1980年代のバブル期には“女子大生ブーム”が起こり、4年制大学の学生(4大生)だけでなく、短期大学、いわゆる短大生も脚光を浴びた。当時は4年制よりも就職率が良く「女の子は短大で十分」という親の意向もあってか、短大に進学する女子学生は多かったのだ。それでも管理職や幹部をめざす総合職は主に4大生、事務職や定型業務は短大生と分けられていた。
2023年、キリンビールの子会社であるスプリングバレーブルワリー(SVB)の社長に就任した井本亜香さん(53)も短大卒。香川県出身で、四国学院短期大学英語科国際秘書コースを卒業後、1991年にキリンビール四国支社に就職。井本さんは毎日同じことを繰り返すことが好きなので、当時は事務職で仕事人生を全うするだろうと思っていた。
同期の「入社説明会にいなかったよね?」で火がついた
井本さんはキリンビールに補欠合格だった。しかし社員の一人が家庭の事情で退職することになり、その枠が井本さんに回ってきたのだ。それゆえ最初の入社説明会には参加できず、同期から「説明会にいなかったよね?」と言われる。四国支社の地元採用は4人だけ。その場にいなければ記憶に残るだろう。
「やはり、少し悔しかったです。でも、当時の総務の方から『ここからは一緒だよ』と励まされました。また、急に辞めた方がいて人手がないということで入社前にバイトができ、先に決まった3名より少し仕事に慣れた状態だったのです。これはアドバンテージなので、自分自身もこれからだ! と気を引き締めました」と二十歳だった当時を振り返る。
秘書コースなので、ルーティンの事務仕事をイメージして、就職活動時は金融業界を志望していた。だが、学生課の就職担当者に「キリンビールを受けてみないか?」とすすめられて同社を受けた。もし担当者のすすめがなかったら、そして退職者がいなかったら、今の井本さんはいなかった。そう考えると人生はおもしろい。
総合職にコース転換。30歳過ぎて四国から東京へ
営業企画部門で毎日粛々と業務をこなす井本さんに転機が訪れた。入社5年目にして総合職へのコース変更にエントリーする。
「地元採用の人間でも、全国転勤の総合職に転換できる制度ができたんです。それまでも東京本社や全国の社員とミーティングすることがあって、転勤があるのはおもしろそうだなと思っていました」
しかしすぐに希望がかなえられることはなく、エントリーから5年も経って、やっとコース変更が認められた。ちなみに同じようにコース変更した中に、現キリンホールディングス執行役員コーポレートコミュニケーション部部長の佐々木直美さん(2024年3月現在)もいた。
海外ビール担当で本社デビューも「英語」の高い壁が
井本さんはすでに30歳。それまでずっと実家暮らしで四国から出たこともない。尻込みする気持ちにならなかったのか。
「入社して10年、自分が人からどう評価されるのかを気にし始めた時期でした。また、事務のルーティンワークがいくら好きでもこのままでは成長がないと危機感が募っていて。思い切って新世界に飛び込みました」
そして本社へ異動となったが、いきなり「バドワイザー」という海外ビール担当、それも同ブランドがオフィシャルスポンサーとなっていた2002年FIFAワールドカップ大会の担当になった。同じ会社とはいえ、転職したぐらいの劇的な変化だ。180度違う世界に飛び込み、右往左往する日々だったという。
「まずは本社の機能に慣れるのが大変で。それまでとは桁違いの人数の、しかも広い領域の方と関わらなければならないのが当時苦しかったです。しかもワールドカップの担当は上司と私の2人しかいませんでした。その上司が現社長の堀口(英樹)さんです。彼に『なんとかなるよ』と言われましたが、大会の裏側は混沌としたカオス状態。しかも当時キリンは、バドワイザーとハイネケンの2つのライバルビールの販売者だったので、どちらの顔も立てながらことを進めなければいけなかった。これもキツかったです……」
それでも四国時代は事務職でありながら大事な会議に出席し、意見を述べる習慣が付いていた。大海に放り込まれた後も、それほど臆することなく意見を言えたし、ブランドというものに興味を持つきっかけになった。
外食経験のない「キリンの人」とよそよそしくされ…
しかし四国ローカルより格段に華やかな世界だが、井本さんにとってほろ苦い本社デビューに。海外案件につきものの、ビジネス英語の壁に悩まされたのだ。
「一応英語科卒ですが、ビジネス英語となるとまったくダメ。普通レベルの会話もちゃんと理解できなかったです。その時のトラウマで今でも英語が苦手です」
これで自分の評価は下がるだろうと思っていたし、ワールドカップ後のビジネスにつなげていくすべもなかった。今後の身の振り方に悩んでいた時、ある社内公募が目についた。
ハートランドビールのアンテナショップとしての、六本木ヒルズ「バー ハートランド」の立ち上げと現場運営の副店長だ。ハートランドビールは、1986年にキリンから発売したピルスナースタイルのビール。海外製品のようなスタイリッシュなボトルが特徴的で、発売から40年近く経った現在も安定した人気を誇る。
「再開発前の六本木に『ハートランド穴蔵』というビアホールがあったのですが、開発後に『バー ハートランド』として復活することになりました。これはチャンスだ! と思って。外食サービスの経験はないけれど、教えてもらえばなんとかなるだろうと」
だが、そこでも関門が待ち構えていた。
