米ロサンゼルス近郊にあるクレアモント大学院大学ドラッカー・スクール・オブ・マネジメント、通称“ドラッカースクール”には、「人生が変わる」と評判の授業がある。長年教壇に立ってきたジェレミー・ハンター准教授は、受講した多くのビジネスパーソンが変容していく様を目の当たりにしてきた。そんなハンター氏が明かす、ある50代部長の「劇的ビフォーアフター」とは――。

内的変容を促すワークショップ

わたしはドラッカースクールでセルフマネジメントを教えるかたわら、6年前にTransformという法人を日本で卒業生と共同で立ち上げ、日本のビジネスパーソンや経営者向けに開発したプログラムやコンサルティングをを実施しています。

前回の記事では、そのワークショップの土台となっている考え方や神経系のマネジメントについてお伝えしました。けれども、おそらく読者のみなさんが知りたいと思っているのは、「ワークショップ参加者が具体的にどうTransform(変容)したのか?」ということではないでしょうか。

したがって、本稿ではある参加者の劇的すぎるビフォーアフターをご紹介したいと思います。深く孤独な悩みを抱えながらもワークショップに参加し、そこでの気づきを日常生活に取り入れて実践していった結果、バイタリティー溢れるリーダーとして実力を発揮できるようになったAさんのめざましい変容ぶりを追っていきましょう。

戦い続ける人もしくは頑張り続ける人

頭脳明晰で左脳タイプのAさん(50代)は、ある日本の大企業の事業部長として新規事業の立ち上げに携わるイノベーション部隊のリーダーをしています。彼に会った時、わたしが受けた第一印象は「完全に疲れきったサラリーマン」でした。

問題に直面しているビジネスマン
写真=iStock.com/Chong Kee Siong
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Aさんは「がんばることはいいことだ」と思いこんでいました。常にレッドゾーン(過覚醒の状態)に身を置き、まわりにもこうやるんだぞと言わんばかりに自らを鼓舞し、がむしゃらに働いていました。

Aさんにとって、取るべき行動は常に「fight(戦う)」か「flight(逃げる)」しかなかったのだと思います。そのような状況において、サムライのように律儀なAさんにとっては逃げるという選択肢などありえませんでしたから、実質はファイト一択だったのでしょう。これはレッドゾーンの典型的な反応です。

【図表1】神経系のマネジメント
資料提供=ハンター氏

イノベーションキラー

このようにファイトがデフォルトだったAさんは、無自覚のうちに自分のチームメンバーとファイトすることもしょっちゅうでした。新しいアイデアについて部下から相談を持ちかけられても、Aさんは「それはダメだ」と直ちに却下してしまうことが多かったといいます。

ストップサインを出す日本の男性ビジネスマン
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新しいアイデアを思いついた人には、その人なりの背景や、ストーリーがあったはずです。けれども、Aさんはそれらには目を向けずに、部下の提案をバッサリ切り捨てていました。イノベーションを生む仕事をしているはずなのに、新しいアイデアを殺してしまっていたのですね。

そんな「イノベーションキラー」だったAさんの根底には、実はリーダーとしての曖昧さがありました。Aさん自身が自分の意図を明確化できておらず、ましてやその意図をチームに伝えることもできていなかったので、とにかくモーレツに働き続けることでなんとか前に進んでいこうとしていたのです。

残念ながら、曖昧さが介在したリーダーシップは周囲からの信頼を損ねかねず、Aさん自身をどんどん孤独にしていきました。

崩壊の危機

ところで、当時のAさんは気づいていませんでしたが、彼にはファイト以外にももうひとつの行動パターンがありました。それは「collapse(崩壊)」です。どんなに活力がある人でさえ、ずっと戦い続けていてはいつかバーンアウトして、ブラックゾーン(低覚醒の状態)に落ちてしまいますから。

Aさんの場合、自分のがんばりが結果を生んでいないことに気づき始めたのがひとつの転機だったようです。スキルを上げるために努力は必要だけど、疲弊しきった状態ではいくら努力をしても結果が出にくい、と気づいたAさんの更なる転機は生け花でした。

花そのものが活きるように生ける

変化は、ちょっとずつやってきます。自分を発見するプロセスは点ではなく線のような連続性から成り立っており、一瞬のまばゆい閃光ではなく、光の連続性から徐々に照らし出されていくものです。

