若者に人気、通称ミセスのMV「コロンブス」が公開停止
2024年6月12日に公開された人気J-POPバンド、Mrs. GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル、以下ミセス)のミュージックビデオ(以下MV)「コロンブス」が人種差別的だと問題となり、翌13日午後には公開停止の措置が取られた。
一連の出来事における問題、また改善すべき点は何か? わたしはこれは単にアーティストだけに責任を帰すべきものではなく、日本テレビと小学館による漫画『セクシー田中さん』ドラマ化の際のトラブルのように、構造的に起こるべくして起こった問題だと考えている。
アーティストを取り巻くレコード会社(ユニバーサルミュージック)、所属事務所、そして実制作にあたった監督らクリエイターたちのどこにどのような責任があったのだろう。
この件について6月13日から14日にかけてわたしはX(元ツイッター)で投稿したが、いくつかのポストは表示回数が1000万回、490万回、200万回、150万回などとかなり多く、世間の関心の高さがうかがい知れた。
紅白初出場、レコード大賞受賞という成功の直後に炎上
まず、ご説明したいが、ミセスは10代、20代に人気のバンドで、いまの40代、50代の世代でいえばGLAYやミスチルのようなメジャーな存在感を持つ。今回の騒動で初めて名前を聞いた大人からすると「?」かもしれないが、2023年末には紅白歌合戦に初出場し、「ケセラセラ」で日本レコード大賞の大賞も取った、まさに人気絶頂のアーティストである。
作詞・作曲を手がけるボーカル・ギターの大森元貴は1996年生まれの27歳。中性的な印象すら与える高音の伸びと、繊細な歌い分けが特徴的で、メロディアスな楽曲が多い。歌詞は生きづらさを認めつつも自己の存在を肯定する、前向きなものが多い。高校時代にバンドを結成して10年以上になるが、若くしてメジャーシーンに登場したこともあり、BUMP OF CHICKEN(通称バンプ)のように息の長い人気を保つバンドになるのかもしれない、とわたしは見ている。
MV「コロンブス」が暗示した植民地主義や人種差別
8歳のわが子もミセスのファンで、自宅でよく聴いている。小学校の給食の時間の放送でもよくかかっているそうだ。そこで今回のMV「コロンブス」も公開されてすぐにチェックしたのだが、一見して「これは流して大丈夫なものなのか?」と不審に思った。
ポップに仕上がりながらもビジュアル上で植民地主義や人種差別が丸出しで、初見では「黄色人種である日本人が『あえて』これをやる」という皮肉……? とも思った。しかし、それは明るく王道の楽曲を出してきたバンドイメージにそぐわない。疑問に思ううちに、非公開措置をとった旨のプレスリリースがユニバーサルジャパンから13日に出された。
以下、「コロンブス」MVで確認した場面と、その図像からはこう読み取られても致し方ない、という歴史的事実を3つのポイント別にご紹介する。
ポイント1、トロピカルな島の猿人の家に「土足」で入るコロンブス
・バンドの3名がそれぞれコロンブス、ナポレオン、ベートーベンという白人の「偉人」のコスプレをしている。曲名でもあるコロンブスは、近年ではアメリカ大陸の「発見者」から「到達者」と言い換えられ、「奴隷商人」としての側面に光が当たるようになり、評価が大きく変わった人物だ。
・冒頭で、着ぐるみの猿人(類人猿)の家に、コロンブスたち「偉人」3名が土足で入ってくる。猿人はかつての「未開人」「土着民」や「先住民」を連想させ、この出会いは「入植」「侵略」をイメージさせる。
・猿人たちの家はトロピカルな南の島にポツンと立っている。トロピカルな海=太平洋やカリブ海は、欧米列強の帝国主義によって占領、略奪、殺りくの場となった地域だ。事実、コロンブスが到達したのも、アメリカ大陸ではなくカリブ海のバハマ諸島である。
ポイント2、コロンブスら白人が猿人に楽器・騎馬・練兵などを教育
・ベートーベンが猿人に、ピアノのような西洋楽器の弾き方を指導する。西洋の近代楽器は、世界各地の民族楽器に比べてはるかに「鳴りがよい」ことが特徴だ。しかしその西洋の楽器の発展は、南米のポトシ銀山など、第三国からの富の収奪の上に成り立ったという歴史がある。
・ベートーベンは猿人の弾き方を否定して教えるが、猿人はそもそもオリジナルの音楽を持っていたであろうことが、楽器がすでに猿人の家にあったことから推察される。
・ベートーベンは無文字社会に生きてきたと思しき猿人に楽譜の読み方を教育する。これは北米・南米大陸が当時無文字社会であり、それもあって入植者に騙されやすかったという史実に合致する。