「外食事業部がスタッフを集めていたのですが、キリンから行った私ともう一人以外は皆、外食経験があるプロでした。彼らからは『キリンの人(だけど外食経験がない人)』と呼ばれました(苦笑)。正直言って、当時の私とはハナから仲良くする気がなさそうな印象でしたね。しかもオープンから2〜3カ月は全然お客様が来なかったので、最初は雰囲気も悪かったです」
が、井本さんは諦めなかった。外食経験はないにしても、それ以外の経験は豊富だ。それはきっと役に立つはずだと信じて、スタッフとコミュニーケーションを取り続けた。そのうち「ニューヨークタイムズ日本版」に店の情報が掲載されたことで評判になり、近所に住む外国人が毎日集う繁盛店になる。
「繁盛すると店の雰囲気も良くなるし、“キリンの人”だった私もスタッフと打ち解けました、バーが閉店した今も当時のスタッフとは仲がいいんです」
この時の外食サービス経験は2年だったが、のちにSVBの社長に抜擢される布石となる。
何十億の投資を回収できず、後世に商品も残せなかった
その後本社マーケティング部で14年間商品開発に携わる。数え切れないほどの既存ブランドや新規商品の開発を担当した。
「思えば、たくさん担当しましたね。『ワインスプリッツァ』『ドライリッキー』『カリブーン』『旅する氷結』などのRTD、『チルドビール』や『まっこい梅酒』などです。でも、今でも残っているのは梅酒だけ。ビールやRTDなど、成熟した市場は他社との競争が熾烈で、カテゴリーで売り上げナンバーワンにならないと生き残りが難しいんです」
RTDとは「Ready To Drink」の略で、開栓後にそのまますぐ飲める低アルコール飲料のこと。缶チューハイやカクテル、ハイボールを指す。
「特にカリブーンはCMが斬新で、攻めた仕上がりでした。今まで真面目一本でつくってきたキリンのモノづくりの中ではチャレンジングだと評価されて、ネットでも話題になったのです。でも、イベントを仕掛けても、なかなか売れなかったですね。『情緒的すぎて、どんなお酒かわからない』というのが敗因だったと思います」
キリンのRTDではロングセラーのチューハイ「氷結」がある。氷結に関わったリーダーは「一番搾り」や「淡麗」も生み出した伝説のマーケター。自分との力の差を、井本さんは冷静に分析する。
「大先輩と比べると、大きく市場を俯瞰してお客様の動きやニーズを把握することができなかった。1つの商品の開発には何億ものお金が投下されますが、私は何十億も回収できなかったことになります。失敗ではないにしても、キリンじゃなかったらクビか左遷になっていたかもしれません。後に残る商品を生んで会社に貢献できなかったのは、本当に悔やまれます」と井本さんは反省する。
2001年に発売された氷結は、営業も含めて全社を挙げてキャンペーンを行った。各地の酒店の入り口に氷結の缶を山のように積み上げ、シンボルカラーの青で埋めつくしたそうだ。「キリンの初動のアクションってすごいんです。でも、そこまでしないとカテゴリーナンバーワンになるのが難しいんです。自分はそこまでたどりつけませんでしたが、新しいことにチャレンジできたし、アイデア出しや実行力を鍛えたくれたマーケ時代に感謝します」
予感的中のスプリングバレーブルワリー社長就任
2018年から九州エリアの営業リーダー、さらに2021年から福岡と沖縄以外の九州全域を担当する九州支社長に就任する。会社は営業構造改革を進めており、支社長になった井本さん自身も構造改革の仕上げをしたいと模索していた。そんな中、昨年の2月頭に「異動です」と内示を受ける。
「SVBの前社長は、島村(宏子)さんという女性がやっており、その方が異動になったんです。通常は3月に異動内示がありますし、会社の女性幹部で外食経験がある人間は少ないので、次は自分かもしれないと、ピンときました」
その予感は当たり、SVB三代目の社長に就任。東京に戻ってきた。
「スプリングバレーブランドには缶ビールもありますが、そちらは本社がブランドを管理しています。その一方で東京と京都にある店舗はリアルな接点の場所で、商品のテストマーケティングの場でもあります。本社と店舗をつなぐ人材で、マーケ経験もあるということで私に白羽の矢が立ったのでしょう。九州で構造改革をやり遂げられなかったのは残念ですが、これも運命だろうと受け止めました」
これまで井本さんは何を担当してもどこの部署にいても、その代名詞がつくぐらい、仕事に没頭してきた。例えば「ハートランドの井本」「梅酒の井本」「氷結の井本」というふうに。それぐらいのめり込んで仕事をしてきた。だからSVBの社長になったからには、きっと「SVBの井本」となるのだろう。
部下にとっての“あげまん”になりたい
この春、東京・代官山にあるSVB東京はリニューアルを行う。それを機にここを日本のクラフトビールの聖地にしたいと井本さんは意気込む。そして店舗アルバイトや社員含め、約100人の部下たちの“あげまん”になりたいとも。
「私と一緒に仕事をしたことで、成功体験をしたり、幸せな時間を持てたりしたらこんなにうれしいことはありません。そういう意味で私がみんなの運気を上げられる存在になれたらいいなと思います」
また、キリンビールの子会社の中で、短大卒では初めて社長になった。学歴社会が色濃い大手企業で、常にチャレンジをし続け、粛々と努力をし、仕事に没頭してきたことが評価された。女性管理職が13.58%(2023年4月時点)のキリンホールディングスで、出色の存在だろう。
「私は結婚していませんし、子どももいません。でも、結婚、出産などのライフイベントがあっても、仕事を続け、幹部になれるように女性たちを応援していきたい。男女平等というよりも、男性も女性もお互いの適材適所を補完して高め合っていける、そんな会社にしたいと思います」と未来を語った。