Aさんが自分を発見するプロセスを始めた大きなきっかけは、セルフマネジメントプログラムの一環として体験した生け花でした。

生け花
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おもしろいことに、生け花は「こういうかたちにしたい」と自分が意図をもってつくり出すものではなく、花そのものがもっとも活きるように生けてあげなければなりません。そのためには、時に慣れ親しんだパターンを放棄し、新しい視点を取り入れなければならない場合があります。

Aさんは、ひとりで生けるワークとは別にチームで生けるワークも行いました。これは、一人に一本の花材が手渡され、5人制のチームごとに一人ずつ生けていって、最終的にはひとつの作品を完成させるというもの。チームで生けると自分のイメージとは違う生け方を他のメンバーがして、面食らったり想定外のことが起きるので、「こんなはずじゃなかった」とフラストレーションが溜まったりもします。

そんな想定外の状況下においても、ひとつの作品を作り上げなければならないところがミソ。感性が磨かれると同時に、自分のリーダーシップやマネジメントのスタイルやパターンを知るきっかけにもなる、非常に興味深い体験です。ですから我々の間では生け花のことを「魔法のツール」と呼んでいますし、欧米のビジネススクールの授業の一環としてカリキュラムに取り入れられています。

生け花に表れた本当の心

その生け花を通じて、Aさんは初めて自分が今までレッドゾーンにいたことに気づきました。いつも前へ、前へと進みたいばかりに戦っていたこと、まわりの人たちの言うことに耳を貸さないという自分のパターンにも気づかされたそうです。

そんなAさんが完成させた生け花は、大変に美しく、優雅なものでした。人生初の生け花だったのに見事な結果でした。そこには、これまでは戦ってばかりいたため封じ込められていた彼の内面の美しさがはっきりと表れていたのだと思います。

戦略的に休む

生け花の世界に触れることで、いかに自分自身を追いこみすぎて、余裕のない働き方をしていたかを理解できたAさん。

それからは自分の状態を把握し、戦略的に休息を取ることで、徐々にレッドゾーンからグリーンゾーンへと意識的にシフトできるようになったそうです。

具体的には、Aさんはまず深呼吸などを通して自分の中に心理的・時間的な余白をつくっていくことを実践したそうです。以下は、Aさん自身の言葉です。

「モーレツに働いていた時は、隙間時間があればあれもやろう、これもやろうと詰めこんでいました。とにかく忙殺されていたし、どんどん仕事を頼まれるので、いつのまにか忙しくするのが普通になっていて。けれども今は、隙間時間を使って仕事以外のことにエネルギーを向けたり、無の時間をつくったり、ただ座ってしばらく考えてみたり……、今までの自分には考えられないような時間の使い方ができるようになりました。このような自分を見つめ直す時間は本当に必要だし、判断や意思決定にも影響がでます。忙殺された中での判断と、自分の中にスペースがある中での判断とでは変わってくるし、後者のほうが前に進む確率が高いかなと思います」

Aさんは自分の中に余白をつくることで「常にいいところにいられる自分」になれたとも話しています。そして、回復の時間を取るとパフォーマンスが持続すると気づいてからは、モチベーションを感じられるようになり、仕事がどんどん楽しくなっていったそうです。

さらに、それを部下にも勧めてチーム全体として実践してみたところ、チームの連帯感が高まり、エネルギーが高まっていきました。

窓から見るビジネスマン
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自分と向き合い、自分を認める

以前は「イノベーションキラー」と言われるほど部下の提案をむげに却下してきたAさんでしたが、部下との関係性も変わったそうです。

チームのメンバーと対話する際、相手の背景と意図とに意識を向けることで、その人が単なる思いつきで言っているわけじゃないことが見えてきたり、逆に短絡的に判断している部分も見えてきたりしたそうです。そこでさらに問いかけたり、フィードバックすることを心がけたりした結果、コミュニケーションが円滑に進むようになったと話していました。

また、Aさんにとって大きなよりどころとなったのは、共にワークショップに参加した仲間たちでした。ワークショップに参加する中で自分自身と向き合い、自分に対して嫌悪感があったというAさんでしたが、参加者それぞれの「できないこと」や「ダメだったこと」をお互いに共有していく中で、自分だけじゃないと思えたからこそ、自分に対して嫌悪感を持たなくなったそうです。

かつて「完全に疲れきったサラリーマン」だったAさん。今、彼の目はキラキラと輝き、見違えるほど若返っています。