「マイクを握ると、ついつい、ていねいすぎる言葉遣いになってしまいます……。お客様から『何が言いたいのか、まったくわからない』とクレームもいただきました」
と、客室乗務員(CA)から旅行会社の添乗員に転身した頃の思い出話をするのは、森 浩子さん(69)。
57歳でCAを離職。次に見つけたのが添乗員の仕事
添乗員になったのは会社からの不本意な通告がきっかけだ。
高校を卒業した後、大手日系航空会社にCAとして採用され、世界の空を飛び続けた。同時代の女子たちにとっては、憧れの職業だ。産休と育休の期間を除いて、40年近く“飛び職”一筋。本来ならば60歳まで飛び続け、飛び職を全うしたかったのに、だ。
「57歳で人員整理の対象になってしまいました。いわゆる肩叩きです。定年までCAを続ける人は少なく、私はやる気があるのに中途半端な辞めさせられ方をしました。ものすごく悔しかったですね」
森さんの口調や所作はとてもソフトだが、内に秘めた闘志というか、負けず嫌いな性格が垣間見える。
「その後1年半ほど職探しをしたんです。そんななかで、友人が添乗員になった話を聞いておもしろそうだなあ、と。CA時代、飛行機の中でよく添乗員さんと話す機会がありましたし、旅が大好きでまだまだ海外にも行きたい。自分もやれるかもしれないと、この道を選びました」と、セカンドキャリアへの入り口を話す。
旅の何でも屋は、参加者たちの不平・不満の吐け口にも
添乗員とは、旅行会社が主催する募集旅行、または企業や個人からの受注旅行において、参加者と一緒に旅先に帯同する職を指す。
正式名称は旅程管理責任者で、ツアーコンダクター、ツアコンなどと呼ばれる。旅行会社の社員が兼務したり、専属契約で従事したりすることもあるが、現在は多くが派遣会社に登録し、さまざまな旅行会社の添乗員として旅に出る。森さんもこのタイプだ。男女比では女性が多い。
旅を円滑に進めるための行程管理が主な仕事だが、旅行中は“何でも屋”に変身する。
生きた心地がしないほどの経験の数々
飛行機などの乗り物、ホテルの誘導とチェックイン、食事の際は飲み物のオーダーを取り、積極的にツアー参加者の写真を撮り、海外では通訳にもなる。そして時には、不満、愚痴、はたまた自慢などの聞き役にもなる。華やかなイメージのCAとは違い、地味な裏方に徹するのだ。
旅行の間、ホテルの自室以外は四六時中、参加者と一緒にいるので、接客業としてはかなり難易度が高い。
その点、森さんはCAとして40年近く接客をしてきたので、お茶の子さいさいかと思われるが?
「いえいえ、CAは飛行機を降りれば業務終了ですが、添乗員は旅が終わるまで仕事が続きます。お客様の安全を守りつつ、最後は全員無事に出発地に帰らないといけません。そのプレッシャーで寿命が縮みそうになることもあります……」
というのも旅先、特に海外ではトラブルに遭遇することも少なくないからだ。
58歳で添乗員の資格を取り(後で詳述)、最初の海外旅行の添乗員デビューの行き先はアメリカ。当然のことながら、数え切れないほど前職で渡米している。しかし、勝手がまるで違う。
「最初から30人ほどと、たくさんのお客様の引率だったのです。アメリカ入国時、パイロットやCAはクルー専用のゲートを通りますが、添乗員であれば、当然一般のお客様と同様のゲートを通ります。入国審査のゲートを私が通った後に、お客様もスムーズに通過してくれればいいですが、遅れてなかなか出て来られない方もいます。振り返ると『え、○○さんがいない!』となるわけです。私はもうゲートに戻れないので、ヒヤヒヤしながらお客様をお待ちしました」
しかも次の飛行機の乗り継ぎがあり、その時間がかなりタイトであれば、飛行機に乗れなくなることもある。森さんもこの時乗り継ぎがあったが、幸いにも搭乗することができたという。
が、ベテランならいざ知らず、デビュー戦でいきなりこの状態では、生きた心地がしなかったとか。もし乗れなければ、添乗員の責任問題になりかねない。
添乗員のせいでなくても、参加者の立場に寄り添うこと
何らかの理由で自分も参加者も飛行機に乗れない――これは“添乗員あるある”だ。
悪天候、航空会社の機材不備や遅延などであれば旅行会社は免責になり、添乗員の責任は問われない。しかし、そうは問屋が卸さないことも。
森さんも、今年ドイツ・フランクフルトでの乗り継ぎで、飛行機が欠航。引率していた参加者たちは二つの飛行機に分かれて、最終目的地のハンガリー・ブダペストまで行くことに。森さんは最初のグループの飛行機に乗ったので、次のグループが乗る飛行機が到着し、ちゃんと自分たちと合流するまで、またもヒヤヒヤすることになる。
「それだけならいいのですが、最初に到着したグループのスーツケースがロスバゲになっちゃいました。3日間スーツケースが私たちの手元に来なかったのです。荷物が届くまで、メールなどで情報を追跡するのも添乗員の役目です」
ロスバゲとは「ロストバゲージ(Lost Baggage)」の略称で、手荷物として預けたスーツケースが降機地の空港で出てこないことだ。コロナ以降、多くの空港で人手不足となった。特に乗り継ぎの飛行機に荷物を搭載しきれなくて、ロスバゲが増えているという。
繰り返すが、これは添乗員のせいではない。
言葉がていねいすぎて、内容が頭に入ってこないとクレームが
それでも、スーツケースに入れた着替えがないので同じ服を着続けないとならないなど、やり場のない怒りを、目の前の添乗員にぶつける人もまれにいる。
