長く先送りにされてきた、安定的な皇位継承の在り方の議論が、今国会でようやく本格化しそうな気配を見せたものの、早々に暗礁に乗り上げ、会期中の決着は先送りにされた。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「皇室継承問題をこじらせている最大の要因は、政府が、今の皇室典範が抱える『構造的な欠陥』に手をつけず、天皇陛下から秋篠宮殿下、さらに悠仁親王殿下へという今の皇位継承順序が“変更されない”範囲内で、事態の打開策を探ろうとしているからだ」という――。
玉川大学のビオトープを視察される秋篠宮さまと悠仁さま。2024年4月6日午後、川崎市麻生区(代表撮影)
写真提供=共同通信社
玉川大学のビオトープを視察される秋篠宮さまと悠仁さま。2024年4月6日午後、川崎市麻生区(代表撮影)

先送りされ続けてきた皇室典範改正

安定的な皇位継承を可能にする皇室典範の改正は、政治が責任を持って速やかに解決すべき最優先の課題だ。にもかかわらず、これまでいたずらに先送りされ続けてきた。

平成29年(2017年)6月、上皇陛下のご退位を可能にした皇室典範特例法が制定された時に、国会では政府に対してこの問題への速やかな取り組みを求める附帯決議が、全会一致でなされた。

その決議では、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家等について」と検討課題が明記されていた。

しかし政府が設置した有識者会議の報告書が提出されたのは、特例法が施行されてから3年も経過した令和3年(2021年)12月。しかも驚いたことに、その報告書は附帯決議が求めていた「安定的な皇位継承」「女性宮家」についてまったく“白紙回答”だった。

その上、勝手に論点をすり替えて“目先だけ”の皇族数の確保策を提案する内容で、提案された皇族数確保策の中身も問題だらけというお粗末さ。

行き詰った国会の全党協議

しかし国会では自民党などの主導により、問題を抱えた報告書をベースにした協議が開始されることになった。額賀福志郎衆院議長が前のめりな姿勢を見せ、通常国会の会期中での決着が目指された。これはおそらく岸田文雄首相の意向を受けてのことだろう。

しかし、衆参正副議長の呼びかけという形で、全政党・会派が一堂に会して毎週1回のペースで協議を行う全体会議が5月17日にスタートしたものの、翌週の会議でいきなり中断することになった。今後はしばらく、衆参正副議長が各党派の意見を個別に聴く方式に、転換する。

これによって、当初もくろまれていた通常国会中での拙速な決着は、不可能になった。リーダーシップを取ろうとしていた額賀氏としては、とんだ汚点を残したことになる。なぜこんなつまずきが生じたのか。

前代未聞の「家庭」が生まれてしまう

つまずきの理由は、報告書で提案されていた皇族数確保策の中身があまりにも荒唐無稽なために、立憲民主党などがそのまま受け入れにくいためだ。

そこで提案されている方策の1つは、内親王・女王がご結婚とともに皇族の身分を離れられるこれまでのルールの変更だ。従来のルールままだと、皇室には秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下お一人だけしか残らなくなってしまう。なので、それらの女性皇族方がご結婚後も皇室に残られるルールに変更する。

ただし、女性皇族の配偶者とお子様は、男性皇族の場合と違って「国民」と位置付ける、という内容だ。

これだと、一つの家庭の中に憲法第1章(天皇)が優先的に適用される皇族と第3章(国民の権利及び義務)が全面的に適用される国民が混在する、という極めて不自然な制度になる。附帯決議にあった「女性宮家」とはほど遠く、家族は“同じ身分”が原則となった近代以降、まったく前代未聞の家庭が生まれる。

この点について、立憲民主党の野田佳彦元首相は以下のように問題点を指摘している(『文藝春秋』4月号)。

「女性皇族の配偶者は一般国民のままですから、あらゆる自由が認められることになります。たとえば配偶者は政治活動を自由に行うことができますし、投票権もある。『私はこの党に票を入れました』なんてSNSに投稿することだってできる。職業選択の自由がありますから、タレントにもなれるし、表現の自由も認められているので、自分の政治的な主義主張を発信することもできます。二人の間に生まれた子供たちにも、(国民であれば)そうした憲法上の自由が保障されなければいけません」

皇族と国民の夫婦・親子が抱えるリスク

社会通念上、夫婦や親子など家族は“一体”と見られがちだ。そうであれば、内親王・女王の配偶者やお子様の国民としての自由な振る舞いは、そのまま内親王・女王の振る舞い、さらに皇室そのものの振る舞いと受け取られかねない。

しかし制度上は一般国民である以上、憲法によって保障された自由や権利が恣意しい的に制約されることがあってはならない。もし法的根拠もない勝手な扱いが許されると、他の国民にも同じやり方が拡大される危険性をはらむ。

