河崎家に揃った“フォーカード”
この春、4人家族の我が家に、4人目の慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)生が誕生する運びとなった。
いやいや、勿体ぶってわかりづらい表現はやめよう。日頃の自分らしく、慣れない謙虚をかなぐり捨て、臆面も恥も外聞もなくぶっちゃけると、大学受験していた下の子がおかげさまでSFCに受かりました、結果的にウチ、父親も母親も子ども2人も、4人家族全員SFCってことになっちゃって、ポーカーで言うとフォーカードなんですわ〜、である。
謙虚を捨てたついでにさらに面の皮厚く言わせてもらうなら、我ながらまあまあ強そうな手札だ。でも普通なかなか、「揃ったらいいな〜」なんて思っても揃わないものだし、そもそも子どもそれぞれの個性を尊重するのが一番大切な子育てにおいて、「揃える」という発想はイマイチ健全ではないから、入口では持たないほうがいいような気がする。
子育てはちっとも思い通りになんかならない
それにしても皆さん、私の過保護っぷりと受験猛母(孟母ではない)ぶりにドン引きしながらも、品よく優しく言葉をかけてくれる。
「お子さんはもちろんのことですけれど、頑張りましたね、お母さん」。うん頑張りました、アタシが勝手に! 「きっと、かなりの努力と根気と、ある意味執着のたまものですよね……」。うんわかってくださってありがとうございます、実のところ自分でも引くくらい子どもの学校選択や受験には執着があったみたいなんです。実に子育て約30年、気を失いそうなほど長い道のりでした‼
なぜって、世間はみんな「えーだって、(ポンコツそうだけど)両親が共にSFC卒だってんデショ? そりゃその子どもも、そういう子なんデショ?」くらいにお思いになるようだが、子育てってのは、(ていうかそもそも自分含め、人間ってのは)ちっとも思い通りになんかならない。
家族は、誰かの思い通りになんかしちゃいけない。
子育てっていうのは、人間を育てることがどれだけ複雑な過程であるか、自分本位の「努力」とか「理想」なんてのがどれだけクソ喰らえか、「そもそも親であるお前自身がどれほどちっぽけで浅はかで愚かであるか」を絶え間なく、ほんと絶え間なく容赦なく毎日毎秒教えてくれるものだ。
子どもは、親の傲慢な予想や浅はかな欲や愚かな夢を正しく裏切りながら「強引にマイウェー」で育っていくべきものなのだ。だから「フォーカード」は、親の手柄なんかじゃない。計画通りなんかでもない。結果論に過ぎないんです、マジで。
受験指導と子育ては「まったく別のもの」だった
大いに引いていただいて結構なのだが、私は受験が好きである。
小さい頃から、それこそ自分の幼稚園受験から、進学のたびに毎度何かしらの試験をくぐってきた。日本だけじゃなくて、海外のいろんなタイプの受験も経験している。どうやら学校という環境と、勉強と、何らかのハードルを「突破すること」が好きなのである。
遠くにゴールを見ると、パドックに入った競走馬みたいに血が騒ぎ始めてヒヒンヒヒン言い出す。環境に飛び込むための関門をクリアすることが快感、ええ一種の変態です。
そのようなキモいサガゆえに、自分だけじゃなくひとの受験を手伝うのも大好きだった。中学受験塾や高校受験の補習塾、大学受験予備校などで講師をして、「入試問題は学校側からのラブレターだ」「どういう学生に来てほしいかはそこに書かれている」「だから分析攻略してマッチングするんだ」と問題を分析し、入試素材文を味わい尽くし、生徒が想像以上の解答を返してくると「いいねえ」と痺れまくった。
ところが、すでに育っているよそのお子さんを受験に合格させるための「指導」と、生身の人間を胚から育てる「子育て」はまったく別のものである、と知るのである。
お受験塾があるオホホなオシャレタウンのスタバなんかで、お受験ママが子どもの宿題や返却されたテストを見ながら「ママの子なのに、どうしてこんなこともできないの?」と子どもにキレている姿をよく見てきたが、どのお母さんにも耳のそばで囁いてあげたい。「ママの子だからです」。親は、自分の子どもにはまず客観性を失う。
