悪いことは看過している、と見られてしまう恐れはないか。

「スマイル社は会見にも個別インタビューにも応じない」

NHKの起用再開発表の数日前、被害を告発した旧ジャニーズ事務所所属の志賀泰伸氏らが日本記者クラブで会見を開いたが、TBS社会部の記者が質問の中で、スマイル社側が会見にも個別インタビューにも応じない、と指摘していた。

旧ジャニーズ事務所の性加害問題で記者会見する(左から)長渡康二さん、志賀泰伸さん、中村一也さん=2024年10月9日、東京・内幸町の日本記者クラブ
写真提供=共同通信社
旧ジャニーズ事務所の性加害問題で記者会見する(左から)長渡康二さん、志賀泰伸さん、中村一也さん=2024年10月9日、東京・内幸町の日本記者クラブ

会見後、記者たちが会見場で自然と輪になり、「うちも同じ状況」などと手詰まり感を話していた。志賀氏らのこの会見も、報道陣が詰めかけた1年前に比べて、記者の数は目に見えて減っていた。それでも集まった記者の多くは女性だった。これは何を意味しているのだろうか。性暴力の深刻さを深く認識していると思われる彼女たち現場記者の声は、岩盤のように社の上層部を固めている男性幹部たちに届くのだろうか。

現場と上層部の間の回路が切れ、制作と報道など縦割り部門間の分断が露骨。多くの日本の組織の縮図のような光景であり、また性暴力が長年軽く扱われてきた社会の反映とも言えるだろう。

警察も検察も動かず、国も調査委員会を立ち上げなかった

1年前にも、ジャニー喜多川事件について何本か記事を書いたが、結局のところ、その時主張したほとんどのことがいまだに実現していない。全容解明もされていないし、公的な第三者機関による調査もされなかった。事務所のスタッフ2人がタレントに性加害をしていたことが明らかになったのに、警察も検察も動かなかった。政府は終始「個別の企業の問題」といった態度を決め込み、立憲民主党の議員たちが国会ヒアリングを何度か行ったが、海外の類似事件のように、国会が調査委員会を立ち上げるようなことは起きなかった。再発防止策の詳細もよくわからない。

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こうした結果をもたらした原因の一つは、国連人権理事会「ビジネスと人権」作業部会が勧告したように、政府から独立して人権を守る組織が日本にないためだろう。その時々の警察や検察、政府や国会が動かなくても、人権を守ることを業務として司る「国内人権機関」があれば、問題を調査し、提言を行い、被害者を救済できる。今回の件でも、被害者が被害申告の際に無力感に陥った場合、こうした機関に助けを求めることも可能だっただろう。

あまりに多くのことが実現してこなかったが、現時点で一つ提案するとすれば、スマイル社は金銭補償が終わった後も、被害者の心のケアをずっと継続していくことを望みたい。もし5年10年と、長期にわたって一人ひとりの心のケアを地道に行う活動を続けていけば、スマイル社と旧ジャニーズ事務所の社会的評価も変わっていくだろう。

被害者は「補償金をもらって心が癒えたかというと全くNO」

志賀氏らと共に会見に臨んだ長渡康二氏が、「補償金をもらったからといって心が癒えたかというと、全くNOだ」と、「心のメンテナンス」の必要性を訴えていたのは、まさに問題の核心を衝いている。

補償申告で面談した後、精神的な症状が悪化したことや、次々に聞かれて尋問のように感じた人たちがいたことなどを、志賀氏も指摘している。被害体験を話すのは、ただでさえ非常に精神的に負担がかかることだ。補償金を受け取った後、逆に苦しみが増えたという人もいるという。補償内容に同意したのも、長引かせて心が壊れてしまわないようにするためだったという話もある。

表向き補償が進んでいたとしても、それが即ち、被害者の本当の救済を意味するわけではない。

国連作業部会から指摘を受け、スマイル社側も心のケア相談窓口の運用の見直しをしたとサイトで発表しているが、引き続き手厚い配慮をしていくことが必要だろう。

一つ希望があるのは、志賀氏らと共に被害を訴えてきた二本樹顕理氏が、心のケア相談窓口での体験について、肯定的に評価していることだ。「当初はかなり警戒していた」というが、「話をしているだけで気分が楽になる時はあります。安心して話を聞いてもらえる環境って、すごく大切だと思うんです。被害を伝えても決して否定されない空間。心理師さんが繰り返し私に言ってくださるのは『今、あなたが安全なところにいるということだけは覚えておいてほしい』という言葉。大きな安心感を与えてくれます」、と毎日新聞の記事中で語っている。

被害申告した後に命を絶った男性の妻が書いた痛切な手紙

二本樹氏は、妻まで誹謗中傷を受けたため、妻の出身国のアイルランドに移住しなければならなかった。妻はいまだに「日本に行くのが怖い」と話しているという。子供の時にジャニー喜多川氏に性加害を受けたと告発した服部吉次氏の妻である石井くに子氏も、会見で流されたビデオメッセージで、「1年間普通に息ができなかった」と語っている。

会見では、スマイル社に被害申告した後、自死した男性の遺族の手紙も披露された。

「『お願いします、お願いします、これからいい子にして、何でも言うことを聞きます。何でもするので、絶対に助けてください。生きていてください。お願いします』と、手を合わせて泣き叫ぶ子供を見て、このようなつらい経験は、成長の糧になるとは私は思いません」という、心を切り裂くような記述が含まれていた。

心のケアが必要なのは、家族も同じなのだ。

NHKなどテレビ各局やスポンサー企業が、人権デューデリジェンスに基づいてすべきことは、被害者とその家族の心の回復のために、スマイル社がこうした安心できる空間を提供し続けるよう、強く求めることだ。

今のままでは、子供をしっかりと守る社会に、十分向かっているとは言えない。いまだに子供の心を切り裂く社会のままではないのだろうか。それにまた手を貸すようなことは、あってはならない。