朝ドラの男性の登場人物の注目
「寅ちゃんができるのは、寅ちゃんの好きに生きることです。また弁護士をしてもいい。別の仕事を始めてもいい。優未の良いお母さんでいてもいい。僕の大好きな何かに無我夢中になってる時の寅ちゃんの顔をして、何かを頑張ってくれること。いや、やっぱり頑張んなくてもいい。寅ちゃんが後悔せず、心から人生をやりきってくれること。それが僕の望みです」。
NHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」が多くの人の支持を集め、絶好調だ。とりわけ、戦時色が濃くなった5月下旬の放送回からは、1話ずつの内容があまりにも濃い上、登場人物たちの喜怒哀楽が激しく交錯する波乱の展開が続き、朝から涙腺が「崩壊」している人も少なくないのではないだろうか。ちなみに、私もその一人だ。
実話をモデルにしたフィクションである本作を巡っては、主人公の猪爪寅子(伊藤沙莉)らが新たな時代を切り開こうとする中で直面する多くの困難など、主に女性の登場人物に対する指摘がなされてきた。放映後のSNSには、彼女らに自分を投影し、共感を寄せる投稿が数多く寄せられる。
そこで今回は、男性目線から捉えた男性登場人物の生き方や価値観に焦点を当て、令和の現代と何が変わって、何が変わっていないのか、今も日本が抱える社会課題と重ね合わせながら、考えてみたい。
寅子の夫の遺言
冒頭の台詞は、寅子の夫・優三(仲野太賀)が戦地に赴く前に、寅子の手を取りながら語りかけた言葉だ。結果的に遺言になった口調は優しさに溢れ、心の底から包み込むような視線を注ぐ。以前から好意を寄せながらも、叶わぬ恋と思っていた優三。日本初の女性弁護士になった寅子との結婚後も、彼女に対するリスペクトは何ら変わることなく、法廷に立ち、弁護士としてのキャリアを着々と積み上げていく寅子を全力で応援してきた。
妊婦になった後も働いていた寅子は、周囲から「仕事よりも子育てに専念すべき」との声にさらされる。女性弁護士の誕生に期待を寄せ、長らく慕ってきた大学女子部時代の恩師・穂高(小林薫)からも「それは仕事なんかしている場合じゃないだろう。結婚した以上、君の第一の務めは、子を産み、良き母になることじゃないのかね」との言葉を突き付けられ、絶望。仕事と子育てを両立させる道への限界を感じ、法律事務所を辞めた。
仕事を辞めて家事・育児の日々に転じた寅子に対し、優三は特に何も言うことなく、これまで通りに接してきた。そこに、召集令状が届いた。優三はこれまでの思いを一気に吐き出すかのように、妻が思うように生きることこそ、夫としての喜びだと伝えたのだ。
妻は「無能力者」とされた時代
当時は、明治時代に始まった家父長制が浸透し、女性は結婚すると男性の家に入るという意識が強く残っていた。ドラマの開始直後の回で取り上げられていたように、妻は「無能力者」とされ、夫の庇護のもと、責任能力や就労が制限されていた。
結婚しても、夫婦は平等ではなく、夫が圧倒的に力を持っていた明治民法の時代。そうした中、妻に好きに生きていいとの言葉をかける優三は極めて珍しかったに違いない。女性が抑圧され、とかく男性よりも下に見られていた時代に飛び出した、優三の出色な言葉に共感した現代の視聴者は、男性と女性のどちらが多いだろうか。
「妻をサポートする夫」という立場を受け入れた
寅子本人はもちろんのこと、両親も「その手があったか」と驚いた、家族同然の元書生・優三との結婚。弁護士になっても、案件の依頼がなく、あっても男性にお願いしたいと難色を示され続けた寅子の社会的地位・信頼を向上させるため、優三が自分との結婚を提案した。すると、寅子から「優三さんも社会的地位が欲しいと?」と逆質問を受けた。
当惑しながらも「独り身でいる風当たりの強さは男女ともに同じ」と答える優三は、自分が果たせなかった弁護士への道を実現させた寅子を間近で支えることで、自らの夢を寅子越しに映そうとしていた。