そうすると先のプランは、憲法が天皇の地位について公正中立・不偏不党が期待される「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」と規定し、政治への関与を禁止することとも、明らかに抵触する。

新年一般参賀にて、お出ましの皇族方に旗を振る人々
写真=iStock.com/Tom-Kichi
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女性皇族も国事行為を代行する可能性が

しばしば見逃されがちながら、内親王・女王も制度上、天皇の国事行為の委任を受けたり、それを全面的に代行する摂政に就いたりする可能性がある(「国事行為の臨時代行に関する法律」第2条、皇室典範第17条)。皇室の高齢化、少子化の趨勢の中で、その可能性はより高まるはずだ。

内閣総理大臣を任命したり国会を召集したりするなど、天皇の代行に当たる可能性がある女性皇族の配偶者やお子様が一般国民という制度は、無理で無茶というほかない。

したがって普通の感覚に立てば、立憲民主党などがそのようなプランにたやすく同意できないのも当然だろう。

国民民主党の玉木雄一郎代表は先頃、衆参両院議長から各政党・会派への個別の意見聴取を受けた際に、女性皇族の配偶者やお子様を「準皇族」とする新しい身分を設ける提案を行っている(6月19日)。しかし、憲法自体が「国民平等」原則の例外枠とする皇族で“ない”以上、そのような身分は憲法第14条が禁止する「貴族」(第2項)に当たるし、「社会的身分」による差別(第1項)を持ち込む制度だから当然、認められない。

疑問だらけの旧宮家養子縁組プラン

政府提案のもう一つは、皇室を離れてすでに80年近くになるいわゆる「旧宮家」系の子孫男性に対して、今の皇族との養子縁組によって、新しく皇族の身分を与えようというプラン。しかし、これも問題が山積みだ。

そもそも、女性皇族とのご結婚という心情的な結びつきもなく、いずれ皇室にふさわしい国民女性と結婚して男子(!)に恵まれることが“至上命令”とされる厳しい条件下で、自ら国民としての自由や権利を手放して皇籍を取得しようとする該当者が果たして現れるか、どうか。また、そのような養子を迎え入れて「養親」になろうとする皇族がおられるか、どうか。

もっぱら“男子確保”の目的によって、不自然な形で皇族になった男性(プランでは皇位継承資格なし)に対して、幅広い国民が素直に敬愛の気持ちを抱けるか、どうか。率直にいって疑問だらけだ。

さらに、国民平等の例外枠である皇室の方々(皇統譜に登録)ではなく、“国民の中”から旧宮家系という特定の家柄・血筋=門地の者(戸籍に登録)だけが、他の国民には禁止されている養子縁組(皇室典範第9条)を例外的・特権的に認められるプランは、憲法が禁じる「門地による差別」(第14条)に当たる疑いが、いまだに払拭されていない。

その上、旧宮家系子孫男性は広い意味では「皇統に属する男系の男子」であっても、歴史上の源氏や平家などと同じく、すでに“国民の血筋”となっている。何より当事者自身も「皇統に属さない」という自覚を持っている(竹田恒泰氏『伝統と革新』創刊号、平成22年[2010年])。

その旧宮家系子孫から将来、もしも天皇に即位する事態になれば、これまでの皇統はそこで断絶する。旧宮家系という国民出身の“新しい王朝”に交替する結果になる。とても危ないプランだ。

だから、このような提案に対しても即座に同意できない党派が国会に存在するのは、当たり前だろう。

政府が欠陥を抱えたプランを持ち出してきた理由

皇位継承問題をめぐる国会での合意づくりが難航している。その原因は、ここで述べたように自民党などが議論の土台にしようとしているプラン自体が、あまりにも大きな欠陥を抱えているからにほかならない。

では、政府がこのような疑問だらけのプランを持ち出してきた理由は何か。

そもそも皇位継承の未来が不安定化している背景は、今の皇室典範が抱える「構造的な欠陥」による。その構造的な欠陥とは、とっくに排除された側室制度があってこそ持続可能性を期待できた明治以来の「男系男子」限定ルールを、“一夫一婦制”の下でも見直さずに維持しているミスマッチだ。しかも、しばらく前から“少子化”というトレンドが加わっている。これでは行き詰まるのは当然だ。

京都大学准教授の川端祐一郎氏は、今後も「男系男子」限定ルールをそのまま維持した場合、生まれる子供数の平均を現在の合計特殊出生率の1.20より多めの1.5人と仮定しても、平均寿命を81歳と見て皇室の現状を踏まえると、早くも西暦2086年に皇統が途絶える可能性が最も高い、とシミュレーションしている(『表現者クライテリオン』令和4年[2022年]3月号)。