実は、比較的お勉強が得意で先生たちのおぼえめでたかった上の子の時も、性格がお茶目すぎて先生からお話やお電話がある時は十中八九親が叱られる下の子の時も、幼稚園、小学校受験や中高一貫校受験、大学受験で、合格をいただく裏で不合格もたくさん喰らってきた。途中で夫の海外駐在に帯同してもいたから、2人の子どもは日本でも海外でもいろんな形の受験をした。
娘の小学校受験で植え付けられたコンプレックス
上の子である娘の受験歴で忘れられないのは、小中受験だ。エスカレーター式の私立幼稚園にいたが、小学校で外部受験するからと内部進学を諦め、ところが受験した名門小学校を落ちて、あらためて外部生と並んで受けた内部試験にも落ちた。
「愚かな母親の私が愚かな選択をしたから、子どもに齢6歳で敗北体験を植え付けてしまった」というヘドロのようなコンプレックスを6年間抱えた母は、今度は絶対に「子どもが望んだ学校にちゃんと入れる」体験をさせてあげたいと、娘より10年近く離れて生まれた超絶手のかかる乳幼児期の息子を文字通り抱えながら、中学受験準備に二人三脚した(2.5人三脚というべきか)。
「受験の傷は受験でしか癒されない」
サンデーショックの年で、第1志望だった2月2日の御三家校にはギリギリ手が届かなかったが、他の受験校は全て合格。
受験期間中にすら子どもの学力は伸びるという話は本当だった。第1志望校を受験する代わりに「とてもじゃないが安全校にはできない」と塾から2月1日に受験させてもらえなかった憧れの共学校の、宝くじみたいな倍率の3次試験(5日)で驚異の合格をもらった。
ミラクルガールは第1志望を超えて第ゼロ志望に進み、「努力はちゃんと報われる」「だから努力するって悪いことじゃない」ことを伝えたいという私の意思は彼女に理解してもらえたような気がする。
だけどそんな美談よりなにより、母は「恋愛の傷は恋愛でしか癒やされない、なんてドラマで言ってたのと同じで、受験の傷は受験でのみ癒されるんだなぁ」と自分で実感した。並行して息子の幼稚園受験も進めていた私は、2人を無事に送り込んだある日の夜更け、過労で倒れて救急搬送されることになる。
「困った子」扱いだった息子
下の子である息子の受験では、英国で私立小学校受験をした時に、教育観というか人間観が塗り変えられるような経験をした。
息子は生来の圧倒的な好奇心の強さとコミュ力の高さで、4歳の渡欧以来信じられないスピードと正確さで英語を喋るようになった(その分、日本語が遅れたのは否定しない)。だがとにかく好き嫌いが激しくて、私は野猿を世話しているのだろうかと思うほど手がかかり、従順さや協調性を重んじる日本やスイスでは「困った子」扱いだった。
スイスのインターナショナル幼稚園ではハーバード大学院卒の幼稚園教諭に「この子はスマートで、自分のしたいこととしたくないことがはっきりわかっていて、大人の顔色を見ない。それは長所よ。今は手がかかっても、きっと15歳の頃には親が心から自慢に思える少年になるわ」と慰められたものの、英国へ移るとなって学校を探すことに。だがハリー・ポッターのホグワーツ魔法学校みたいにお上品なロンドンの学校にフリーダムな野猿の居場所はない。
そこに、英国人の穏和な大家が「あそこは旧男子校で古い伝統もあるけれど経営方針が先進的で、1クラスが多くて15人くらい。息子さんのように“自由な”子もチャレンジしてみるといいんじゃないかな」と、借りた家から一番近い小規模な私立共学校を勧めてくれた。
英国映画に出てきそうに美しいビクトリア式建築の小さな学校へ恐る恐る猿、じゃなかった、息子を面接に連れて行ったら、「英語力も高く、知的なお子さんですね。ここは元男子校ですから、男子というものに理解があります。集団生活の行儀に懸念がある、ですって? 普通の男の子ってみんなそういうものでしょう。だから学校に通うんですよ、僕らと勉強しましょう」と、驚くほど寛容な校長先生が優しさたっぷりに言ってくれて、全アタシが泣いた。
英国で知った「受験の意味、教育の意味」
息子はそこから2年間、1クラス8人の血統書付き仔犬たちにウッキャウッキャ混じって、「同じ釜のメシ友」状態でそりゃもう仲良く育った。
