※本稿は、永井孝尚『モノではなく価値を売るためにマーケティングについて永井孝尚先生に聞いてみた』(Gakken)の一部を再編集したものです。
顧客からの「学び」が新しいビジネスを生み出す
Q:新しいビジネスを立ち上げる際、成功する効果的な方法はありますか?
<お答えしましょう!>
顧客からの「学び」を重視し、ムダを省いて改善を繰り返す「リーン・スタートアップ」という手法があります。
従来のビジネス立ち上げでは、商品やサービスを時間とお金をかけて作りこんでいました。でも、売り始めたら、売れないということもよくありました。そこで、「作りこむ前に売れるか確かめてから、ちゃんと作ろう」というのが、リーン・スタートアップという考え方です。顧客が必要とする「実用上最小限の機能を持った製品」を素早く作り、顧客の反応から得た「学び」を重ねて検証・改善を繰り返していきます。この手法の根幹には「顧客にメリットを提供しない活動はすべてムダ」という考えがあり、顧客が何を求めているのかを重視し、ムダを徹底的に省きます。
アメリカのザッポスはどうやって成功したか
アメリカにザッポスというオンライン靴販売店があります。
1999年の創業当時、試し履きをするのが当たり前の靴をオンラインで購入する人はいませんでした。ザッポスが近所の靴屋で許可をもらって商品の写真を撮り、簡単なウェブサイトで売ると、注文が入りました。価格を変えると売れ行きがどう変わるのか、どう返品したら顧客の満足につながるのかといったことを学んでいき、改善を繰り返し、ザッポスは急成長。通販大手Amazonに巨額で買収されました。
もし、「立派なサイトを作ってからビジネスを始めよう」と考えたら、サイト制作期間の学びはゼロで、ムダな時間になります。学びと改善のサイクルを早め、顧客からの学びをより多く蓄積していくことが重要なのです。
最低限の機能を持った製品・サービスを短期間で作り、顧客の反応を確認しながら改善を重ね、ムダを極力省く製品開発手法。
無茶な挑戦をするのがイノベーターではない
Q:イノベーションを運任せでなく成功させる方法はありますか?
<お答えしましょう!>
イノベーションには成功パターンがあり、成功確率を高める有効な方法として「ジョブ理論」があります。
顧客をよく観察してジョブを見極める常識外れの無茶な挑戦をするのがイノベーターと思われがちですが、これは大きな間違い。
顧客の悩みを斬新な方法で解決するのが、本当のイノベーターです。そこで役立つのが、「ジョブ理論」です。これは、ジョブ・雇用・解雇という独特のワードで顧客が商品を買う理由を考えるもの。アメリカ企業では、新しい仕事が発生するたびにそれに適したスキルを持った人を雇い、仕事が終わると解雇するという仕事のスタイルがあり、それになぞらえた方法論です。ジョブとは「顧客が片付けなければいけない用事」です。
求められるのは顧客の「ジョブ」への解決策
あるアメリカの大学は学生を増やすために「きれいなキャンパス」「充実した教育環境」「手ごろな学費」といった面をアピールしていましたが、学生が集まりませんでした。
一方、この大学の通信課程では「生活レベルを向上させるために学歴が欲しい」というジョブを解決するために、社会人たちが学んでいました。
そこで、大学はオンライン通信課程を強化し、社会人が大学で学ぶ必要性を訴える広告を出しました。すると、10年間で大学の売上成長率は毎年34%も上昇し、「アメリカの中で最もイノベーションに富んだ大学」と評されました。このように顧客の「ジョブ」に解決策を提示すれば「雇用」され、逆に「ジョブ」に応えられないサービスや商品は「解雇」されます。
問うべきは「顧客はどんなジョブを片付けたくて、その商品を雇用するのか?」なのです。
米経営学者のクレイトン・クリステンセンによる理論。顧客が片付けたい用事(ジョブ)こそが、商品を買うか買わないかの決定要因であるとした。
ジョブ理論のジョブとニーズの違い
Q:ジョブ理論におけるジョブとニーズはどのような違いがあるのでしょう
<お答えしましょう!>
ニーズは漠然とした欲求で、ジョブは具体的で切実な状況から生まれるものです。
「ジョブ理論」の仕組みについては前述しましたが、多くの人が「ジョブとニーズは何が違うの?」という疑問を持ったのではないでしょうか。
ニーズは「何か食べたい」「健康になりたい」といった漠然としたもので、必要に迫られていないので、解決方法があっても商品を購入するとは限りません。
一方、ジョブは「ひざの痛みを治したい」「荒れ放題の庭を何とかしたい」「買い物を早く済ませたい」といった切実な状況から生まれます。だから、解決方法があれば商品を購入する決定要因になります。
ジョブ理論で考えると、ライバルは同業者だけではなくなります。
ネットフリックスの競合はビデオゲームとワイン
たとえば、大手動画配信サービスのネットフリックスの創業者リード・ヘイスティングスは「ライバルはアマゾンプライムビデオか?」と問われ、「ビデオゲームとも競うし、ワインとも競う」と答えました。顧客の「リラックスできる時間に何か楽しみたい」というジョブに応えるためには、ゲームやワインとも競合になるわけです。
顧客のジョブを突き詰めていくと、このようにまったく新しい視点を得られます。「いい商品なのに売れない」というような場合は、ジョブを深掘りする必要性があります。
顧客自身が自覚しているかどうかは問わず、顧客が抱えている「解決しなければいけない用事・課題」のこと。
先駆者と現実主義者の間にある大きな谷
Q:顧客が新商品をなかなか買わない本当の理由を教えてください!