「そこで『私の責任ではないです』と返すのではなく、『そうですよね、本当に困りますよねえ。お荷物の状況は常にお知らせしますよ』とあくまでお客様の立場に寄り添うことが大事です」と、森さんは言う。
いつでも参加者の立場に寄り添う、これは添乗員にとってもっとも大切なことの一つだと力説する。
「それが添乗員になりたての頃、私に足りなかったものです。例えば、バスの車内などでマイクを握って行程や注意事項を説明します。が、CA時代のクセで、どうしてもていねいすぎる言葉遣いになってしまったんです」
それのどこがいけないのか? と思う。しかし、旅行終了後のアンケートで参加者から悪い評価をもらい意思消沈したそう。次の添乗までに気持ちの切り替えができないことが続いた。
「そこに書いてあったのは『あなたの説明は、何をどうしてほしいのかわかりづらかった。もっとシンプルに伝えるべき』みたいなニュアンスでした。特に敬語や謙譲語に慣れてない若い世代の方からそんなお声が届きました」
もちろん森さんは尊敬語や謙譲語は相手を思って使っているが、若い参加者にはどうにも回りくどく感じたのだろう。CA時代はシートベルトを締めろなどの定型文が多く、参加者も聞き流すこともあるが、添乗員はいろんなケースで重要な説明をしなければならない。
たとえば「翌朝は早い出発とさせていただきますので、ホテルのレストランで朝食を召し上がっていただくことがおできになりません。そのため、小さなお弁当をホテル側でご用意いたしました。それをみなさまにお配りさせていただきますので、恐れ入りますが電車内でお召し上がりください」といった説明。
誇張した例だが、よくよく聞けば理解できる。しかし夜遅いホテル到着や長い旅路で疲れている場合は頭の中が混乱する。“いったい、朝食は食べられるのか? 食べられないのか? どっちだ?”と、参加者はイラッとなるわけだ。
ならば「明日は早朝出発なので、朝食にお弁当を配ります」でいい。
CA時代に長い間使っていた「お化粧室」も、「トイレ」か「お手洗い」でいい。
「ほかにも、融通が利かないといった、仕事のやり方に対する不満も書いてありました。曲がりなりにも接客のプロとして長年携わってきたのに、プライドは粉々ですよね」
カスハラで理不尽な目に遭うことも
さらに、添乗員が同行する旅行は全体的に年配層が多く、彼らの中には“カスタマーハラスメント”=カスハラを起こす者もいる。森さんはひどいカスハラを受けたことはないが、同僚は理不尽なクレームを受けたこともあるそうだ。
そしてこれほど責任が重い仕事にかかわらず、添乗員の報酬はあまり良くない。旅行業界の構造の問題で、利益が薄いのも一因だ。
だから仕事へのモチベーションが保てず、森さんの心が折れそうになることもあった。軽い帯状疱疹にかかって、添乗中止になったこともある。添乗員の体調不良で参加者に迷惑をかけるのはありえないことなのだ。
「でも、ここでやめたら負けになると思って踏ん張ってきました。CAの時とは違って、添乗員はどうしても“やりきった!”と思えるまで続けたかったんです」
そう、森さんは“負けず嫌い”だ。
60代は働き盛り、70代で現役バリバリの添乗員もいる
しかし、プラスマイナスで考えれば、良いことのほうが上回る。
添乗員は若手の人材不足から、50〜60代は働き盛り。70代のベテランがチーフ添乗員として大型の団体旅行を牽引することもある。
つまり世間の会社であれば、そろそろお役御免になりそうな年齢であっても、この業界では大いに必要とされる。
森さんのように異業種からの転身も多く、大手電気会社から定年後に添乗員になって活躍している男性もいる。ほかの仕事と掛け持ちする兼業添乗員も多い。
実際に森さんが添乗員の資格を取る際、一緒に学んだ同期は、似たような年代の人が多かったので気後れすることはなかった。
行ったことのない添乗先は、先輩添乗員が懇切丁寧にレクチャーしてくれる。たまに百戦錬磨の先輩と同じツアーに出ることもあるので、人間関係がグッと豊かになる。
ちなみに、資格は民間資格。一定期間の座学や添乗講習を受け、その後筆記試験で合格となれば晴れて添乗員になる。「国内」の後に「総合」と呼ばれる国内と海外添乗員の資格を取れば海外へ飛べる。試験の合格率は90%以上と高く、海外添乗に必要な英語力は高校卒業程度で十分なので、門戸は広い。
古希を迎えても、人と社会の役に立っている喜びが支えに
年齢的に海外の添乗が体力的にきつくなっても、国内の仕事は次々とオファーが来るほどたくさんある。
参加者たちと同じように楽しめるわけではないが、行きたかった旅先や未踏の地に行けたり、豪華客船に乗ったり、ご当地のおいしい料理が食べられたりする。
バチカン市国・バチカンミュージアムの『最後の審判』や、イタリアのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の『最後の晩餐』を見たときの感動は忘れられないと、森さんが言うように、役得は何かとある。
そして「本当に楽しかった。またあなたが添乗する旅に参加したい」と言う参加者からの言葉が何よりのご褒美だ。
もうすぐ古希を迎えようとしているが、立派に人の役に立ち、社会の活動に携わっている喜びは大きい。
「前職を辞めた後、あのまま何もせずに家にいたら、鬱っぽくなったでしょう。いろいろと大変なことはありましたが、添乗員になってよかったと思っています」と森さんは朗らかに笑う。
添乗員の辞め時を考えることもあるというが、当分海外や国内を飛び回る生活が続きそうだ。