親権を巡る裁判で勝訴したとはいえ、依頼人の嘘を見抜けず、落ち込んでいた寅子にチキンを一緒に食べようと誘う優三。「全てが正しい人間はいないから」と励ました上で、思いを率直に伝える。「僕は寅ちゃんが高等試験を合格するか、諦めるかするまで受験を続けようって決めていた。つまり、僕は寅ちゃんに自分の人生を委ねていたんだ」。寅子が合格した時点で、叶えられなかった夢を寅子に託すことにしたのだ。
その夜のやり取りも印象深い。「どんな弁護士になりたかったの」と寅子から問われた優三は「弁護士になったら、法律の本を出したかった。僕が法律を学ぶ楽しさを知ったように、誰かにも伝えられたらなって」と答えた。寅子が「あら、本ならそのうち出せるわよ。『有名弁護士佐田寅子を育てた佐田優三の法律教本』なんてどう?」と屈託なく答えると、二人は笑い合う。妻をサポートする夫としての立場を受け入れた優三の決意や心意気が生き生きと伝わってくる。
働きながらも妻を支えることに力点を置いた生き方を選んだ
「男は戦場、女は工場で働く」を、戦時中における男女の性別役割分業と位置付けると、令和6年の今は「男は仕事、女は仕事と家事・育児」から「男も女も仕事と家事・育児」に少しずつ向かいつつある過渡期といえよう。優三は、寅子の父・直言(岡部たかし)の工場で働いていたものの、寅子を支えることのほうに力点を置いていた。その柔軟な性別役割分業意識は、現代であれば、さほど違和感なく受容されるのではないだろうか。
優三以外にも多くの男性が登場し、作品を盛り上げている。高等試験を断念した優三の生き方を描く一方、寅子の学友で高等試験に合格した花岡(岩田剛典)や轟(戸塚純貴)、裁判官の桂場(松山ケンイチ)ら「高等試験勝ち組」の男性像も細かく描写されている。寅子の同級生・梅子(平岩紙)に対し、夫のみならず長男も見下していた時代背景を活写していたのも、衝撃的だ。
女性を対等と認識しているかどうか
スマートで万人受けする花岡と、どこか無骨で表現下手な轟。外面のイメージとは異なり「女ってのは、優しくするとつけ上がるんだ。立場をわきまえさせないと」との女性蔑視発言をした花岡に対し、轟はただちに言葉の撤回を求め、激しく反論した。寅子の思いを知りながらも、故郷に戻って、別の女性と結婚するのを決めた花岡に対しても、轟は「お前のやっていることは、いずれも侮辱する行為なんじゃないのか」と追及する。以前は差別的発言を繰り返していた轟は、実は女性を対等と認識していたことが浮き彫りになるシーンだ。
妻には家庭に入ってほしいとする花岡の考え方は、当時はごく普通だった。轟の剣幕に「やっと掴んだ弁護士の道を諦めて嫁に来てほしいと言えと? もし、俺についてくると言われたら、大勢の人の思いを背負った彼女の夢を奪うなんて、俺にはできない」と答えた背景には、寅子が合格するまでの苦労を十分に知っているがゆえに、自分の価値観なんかで職を奪うわけにはいかない、との思いが見え隠れする。
「男だからって全部背負わなくていい」
「でも、今そんなこと言っていられる状況じゃ(ない)。僕は猪爪家の男として、この家の大黒柱にならないと」。
寅子の弟・直明(三山凌輝)は若干20歳にして、直言や優三の亡き今、大黒柱としての役割を背負うとの使命感を口にした。好きだった学業を志半ばで諦め、男手一つで頑張るとの悲壮感すら漂わせる直明に対し、寅子は「そんなものならなくていい。新しい憲法の話をしたでしょ。男も女も平等なの。男だからってあなたが全部背負わなくていい。そういう時代は終わったの」と声を張り上げた。今で言う「大黒柱バイアス」に陥りかけた直明の学費も含めて、自分が稼ぎ手の中心となって猪爪家を守り抜く決意を示したのだ。
法の下の平等を掲げた日本国憲法の概要を新聞で知った寅子は、優三からの温かい言葉を思い出し、大粒の涙を流す。「後悔せず、人生をやりきってほしい」との優三の思いを励みに、男女平等が実現することを確信して、再び司法の道へ歩み始めていく。