にもかかわらず、政府はその欠陥ルールをあたかも不動の前提のように扱って手をつけず、それによって規定された天皇陛下から秋篠宮殿下、さらに悠仁親王殿下へという今の皇位継承順序が“変更されない”範囲内で、事態の打開策を探ろうとしている。これでは、まともなプランを導けるはずがない。

皇太子と傍系「皇嗣」の違い

一部に誤解があるようだが、秋篠宮殿下はあくまでも傍系の「皇嗣」であって、「直系」の皇嗣=皇太子・皇太孫ではない。

皇嗣とは皇位継承順位が第1位の皇族を指す。しかし同じ皇嗣でも、傍系の皇嗣と天皇のお子様で皇嗣いらっしゃる「皇太子」や、皇太子が不在の場合に皇嗣たるお孫様がおられた場合の「皇太孫」などとは、お立場が異なる。

その違いを簡単に列挙すると以下の通り。

皇太子は次の天皇として即位されることが確定したお立場。これに対して、傍系の皇嗣は“その時点”で皇位継承順位が第1位であるお立場にすぎない。
実際、過去にしばらく昭和天皇の弟宮の秩父宮が傍系の皇嗣だったものの、皇太子(上皇陛下)がお生まれになったために、その地位が変更された実例がある。
理論的・一般的に考えても、直系の男子が誕生すれば当然、これまでの制度のままでも、傍系の皇嗣は“皇嗣”でなくなる。
目の前の現実を見ても、秋篠宮殿下は天皇陛下よりわずか5歳お若いだけ。なので不測の事態でも起きないかぎり、次の天皇として即位されることはリアルに想定しにくい。

皇室典範の規定では、傍系の皇嗣について「やむを得ない特別の事由があるときは」皇籍離脱の可能性を認めている。これに対して、皇太子・皇太孫の場合はもちろん、そのような可能性はいっさい排除されている(第11条第2項)。これは大きな違いだ。

同じく皇室典範の規定では、本人に「故障」があって他の皇族が先に摂政に就任した場合、傍系の皇嗣ならその故障が解消されても、他の皇族がそのまま摂政を続ける。しかし、皇太子・皇太孫なら直ちに摂政に就く(第19条)。これも見逃せない違いだ。

②③のような重大な違いがあるので、先の特例法では「皇室典範に定める事項については、皇太子の例による」(第5条)との規定によってカバーしている。

「敬意」の程度も異なる

傍系の皇嗣のお住まいは一般の皇族と同じく「宮邸」と呼ばれる。具体的には、秋篠宮邸の大がかりな増改築工事が行われても、呼称は元のままだ。
皇太子なら「東宮御所」。天皇のお住まいの“御所”と共通する敬意を尽くした呼び方だ。

“外出”の呼び方も、傍系の皇嗣は一般皇族と同じく「お成り」。皇太子はより敬意を含んだ「行啓ぎょうけい」。皇后・皇太子妃なども同じ。

皇宮警察本部による護衛体制も、皇太子なら独立の担当セクション(平成時代における護衛第2課)が設けられる。これに対して、傍系の皇嗣だとそのような扱いはない(令和の護衛第2課は秋篠宮家だけでなく、他の各宮家もあわせて担当)。

具体的な護衛の在り方も、秋篠宮殿下がお車で移動される場合、前後に警察車両が1台ずつで交通規制がない。これに対して、平成時代における皇太子(今上陛下)の場合は、前後の警察車両1台ずつに加えて、先導の白バイ2台、後ろにも側衛車の白バイ2台、さらに交通規制あり、という形だった。

問題解決への唯一の道筋

以上のようであれば、内閣の意思によってまったく前例のない「立皇嗣の礼」が国事行為として行われ、その関連行事として皇嗣のしるしとされる「壺切御剣つぼきりのぎょけん」が天皇陛下から秋篠宮殿下に預けられても、それはあくまで秋篠宮殿下が“傍系の皇嗣”である事実に基づくものでしかない。それらの行事によって、秋篠宮殿下が次の天皇として即位されることが確定したので“ない”ことは、明らかだ。

したがって、現在の欠陥ルールによる皇位継承順序を固定化して考える必要はない。というより、それを固定化してルール自体の見直しに手をつけなければ、安定的な皇位継承は決して望めない。

国会は自らの附帯決議の原点に立ち返り、これまでのしがらみ排して「安定的な皇位継承」を可能にする最善の方策を、今からでも真剣に探るべきだ。そうすれば、天皇・皇后両陛下に敬宮としのみや(愛子内親王)殿下というお健やかでご聡明、優美にして親しみにあふれるお子様が現におられるにもかかわらず、ただ「女性だから」というだけの理由で皇位継承資格を認めず、「皇太子」にもなれない時代錯誤なルールを改正することこそが、問題解決への唯一の道筋であることに気づくに違いない。