私が子どもを守らなければ
「夫は何をするか分からない人、私が子どもを守らなければ……。精神的に追い詰められ、震える手で荷物をカバンに詰めていましたね」
3年前、2歳の息子を連れて家を出た、都内在住のTさん(37)。夫への恐怖心と不信感にさいなまれていた当時の心境をこう語ってくれた。
アプリで出会い結婚したが、価値観のズレに疲弊
都内の銀行に勤めていたTさんが結婚したのは31歳の時。夫は6歳年上で、近くの不動産会社勤務だった。2人はマッチングアプリで出会って意気投合。お互い結婚願望が強く、出会いから1年を経ずして籍を入れた。
すでに子どもを身ごもっていたTさんはまもなく出産。幸せな新婚生活になるはず、だった。だがTさんはすぐに、夫との価値観のズレに直面することになった。
例えば子どもの健康や安全面。生まれたばかりの息子のそばで、夫は平気でたばこを吸う。頼めばベランダに行ってくれるものの、なぜか窓は開けたまま。閉めてくれるように何度お願いしても耳を貸してくれない。買い物に行けば重い荷物をハンドルにかけたまま、息子を片手で抱いて自転車をこぐ。「危ないから」と言えば怒り出した。
「出産後は疲れがひどくて乳腺炎も悪化し、体はボロボロ。手伝ってほしいけれど夫は仕事が大変で、育児まではお願いできない。だけど『息子のいる部屋にたばこの煙を入れないでほしい』という、その1つのお願いさえも聞いてもらえないのかとつらかった」。Tさんは振り返る。
酒を飲むと人が変わるのも怖かった。マンション前にたばこの吸い殻を捨てた人に腹を立て、追い駆け回して職場に乗り込み、1時間以上怒鳴り続けたこともあった。ささいなことでもけんかになれば、「離婚する」とすぐに言い出し、Tさんの両親にまで一方的にLINEを送る。離婚は避けたかったTさんは、そのたびに夫に従わざるを得ず、自身の思いを抑え込むことが増えていった。
育休が明け、Tさんは職場に復帰した。夫との関係はさらに悪化し、心身へのストレスからか、頭痛や腹痛で会社を休みがちになっていく。夫も以前にも増して仕事が忙しくなり、イライラが募っている様子だった。
「そんなにつらいなら死ねば」
息子が2歳になった頃、Tさんにとって決定的な出来事が起きた。
体調が悪く、自宅でふせっていた時のこと。「そんなにつらいんだったら死ねば? そこに縄をくくってあげるから」。そばにいた夫が放った、衝撃的な一言。Tさんの中で何かが弾けた瞬間だった。
「この人は何をするか分からない」。直前に起きた「事件」も鮮明に脳裏に浮かび、Tさんの不安をかき立てた。
「やるか、やられるか」
その「事件」とは、関係の悪化に耐えかねたTさんが、離婚の話し合いを夫に持ち掛けた時に起こった。夫は話し合いに応じるどころか、用意してあった離婚届の息子の親権者欄に夫の名前を勝手に記入し、役所に出しに行こうとした。
慌てたTさんが止めて事なきを得たが、夫への不信感は膨れ上がった。親権とは子どもの監護や教育を行ったり財産を管理したりする権利・義務のことを指し、離婚後の単独親権制度を採用している日本では、離婚後はどちらか一方の親しか子どもの親権を持つことができない。
「もし私に危害を加えられたら、もし息子が夫に連れ去られたらどうしよう」。夫の昼寝中に震える手で身の回りの物をバッグに詰め、Tさんは息子を連れて東北地方にある実家に向かった。
家を出る際、頭に浮かんだのは「これは『子どもの連れ去り』で、違法行為ではないだろうか」ということだったとTさんはいう。一方で、現行の法制度の下では相手に先に連れ去られたら子どもとなかなか会えなくなり、親権を得ることも非常に難しくなる、という「現実」も知っていた。
「やるか、やられるか」「子どもを連れ去られたら法も誰も守ってくれない」。Tさんは追い詰められていた。
「連れ去りだ!」夫から激怒のLINE
妻と子どもが突然姿を消したのだから、夫は当然激怒する。「第三者を入れて話し合いを」とTさんはすぐにLINEを送ったが、夫からは「連れ去りだ!」と怒りのこもった返事が返ってきた。