・ナポレオンが騎馬法を猿人に指導する。西洋の「騎馬技術」は、コロンブスによるアメリカ到達後、スペインにより北米、南米大陸に広まったものであり、これもアメリカ入植の歴史をなぞっている。
・騎馬指導を受けた猿人たちは、ナポレオンのかたわらでナチス的にも見える「軍隊式敬礼」を行う。
ポイント3、猿人は3種類、黒人・ヒスパニック・アジア系を想起
・人力車が登場し、それに乗るのは白人役のバンドメンバーで、引くのは猿人の中でも特に色の濃い「黒人」とおぼしき着ぐるみを着た人種だ。猿人の毛の色には濃淡があり、少なくとも3色に分かれており、黒人、ヒスパニック、アジア系の3種を暗示するように見えた。
・コロンブスが長いテーブルの上座に「座長」として着席し、彼以外の猿人たちは被支配者のように座っている。コロンブスの背後の壁にはバッファローの角飾り。バッファローはネイティブアメリカンの生活を支えていた動物で、入植者に大量虐殺された歴史がある。
・卵を持って戸惑う猿人たちを尻目に、コロンブスは誇らしげに卵にヒビを入れて立ててみせる。これはよく知られた「コロンブスの卵」の逸話だ。MV中では白人が猿人(有色人種、先住民)に「ものを教えてやる」という上から目線のシーンが散りばめられている。これは世界史を紐解けば入植に伴う「教育」、つまり言語・宗教の強制や、その後の強制労働等を暗示しているととられても仕方ない。
このように、ごく一部を取り出してご紹介するだけでも、驚くほど「アウト」なイメージが散りばめられたMVなのだ。単なる「無知による偶然」というよりは、コロンブスのアメリカ到達が発端となって起こったその後の先住民からの収奪・搾取の歴史を、むしろ「忠実、そして巧妙に」そしてポップに明るく仕立てたものに見えた。
レコード会社とアーティストによる謝罪は早かった
一連の出来事で評価できるのは、まず、ミセスの所属するユニバーサルミュージックの迅速な対応だ。リリースから24時間以内にMV公開停止、広報文を出したことだ。
そのプレスリリースには「本映像はMrs. GREEN APPLEの所属レーベルであるEMI Recordsと所属事務所Project-MGAで制作」と制作者を明記。「歴史や文化的な背景への理解に欠ける表現」と公開停止理由もはっきりと書き、「当社における公開前の確認が不十分」とチェック体制の不備を認めている。
本邦でのこのような件におけるお詫び文としては、かなり簡にして要を得たものといえよう。いわゆる「ご不快に思わせたならごめんなさい」系のお気持ち謝罪ではなかった。
また同日、ミセスのボーカル大森元貴もバンドのオフィシャルサイトでメッセージを掲載している。MV制作にあたり「・年代別の歴史上の人物 ・類人猿 ・ホームパーティー ・楽しげなMVという主なキーワードを、初期構想として提案しました」「『コロンブスの卵』というキーワード」とあり、おそらく制作クレジットの一番上に彼の名前があったのは、こういった全体のおおまかな方向性、アイデア出しを最初にしたということだろう。
アーティスト本人のお詫びがMV公開停止の当日に出たこと自体、評価できる。例えば椎名林檎のツアーグッズが、障害や病気を抱える人たちのためのヘルプマークに酷似しており販売停止となったときには、最後まで椎名林檎本人の声明が出ることはなく、ファンの間にはフラストレーションがたまっていたからだ。
ボーカル大森元貴の謝罪文から透けて見える3つの問題
一方、大森の謝罪メッセージには気になる点が3点あった。
1点目は「類人猿が登場することに関しては、差別的な表現に見えてしまう恐れがあるという懸念を当初から感じておりました」「スタッフと確認し合い」とある。アーティストが抱いていた懸念を、周囲が打ち消して制作が進められたようだ。
しかし、MVの監督(ディレクター)やレコード会社は何をしていたのか。チェック体制に問題があったといわざるをえない。ここは検証され、公表が望まれる。歴史をモチーフに扱うのなら、考証やコーディネーターをつけるべきだっただろう。
コカ・コーラは「コカ・コーラ社はいかなる差別も容認しておりません」「弊社ではミュージックビデオの内容に関しましては、事前に把握をしておりません」とまったくMVに関与していないと声明を出した。
だが「コロンブス」の歌詞には「炭酸の創造」「乾いたココロに注がれる」など、コカ・コーラを直接想起させるワードが散りばめられており、そもそもコカ・コーラありきでつくられた楽曲であることは明白だ。MV中にも透明なコップに入ったコーラとおぼしき飲料が繰り返し出ていた。
ビジネス上のリスクより、大前提の「人権意識」を
2点目は「前向きにワクワクできる映像にしたいという気持ちが、リスクへの配慮をあやふやにし」という言葉だ。もしかすると「差別表現にあたらないか」「誰かの尊厳を傷つけるものにならないか」ということを書きたかったのかもしれないが、それを「リスク配慮」という短い言葉にまとめるのは非常にビジネスライクである。