「妻を支える夫たち」の葛藤
戦後の昭和から、時代は平成を越え、新たな時代に突入した。長時間労働に代表される日本的雇用慣行のもとに男性優位社会が築かれ、いまだ家事・育児の負担は女性に偏っているのが実情だ。男性稼ぎ手社会の行き詰まりが指摘される中でも、「男がメインで稼ぎ、家族を養うべきだ」、「男たる者、かくあるべし」という男性性(男らしさを求める意識)の呪縛に苦しめられる。
男性の頑なな価値観は、女性パートナーの生活とキャリアを直撃し、女性もしわ寄せを受ける。共働きであっても「男は仕事、女は仕事と家事・育児」とする硬直的かつ固定的な性別役割分業意識は、令和の今も影を落とし、男も女も生きづらさに直面している。
普段はドラマをあまり見ない私が、「虎に翼」にすっかりハマったのはなぜか。海外勤務となった妻に同行するため、仕事を休職する形で一時的にキャリアを中断し、米国で駐夫を3年間にわたって経験した自らと、自分の夢を断念し寅子を支える立場を受け入れた優三との間に相似する何かを感じ取ったからだ。
自分のキャリアよりも、海外駐在というチャンスを掴んだ妻のキャリアを優先する決断をした駐夫たちの葛藤について、1月に上梓した『妻に稼がれる夫のジレンマ』で描いた。休職や退職した後、妻の赴任地に向かった彼らは、稼ぐ力=稼得能力を喪失した自身に呆然とする。「稼得能力こそ男性性」との潜在意識を突き付けられ、収入面で完全に妻に依存することになり、アイデンティティークライシスに陥った。妻のキャリアを尊重した彼らも「男は稼いでなんぼ」というジェンダー役割に縛られていたと思い知らされた。
専業主婦の妻に支えられる“粘土層”からの批判
また、彼らの中には、妻に同行するということ自体について、周囲から反対されたり、批判されたりした人たちがいた。私も同様の経験をしたが、そうした見方をしたのは、50代以上の男性ばかりだったのを今でも覚えている。家事・育児を一手に担う専業主婦の妻に支えられ、長時間労働をいとわず、仕事に全力投球してきた「粘土層」の人々だ。
今や、共働き世帯が、専業主婦(夫)世帯を圧倒的に上回り、若年層の男性を中心に家事・育児を担おうとするジェンダー平等意識が広がっている状況は、各種データで浮き彫りになっている。ただ、意識こそ醸成されつつあるものの、日本の男性の有償労働時間は各国比較で突出して長く、家事・育児などの無償労働時間は極めて短いままだ。
かくして、ドラマの時代から80年近くが経っても、日本の男女平等、ジェンダー平等は各国と比べて進展していない。月内に発表される毎年恒例のジェンダー・ギャップ指数において、今回も低迷することは間違いないとみられている。
有償・無償労働時間を巡る男女の非対称性を解消し、まずもって夫婦間の平等を実現するには、長年指摘され続けている長時間労働からの脱却が急務だ。男性による時短勤務やフレックス勤務の積極活用など、一段と柔軟な働き方を促進するとともに、優三や駐夫たちのように、男性の多様なキャリア形成を受け入れる土壌が求められるのではないか。
男性にも見てもらいたい
ドラマやCMは、時の世相を映し出す鏡と言われる。男女共同参画、ジェンダー平等が待ち望まれる中、SNSを見る限り、本作品には女性からの共感や支持が多いように見受けられる。私としては、ぜひ男性にも、主人公の女性を描いた他人事としてではなく、己の内面に潜む男性性と男性登場人物を重ね合わせながら、自分事として見てもらえればと思う。
仕事より育児を優先すべきとの言葉に反発した寅子に対し、穂高が戒めながらも達観したかのように発した言葉が、この先「反面教師」となるべく、最後に紹介したい。
「世の中そう簡単には変わらんよ。『雨垂れ石を穿つ』だよ、佐田君。君の犠牲は決して無駄にはならない。人にはその時代時代ごとの天命というものが……。また、君の次の世代が、きっと活躍……」