Tさんの恐怖心はますます募る。警察にも相談し、自分に近づかないよう夫への警告も出してもらった。
離婚に向けて弁護士を雇い、まもなく裁判所で調停がスタート。だが互いの主張は全くかみ合わなかった。
Tさんが「離婚成立がまず先で、夫が少しでも言動を反省すれば息子との面会交流を考える」と言えば、夫は「そもそも子どもを連れ去ったことが問題で、元いた場所に息子を戻した上でなら考える」との堂々巡り。
膠着状態が半年も過ぎたころ、裁判所から夫と息子との試行面会が提示された。Tさんは反発するも、会わせないわけにはいかない。Tさんの担当弁護士の事務所で30分間、夫と息子が会うことが決まった。
「連れ去り」恐れ、護衛は5人
面会交流へのTさんの警戒ぶりは徹底していた。Tさんと彼女の母、弁護士の3人が立ち合い、すぐ隣の部屋には知人男性2人が待機。何かあればすぐに駆け付けられるようにしていた。なぜなら、夫による息子の「連れ去り」を恐れたからだ。
「夫の立場に立てば、子どもと次いつ会えるか分からない、親権も取れないだろうという絶望的な状況に置かれていると思いました。だから追い詰められて息子を連れ去ろうとするかもしれない。会わせるなんて、そんな危険なこと絶対無理。私が息子を連れ去られた立場だったらって考えると、より恐怖が増すんです」とTさん。
果たして心配したような問題は起きず、面会交流はスムーズに終わった。「息子に会えないことはない」との安心感を得たのか、夫は徐々に冷静さを取り戻したようだった。
支援者との出会い
その後、裁判所での取り決めで月1回の面会交流を行うことになったものの、とても2人で直接やり取りができる状態ではなかった。支援組織を探し始め、そのなかで面会交流時のTさんの同席や場所などの希望に対応してくれる団体に仲介をお願いすることにした。離婚後の共同養育に取り組む団体だった。
離婚後も双方の親が子どもの養育に関わるという「共同養育」。Tさんも夫も、初めて耳にした言葉だった。
支援がスタートしても、面会交流は当初、Tさんにとって大きな負担だった。夫が日程を直前に変えてきたり、突然自宅で息子に会いたいと言い出したり。それらの希望を受け入れるのか受け入れないのか、子どもにとっては何がいいのか毎回悩んだ。
面会交流の数日前からは自身の心もガードしなければならない。やっと終わったと思うとまたすぐ巡ってくる、の繰り返しで疲れ果てる日々。その心のモヤモヤ、イライラを支援団体の担当カウンセラーにぶつけ、じっくり話を聞いてもらった。気持ちを整理し、客観的な立場のカウンセラーを通して思いを伝え合うなかで、夫からは徐々にTさんへの配慮の言葉が聞かれるようになっていった。
「夫もちょっとずつ変わってくれているんだ、それなら私も変わらなきゃ、子どものために夫は将来絶対力になってくれるはずだから、って、少しずつ思うようになっていって」。Tさんの固く閉ざされた心も少しずつ解け始めていった。
夫からの思いがけない言葉
調停が始まってから約2年。次の大きなターニングポイントがやってきた。息子の親権はTさんが持つことや、養育費、面会交流の頻度など、離婚条件がほぼ固まった時期だった。
カウンセラーの勧めで夫と一緒に夫婦カウンセリングを受けることになった。家を出てから初めて夫と直接向き合う場。ちゅうちょしながら足を運んだTさんは、ずっと心の底に沈殿していた、夫の「死ねば」発言について、つらかった胸の内を夫にぶつけた。
すると、夫からは思いもかけず「ごめんね」との謝罪の言葉が返ってきた。
その一言を同じ空間のなかで直接聞けたことは大きかった。Tさん自身からも、胸につかえていた「子どもを連れ去ってごめんね」の一言が自然と出てきた。大きな雪解けの瞬間だった。
それからの展開は早かった。末期がんを患った義父に息子を会わせてあげたい、との夫の願いをTさんは受け入れ、3人で向かうことができた。
その後まもなく面会交流支援を卒業。今ではLINEやメールで夫と直接やり取りをし、面会交流の回数や時間も拡大。離婚は成立したが、クリスマスなどには元夫婦で息子を囲み、一緒にパーティーができるまでになった。