<お答えしましょう!>
革新的な製品が大好きな少数の人たちと、現実主義の人たちの間に「キャズム(大きな谷)」があるためです。
「顧客が求める画期的な新商品を売り出せば、絶対売れる」と思いがちですが、現実にはほとんど売れないことも多いものです。それはなぜでしょうか。
画期的な新製品が販売され始めたとき、消費者の特性によって様々な反応があります。電気自動車だとすると、「誰も乗ってないから買いたい」という人はイノベーター(革新者)とアーリー・アドプター(先駆者)です。
「充電ステーションが街中にできたら買う」という人はアーリー・マジョリティ(現実主義者)で、「今のガソリン車が不便になったら買う」はレイト・マジョリティ(追従者)、「わけのわからない車には絶対乗らない」という人はラガード(頑固者)です。
新製品はこの順番で普及していくのですが、各グループの間には隙間があり、そこで止まると売れません。
キャズムを越えなければ16%の人にしか売れない
先駆者と現実主義者の間の特に大きな隙間を「キャズム(大きな谷)」と呼びます。
キャズムを越えなければ、16%の人にしか売れません。冒険好きな先駆者と違い、現実主義者はリスクが大嫌い。そこで、必要なことをすべて提供する「ホールプロダクト」が必須になります。EVならば、どこでも充電できる環境を整え、パーツを気軽に買えるようにし、修理なども普通の整備工場に頼める、などです。すべてのリスクを消した上で、ユーザー事例を提示できれば、ようやく現実主義者以降のグループにも商品が普及していきます。
ジェフリー・ムーアが提唱。ホールは「完全」の意味があり、完全な機能に近づけるよう製品の補助製品や補完サービスをそろえていくモデル。
絞り込みで谷を越えた文書管理システム「ドキュメンタム」
Q:キャズムを越えるためにはどのような戦略が必要になりますか?
<お答えしましょう!>
幅広く攻めてもダメで、大きな「痛み」を持った顧客に絞り込むことで一気にキャズムを越えることができます。
キャズムを越えるには、現実主義者が感じるリスクを減らす必要があります。そこで必要なのが、同じ現実主義者のユーザー事例。参考になるのが、文書管理システム「ドキュメンタム」の事例です。ドキュメンタムは設計図面や契約文書などを管理する企業向けシステムで、当初は成長を続けていましたが、キャズムの直前で売れ行きが止まりました。
そこで、対応する業務分野を75から2分野まで絞り込みました。そのひとつが、製薬業界の新薬認可申請業務です
製薬業界40のうち30社が導入
製薬会社の新薬申請業務は、申請書類だけで25万〜50万ページとなり、膨大なデータを調べた上で書類を作成するので、製薬会社は1日1億円の費用と数カ月の期間を要していました。
申請が遅れると、その期間の新薬特許収入は失われてしまいます。これは製薬会社にとって「大きな痛み」でした。製薬会社は「お金がかかってもいいから業務を迅速化したい」と考えていました。そこでドキュメンタムは新薬認可申請業務の専用システムを提供し、大きな成果を上げました。
これがユーザー事例となり、製薬業界トップ40のうち30社が導入。製薬業界内でキャズムを一気に越えると、同じような課題を持った製造・金融などの業界にも販路を広げていきました。
顧客の痛みを見極めてターゲットを絞り込み、そこでキャズムを超えてからほかの市場に広げていけば、新商品が成功する可能性は大きく高まります。
アーリー・マジョリティ(現実主義者)は、自分と同じようなタイプのユーザー事例があって初めて購入を考える。