再発防止のためには、「リスク」ととらえず今回の映像表現が「差別問題」「歴史問題」に抵触したのだ、という自覚したほうがよい。多くの若者に届く言葉を持つアーティストだからこそ、ぜひ世界標準の人権意識を持ってほしいと願う。
なお、「若者の無知」「無教養」を責める論調もSNSでは多く見られたが、その批判は妥当ではないと思う。高校生からバンドを始め、ずっと音楽をやってきた27歳の男性が、世界の歴史について正しく(それも、アメリカやヨーロッパでアップデートされた「現代的な歴史」を)学ぶ機会がなかったとしても、仕方ないのではないか。
なぜなら日本の高校では世界史は選択科目であり、履修しない生徒も多い。また履修してもここまで先住民への加害の歴史は詳しくは教えないからだ。
27歳のアーティストに正しい歴史を教えられなかった責任
若い人の歴史への無知を笑うよりも、それを教えてこなかった大人の側、覆い隠している社会の側に責任がある。もちろん彼はアーティストであり、歌をつくり歌い、届ける人なのだから、今回のことを機会として、ぜひアップデートしていってほしい。
3点目は「上記のキーワードが意図と異なる形で線で繋がった時に何を連想させるのか」という言葉だ。だが、意図を持ってアイコニックな点をたくさん用意し、それらをつなげた「誰か」がいたために、植民地主義的思想を連想させる今回の仕上がりになったのだ。
おそらく「時代を超えたホームパーティー」というバンドからのお題ならば、監督とクリエイティブチームによっては「パリピな感じで時を超えて偉人と他の動物がウェイウェイしているビデオ」が仕上がる可能性も大いにあったはずだ(とはいえ、「コロンブス」を出す時点で地雷をひとつ踏んではいるが)。
植民地支配の歴史に詳しい誰かがディレクションしたはず
先ほど述べたように、「コロンブス」MVでは、白人の開拓者が、南洋の先住民の家に土足で上がり込み、猿人たちに、文字を、器楽を、騎馬を、練兵を教え、奴隷のように人力車を引かせ、また猿人の色の濃さで区別して使役し、バッファローの角飾りの前で知識をひけらかし、テレビの中の猿人同士の殺し合い(「モンキーアタック」というタイトルのビデオテープ)を鑑賞し、コカ飲料を飲んで娯楽とする。そして飽きたあと乱暴にドアを閉めて立ち去るが、そこにはラジオが残されており、引き続き白人の情報が入ってくる仕組みが設置されている。
東京都出身で現在はアメリカ在住、ネイティブアメリカン・ユロック族の男性と結婚した亜希ダウニングさんは、MV中の映像「モンキーアタック」について、こう指摘する。
「2匹の類人猿のうち1匹は負傷していて倒れている。その類人猿を抱きかかえるもう1匹の類人猿。これ、負傷した類人猿は白いハチマキを、抱きかかえる類人猿は赤いハチマキをしているんです。もう気づいた方もいますね。
白いハチマキ=白人、赤いハチマキ=ネイティブアメリカン
もうこの色分けはアメリカでは定番中の定番。
しかも白いハチマキをしているのは少し白い類人猿、赤いハチマキをしているのは茶色の類人猿なんです。」
(先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題)
これほどまでに植民地支配の歴史に「忠実な」アイコンを散りばめてビデオをつくるには、実作業にあたった監督か脚本家がこのように意図しなくてはできなかったはずだ。わたしはとりわけ、テレビの画面の中の殺し合いを、安楽なリビングでコカ・コーラを手に眺める、という場面は、ガザの虐殺が続く裏側でアメリカではスーパーボウルやメットガラという華やかな行事が行われていたことを連想させ、これは痛烈な皮肉なのか一体なんなのか、と胸が痛くなった。
このままでは日本の意識の低さが海外で問題になる
このMVをこのようにつくり込んだ人間は誰なのかわからず、今回の件でまったく声明は出していない。だが、こんなビデオをつくるのなら(歴史批判自体はまったく自由だとわたしは思う)それがアーティストの世界観や楽曲のメッセージ、また今回はコカ・コーラのタイアップ曲だったのだから、クライアントの意向に合致しているかどうかを確認しながら実行すべきだ。
今回の件は、日本の人気バンドが差別表現の入ったMVを発表した、とBBCのニュースにもなった。外交問題にも発展しかねないデリケートなイシューを弄んでいるのである。このように植民地主義や先住民迫害の歴史を暗喩するアイコンを、意図もはっきりさせず、声明も出さずに、いたずらに散りばめるようなものづくりは、ステークホルダーの多いクライアントワークではなく、自身の「作品」ですべきことだろう。