「この3年でここまで来るなんて、自分でもほんとに驚きです」とTさんは話す。
離婚後の関係をサポートする法や制度の整備を
筆者はこれまで多くの別居・離婚後の親子を取材してきた。「子どもに会えない」「会わせられない」という人たちの背景や理由はさまざまだし、「別れた夫婦が共に子育てに関わるなんて無理」との言葉も多く聞いてきた。家庭内暴力や虐待など、被害者の厳格な保護が必要な場合もある。
だがその一方で、Tさんのように適切なサポートがあれば、別れても双方の親が子どもの養育に関わり続けられるケースも少なくないのではないか、と痛感することも多かった。
共同養育支援に取り組む一般社団法人「りむすび」のしばはし聡子代表は、「離婚のこじれの原因の9割は感情」と指摘する。「離婚の条件を決める前にカウンセリングで感情を整理し、夫婦間のわだかまりを解消すれば、親同士の関係を再構築しやすくなり、最終的に共同養育をできる関係性になる方も多い」と話す。
Tさんにも別居・離婚時に何が必要と思うか、聞いてみた。「私にとっては特に、客観的な立場の第三者に話を聞いてもらうこと、カウンセリングなどの支援でした」とTさん。加えて「離婚後の親子関係に関する知識や、安心して話し合える、話し合わなければならない場や制度、子どもの養育計画の作成義務化など親としての責任を果たすための仕組み」とも。いずれも離婚後の共同監護制度を導入する欧米などでは整備が進んでいるものの、日本では公的支援としてほぼないものばかりだ。
また、日本で導入に関し議論が続く、離婚後も父母双方に親権を認める「共同親権」については賛成派というTさん。「共同親権制度があるのとないのとでは、別居・離婚時の情報の整理の仕方が違ったと思います。一方の親しか親権を持てない今の状況では、親権を取るか取られるかしかなくて怖かったし、その恐怖の中で極端な思考になっていった面はあると思います」
離婚後の子どもの養育について検討している法制審議会の部会は昨年12月、共同親権の導入やその例外規定、法定養育費制度の創設など、家族法制の見直しに向けた要綱案の素案を示した。今年1月にも要綱案を取りまとめ、政府は早ければ2024年の通常国会に民法改正案を提出する見通しだ。法整備とともに、Tさんが指摘するような、離婚後の親子・元夫婦が関係を再構築するのを後押しする支援・制度を強化していってほしいと思う。
元夫は「子育てプロジェクトのメンバー」
元夫との新しい関係をスタートさせたTさん。今はどんな状況にあるのだろう。
「一緒にいた時はいがみ合うことが多かったけれど、離れて暮らす今は『子どものために』と、互いが純粋に考えられるようになった」とTさんは語る。
怒りやわだかまりが薄れてくれば、自分も心が楽になり、何かをしようとの意欲も湧いてくる。息子と元夫の仲は良く、「お父さんと水族館に行きたい」などと息子も会うのを楽しみにしているようだ。
「もし元夫と息子を会わせない、との判断をしていれば、そのことで生じる子どもへの『責任』を自分は背負い切れたのだろうか」と時折思う。
今でも元夫とは時々険悪な雰囲気になる。その時には「役割分担」と「相手に求めすぎないこと」を意識する。「ビジネスライク」と思えばできるはず。
子どもを育て、好きなことをさせてあげるにはお金もかかる。息子は元夫の幼い頃とそっくりで、国旗が好きなど似ているところもたくさんある。進路などで相談したくなる時もきっと来るだろう。幸い元夫も「息子と一番接し、一番よく分かっている」と、Tさんの見方を尊重してくれるようになった。
「元夫は子育てプロジェクトのメンバーみたいなものですね」と笑顔で話すTさん。今の心配は、元夫が将来再婚した場合、子どもにどう伝えたらいいのか、ということ。その時は1人で抱え込まず、また誰かに相談したいと思っている。悩み、助けを頼りながら今にたどり着いたTさんは、何かが吹っ切れた、すがすがしい表情をしていた。