そうか、日本では「女子教育」っていう言葉しか意識したことがなかったけれど、英国には「男子教育」っていうものもあるんだ、と知った。伝統とは否定されるばかりじゃない。欧州の教養層に共通認識として流れる、幼少時の男女別学の伝統的合理性を理解したのだった。
教育を受けるのは、「足りないところがあるから、それを学び補い、伸ばすため」である。つまり学校に入る前は誰もが足りていない状態でいいのだ。足りていないから学ぶ、だから今はできなくていいです、で、あなたはここから私たちと一緒に楽しく前向きに学べる人ですか? それが受験する意味なのだ。受験する前に出来上がっている必要なんかない、「伸びしろ」を見られているのだ。
だから、学校受験なのに出来上がっていることを要求してくるように感じる選抜は、教育的な意味でちょっと違っている、つまりそれは学校と子どものレベルマッチングが失敗してるから、子どもの尻を叩くよりも学校選びをやり直したらいいんじゃないかな、と今の私は思う。
自分や子どもの人生を通して「受験の意味」をやっと理解したポンコツな母は、すべき受験とそうじゃない受験の判断がようやくできるようになった気がする。
教育の「投資効率」
まあそんなわけで、ここまでお読みくださった方はお察しの通り、私は子どもの教育にはかなりの金額を払ってきてしまった「投資効率の悪い」親だ。これってギャンブルだったら負け越しなのかな? でもなんだろう、ここまで本当に楽しかった。子育てや教育にどっぷり浸かって子どもたちと併走しながら、親として本当に色々なことを見聞きさせてもらい、学び、自分でもアウトプットしてきたと思う。
なんせ今回の息子のSFC入学に漕ぎ着けるまでも、全く順風満帆なんかじゃなかった。まず帰国子女なのに日本の普通の中高一貫校へ進学。中3の3学期からAO塾に入れて、一度高校時代に米国留学に送り出して、途中で日本の国立大学の英文小論文コンテストに入賞。それなのに帰国後、その自己推薦書をもって挑んだSFCのAO入試に落ちて、母は心労で胃が全部溶けるかと思ったけど、それも一般入試と海外大学入試に切り替えてなんだかんだほぼ全勝、どうにかここまでやってきた今となってはいい思い出だ。
結局は価値観の問題
人生が計画通りになんかならないことを散々思い知らされてきた人間としては、ビジネス畑の専門家が事業計画みたいに「人生計画」なんて言葉を使って出産や子育ての「リスク」を論じるのを聞くと、フフッと微笑んでしまう。計画通りにいくなら、それは人生の醍醐味じゃないな。あと、出産子育てをリスクって見なす人は、あんまり向いてないかもしれないね……。
金融の専門家が「教育戦略」なんて言葉で家計の教育費支出に備えよと眉間に皺を寄せるのを見ても、散々受験につっこんできた下手くそなギャンブラーとしては、ああ私のやってきたことはしょせん教育道楽なんだろうな、とも苦笑する。受験にはお金がかかる。情報も必要だ。それは真実だ。
結局、お金の使いどころは人それぞれ、何を大切に生きたいかという価値観の問題だ。少子化社会で、好き好んでもいないのに厳しい受験なんかしなくていい。もっと他に人生の資源を投入できるものはたくさんある。食い倒れや着倒れという言葉もあるように、浪費と(自己)投資は紙一重。車や時計、不動産が好きでせっせとお金を払う小金持ちも多いが、でもそれはうまくいったら「投資」で、そうでもなかったら「浪費」と呼ばれるんだろう。
「子育て、本当に楽しかった」
受験道にお金を落としまくった母の末路、さてこれは投資だったのか浪費だったのか。これをネットの口さがない向きに醜悪な執着と呼ばれようとも構わない。大学4年生、22歳の若さで思いがけず母になり、あの大学の丘の上に自分の欠片を置いてきてしまった私が、あの丘の上へ自分の子どもを「彼らが」望む形で送り届けることには、それなりの意味があったのだ。
結果として、28年かけた壮大な伏線回収。振り返って「あーあ、子育て、本当に楽しかったなぁ」。春、いつになく遅い桜が咲き揃う中、そんなひとりごとだけが藤沢の空にふわふわ飛んでいった。