出生率低下はお金のせい“だけ”ではない
もはや誰も驚かないことではあるが、日本の少子化スピードが危機的な状況だ。6月5日、厚生労働省が発表した2023年の人口動態統計で、1人の女性が一生に産む子どもの数の平均値を示す合計特殊出生率が1.20であったと明らかになった。
今年2月の厚労省発表でも知らされていた通り、そもそも出生数が戦後最少だった。子どもを出産する母の側においても、第1子出生時の平均年齢が初の31.0歳へと上昇し、ひと昔まえの感覚では「高齢出産」と呼ばれていたような初産年齢が、現代の日本では平均値となっている。
6月5日に成立した、子ども・子育て支援法などの改正法の内容は、かなり“金額的に”スピード感のある内容になっているが、その「異次元の」と銘打たれた少子化対策がどこまで実効的に日本の若い世代を出産・子育てへ導くのか。それは現実の出生数をどこまで増加させるのか、金銭的に支援されれば“子産み”は促進されるものなのか。そして出生率低下トレンドは反転しうるのか。
日本縮小のスピードの鈍化には貢献するであろうと一定の評価はしつつも、出生率の劇的な改善には疑念を隠せない識者が多いが、それは出生率低下の原因が経済的負担の問題だけではないからだ。
今回の“バトル”は何かが違う
「“子持ち様”は優遇されすぎ」と、子どもを持つ親を「子持ち様」と呼び、彼らの時短勤務や急な帰宅などによる仕事のしわ寄せが来ることを不公平だと批判するSNS投稿などが話題となった。これに対し、子どもがいない人を「子なし貴族」と呼んでマウントを取り合う様子も見られ、20年にわたりネットで火花を散らしてきた「子持ち 対 非子持ち」バトルの何度めかの再燃を遠い目で見る思いだ。
だが今回この問題に、悪意のこもった呼び名ではあるが「子持ち様」という名称が与えられたことで、これまでのバトルとは異色な点が明らかとなった。
これまでは、批判や揶揄の対象は「勝ち犬」のように結婚出産した専業主婦であったり、「子蟻」「キラキラママ」のように、育休取得や時短シフトするなど、仕事も続けながら子育てをする女性――つまり、女性の生き方の選択における「あっち側」と「こっち側」の間で起こる摩擦だったのだ。
男性も含めた「格差問題」になっている
ところが、今回の「子持ち様」には働く女性だけでなく、家庭や子育てを優先しながら働く男性のニュアンスもある。
現代の職場において、そして現代の子育て世代において、それだけ家族や子育てを重要視し積極的に関わるという人生の選択をしている男性が、これまでの日本社会とは異なり多数出現していることの表れだ。背景には、男性社員の育休取得促進や、コロナ禍で加速したリモートワークの広がりなど、働き方の多様化があるだろう。
そもそもいま、女性よりも特に男性にとってこそ、結婚できる、子どもを持つことができる、ということは重大な格差問題でもある。さらに妻も仕事を持っている、自分や妻が育休設定のある組織に所属している、なおかつ時短勤務やリモートワークが可能で働き方に余白がある、などというホワイトな環境は、もはや「恵まれし者の持ち物」であることに、社会はなんとなく気づいているのではないか。
「子持ち様」という呼び名は、ホワイト環境の恩恵を享受する条件にない社員側からの怨嗟。子育てか仕事か、のいわゆるワークライフバランス問題における摩擦が、2020年代はようやく男女共通のものとなってネットに出現したのである。もちろんそのシワ寄せに組織の側が気づき、人員や待遇面でフォローできればいいのだが、中小などホワイトな制度を敷くことで精一杯の企業ではそこまでの余裕がなく、こういった声が上がる。
第3次ベビーブームは起こらなかった
少子化の加速が叫ばれ、岸田政権が「異次元の少子化対策」とアクセルを踏み、官民で少子化対策にエネルギーが注ぎ込まれる中、出生率などの話題が出るたびに疎外感や「産まないこと/産まなかったことを責められている」との感想を抱いている人たちがいるという。
起こらなかった第3次ベビーブーム。その主役となるはずだった、現在アラフィフの団塊ジュニア女性には、そもそも子どもに興味がなく仕事をしたかったため積極的に産まなかったと語る人もいるが、90年代から10年代にかけての日本社会におけるさまざまな人生の帰結として「産みたかったけれど産めなかった」と明かす人も多い。
出産子育てを選ぶことは退職とほぼ同義だった。あるいは子育てしながら働き続けるにしても、専業主婦をよしとする価値観のもとでは、わがままな母親であるとされた。キャリアは子どもを産まない場合よりも明らかにスローダウン。子どもを産むことは、働く女性の人生に負の評価を生みがちだった。
4人に1人が「生涯無子」
その結果が、経済協力開発機構(OECD)のデータベースにおける、日本女性の先進国イチ、なんと27%の無子率だ。『#生涯子供なし なぜ日本は世界一、子供を持たない人が多いのか』(日経プレミアシリーズ)で、著者の福山絵里子さんは、人口学の定義では女性が50歳時点で子どもを持っていない場合を「生涯無子(チャイルドレス)」と判定すると解説する。
まさに現在アラフィフの団塊ジュニア女性がいまちょうどそこに当てはまるイメージだが、1970年生まれの日本人女性の27%、つまり4人に1人以上が「生涯子どもなし」であることが判明したのである。次いで高いフィンランドの無子率が20.7%であり、それを大きく引き離したダントツの結果だ。
また、若年女性における出産意思の低下も無視できない。先日発表された2023年の年齢別出生率では、25〜29歳の女性で最も落ち込み幅が大きく、若い世代の出産離れがあぶり出された。これを「経済負担や働き方改革の遅れから結婚や出産をためらっているのだ」と分析するのが大勢だが、ためらう以前に、そもそも彼女たちが上の世代を見た結果、日本という国に希望のある未来を描けておらず、出産を希望していないのだとの指摘もある。
子育て経験者はマイノリティ
あらためて「子持ち様」という言葉がうめき声のようにして上がってくる日本の職場環境を考えると、そこでは子育てを経験している人がマイノリティである可能性に気づく。
ある一定の年齢以上では、子育ては女性が退職してワンオペで担うものだったために、職場に残っている男性社員は特に、自分の子どもが幼いころの(本当の)子育てを真正面から経験していないことが多い。そして女性社員は、「生涯無子」と引き換えにそこにいる。若手は男女ともに晩婚傾向で、まだ結婚していない。この国における結婚出産に絶望して、子育ては自分にとっては一生他人事と感じている場合すらある。
その環境の中で、子育てしながら仕事もし、会社の制度を権利として使いながら子育ての一番しんどいけれど、いつか必ず終わりのある時期を乗り切る社員。
子育ての渦中で、自分のこともおざなりにひたすら日々の暮らしと仕事とをこなす母親や父親たちを「子持ち様」という冷たい視線で異次元扱いし、分断を生んでしまうのは、縮小していく国に出現した希望と絶望の歪んだコントラストなのかもしれない。