ドラマでは円満に描かれたマネージャーの交代劇だが……
「ブギウギ」(NHK)第22週では、家政婦・大野(木野花)が歌手・福来スズ子(趣里)の家にやって来て半年、幼い娘の愛子(小野美音)はすっかりなつき、家の中が安定している一方、スズ子はこれまで以上のヒットを求められるように。
そんな中、喜劇俳優のタナケンこと棚橋健二(生瀬勝久)は足の激痛で公演を中止。また、スズ子にとっては亡き恋人・愛助(水上恒司)の母親であるトミ(小雪)が亡くなったという連絡が入り、スズ子と愛子、山下(近藤芳正)は大阪へ行って葬儀に参加するが、東京へ戻ると山下はマネージャーを辞めたいと切り出す。愛助に続いてトミも亡くなったことで、心の糸が切れたという山下は、自身の後任候補として、マネージャー未経験である甥のタケシ(三浦りょう太)を連れて来る。
しかし、タケシは何かと要領を得ず、現場で居眠りしたり、遅刻したり。スズ子はそんなタケシを叱咤激励するが、本番直前にクビ覚悟で謝りに来たタケシを受け入れ、最高のパフォーマンスを見せる。そして、自分がこれまでいろいろな人から教えてもらったことを、今度は自分が教える番だと伝えるのだった。
ドラマではマネージャーの交代劇が、スズ子の立ち位置の変化や世代交代の気配と共に描かれていた。山下はスズ子にとって、仕事はもちろん、愛助が死ぬ前後の辛い時期があった私生活でも二人三脚で支えてくれてきた温かくも頼もしいマネージャーだった。
笠置は山下のモデル・山内義富を肉親のように頼りにしていた
しかし、スズ子のモデルとなった笠置シヅ子の史実を様々な資料で読んでいくと、山下のモデルとなったマネージャー・山内義富のとらえにくい人物像が浮かんでくる。
山内は、笠置と同じ大阪出身で、海外から来朝した音楽家の世話をしたり、その後コロムビアレコードに勤務したりしてきた経歴があり、笠置シヅ子は自伝『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)で次のよう記している。
笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)
ドラマでは愛助が療養で帰阪する前、笠置と2人で箱根旅行に行くが、史実では愛助のモデル・吉本エイスケと笠置の箱根旅行にもマネージャーの山内がついて行っていた。また、笠置の妊娠がわかった際には、慎重に事を運ぶよう助言したり、手紙では要領を得ないからと、直接会って相談することを勧めたりもしていた。
吉本興業の御曹司が亡くなった際、弱い立場の笠置を支えた
年の瀬に名古屋に地方興行に行った際には、元日だけは一人でお雑煮を祝うのも寂しいだろうということで「今日だけは僕がエイスケさんの身替りを勤めましょう(原文ママ)」と山内が言い、笠置が「えらい薹の立ったエイスケさんやな」と笑ったという記述もある。また、エイスケが亡くなったとき、吉本家からの見舞金を納めておいたほうが良いと勧め、「しかし今後、物質的援助は謝絶し、あくまで自立の覚悟で奮発すべきだ。ただ、お見舞金の封筒は吉本家との関係を証明するものだから大事にしまって置いた方がよい(原文ママ)」と進言したのも、山内だった。
笠置の自伝への寄稿「歌姫の構図(笠置シヅ子を語る)」の中で、演劇評論家・旗一兵は山内の存在についてこう記している。
笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)
「歌手と庇護者」の関係だったが、昭和25年に関係が破綻
一緒に暮らしていた時期も含め、史実ではドラマ以上に近しい間柄であったことがわかる。しかし、笠置に「兄さんか叔父さんみたいな関係」と信頼されていた山内には、意外な“裏の顔”があった。
タナケンのモデル・エノケン(榎本健一)と「エノケン・ロッパ」と並び称されて人気を競った喜劇役者「ロッパ」こと古川ロッパ(古川緑波とも)は、笠置とも親しかったが、『古川ロッパ昭和日記』(1987年に晶文社より復刊)の「昭和二十五年五月十五日(月)」の日記中には、こんな記述が見られる。
古川ロッパ『古川ロッパ昭和日記 戦後篇』(晶文社)
5000万円相当の大金を使い込んだ山内は解雇される
ところで、笠置が羽鳥善一(草彅剛)のモデル・服部良一と4カ月のアメリカ公演に旅立つのが、昭和25年6月。なんと山内は、笠置の渡米直前の大事な時期に笠置の金を使い込んで、マネージャーをクビになったわけだ。250万円という金額は、現在なら5000万円以上に相当すると思われる。これは山内を家族のように思い、信頼していた笠置にとって、相当にショックなことだっただろう。
にもかかわらず、当の山内自身は、クビになった直後に少なくとも3日間も茶屋通いをしていた。その後も、ロッパの6月21日の日記にも登場。ロッパの家を早朝に訪れ、7月8、9日の2日間、スポーツセンターでの催しにエノケンと一緒に出てくれと依頼をし、その催しが無事行われたことが7月8日の日記からわかる。
つまり、山内は笠置のマネージャーをクビになり、そのことが周囲に知られている中で、笠置が渡米して不在の間に笠置の「女優業」のパートナー・エノケンやその仲間でありライバルのロッパと仕事を普通にしているわけだから、面の皮の厚さはなかなかのものだろう。
実際はドラマのように誠実な男だったとは思えない
一方、この少し前から笠置は高額納税者として名を連ねるほどのスターになっていた。『サンデー毎日』(2015年1月18日)「一億人の戦後史『サンデー毎日』が伝えた『終戦の情景』 ブギの女王笠置シヅ子を悩ませた税金と愛娘の子育て」では、こんな記述がある。
笠置の苦労を誰よりも間近で見続けて来た山内が、その金を使い込んだことを思うと、よけいにその人間性に疑問がわいてくるところではある。ドラマの中でずっとスズ子を支えると誓った山下が急にマネージャーを辞める展開になったのは、この史実を反映してのことだったのだろう。
エノケンも興行師に出演料を持ち逃げされた
ちなみに、笠置と映画や舞台で組んでいた喜劇王エノケンもまた、お金に苦労の多い人生だった。
自伝『榎本健一 喜劇こそわが命』(日本図書センター)では、息子のニセモノが軍隊を慰問したり、エノケンの倅と名乗って金を借りて行ったりしたことで、ニセモノにだまされた人が何人も訪ねて来たエピソードが記されている。しかし、本来は利用され、巻き込まれたことに腹を立てる場面ながら、エノケンの以下の対応はあまりにお人よしだった。
榎本健一『榎本健一 喜劇こそわが命』(日本図書センター)
しだいにニセモノが悪質になって行ったことで、世間と、病弱な息子への影響を考え、警察に事情を説明して取り締まってもらうことにしたというが、その後、息子に先立たれてしまう。
さらに、エノケン自身、最期の巡業で得るはずだったギャラを興行師に持ち逃げされたことが、近代演劇研究者・笹山敬輔氏(内外薬品社長)の著書『昭和芸人 七人の最期』で記されている。
歌や芝居に命をかけ、ステージ上で輝く一方、情の厚さゆえに「お金」に群がる人々に利用され、苦労した笠置とエノケン――お金にまつわる話からも、二人の意外な共通点が見えてくるのだった。