ブラックホールはフィクション?
「宇宙物理学の研究をしている」と伝えると、高頻度でぶつけられる質問の一つが「ブラックホールに落ちたら人はどうなりますか?」というものです。非常に純粋で単純な質問ですが、ブラックホールが作り出す時空の性質を理解する上で良い教材になります。そこで、「ブラックホールに落ちてしまう人」というどこか悲しい題材を頼りに、ブラックホールとは何かを見ていくことにしましょう。
月や太陽などと比べて日常生活における身近さは皆無ながら、なぜか「ブラックホール」という言葉自体は聞いたことのある人が多いです。恐らくSF映画や漫画、アニメなどの作品を通じて知ったのだと思いますが、だからこそか「ブラックホールは、フィクションの世界のもので実際の宇宙にはないんでしょ?」と思っている人もいるようです。
しかし、ブラックホールはX線や重力波などの様々な観測によって、はっきりと存在が確認されている天体の一種。小さなスペースに物質が極限まで押し込まれた高密度な天体です。ブラックホールは宇宙に1個だけあるものだと思っている方もいるようですが、銀河系には約1億のブラックホールがあるといわれています。その中で、存在を確認されているのは約60個です。
またブラックホールには大きく分けて、太陽と質量が同程度のブラックホール(恒星質量ブラックホール)と、太陽の数百万倍から100億倍もの質量を持つ超大質量ブラックホールがあることが確認されています。
重力とは時空の歪み。大きく時空が歪むと…
ドイツの物理学者アインシュタインは、1915年に発表した「一般相対性理論」で、重力とは時空の歪みだと表現しています(時空=時間と空間を合わせたもの)。
時空に天体が生まれることで、そのまわりの時空が歪みます。時空が歪むことで、その天体は重力を発生させます。ブラックホールはぎゅうぎゅうと高密度な天体になった結果、時空を大きく歪ませ、強大な重力を発生させています。
このブラックホールのまわりはあまりにも空間が大きくゆがんでいるために、一度ブラックホールに入り込んでしまうと、光すらも抜け出せません。この光が抜け出せるか、抜け出せないかのギリギリの境界線(ブラックホールの表面といえるところ)を「事象の地平面」といいます。
太陽と同程度の質量の恒星質量ブラックホールを考えてみましょう。太陽の半径約69万6000kmに対して、ブラックホールのシュバルツシルト半径はおよそ3km(ちなみに地球程度の質量の場合は約9mm)です。したがって、太陽と同程度の質量のブラックホールが存在するためには、わずか3kmという小さい領域に太陽と同程度の質量の約2×1030kgが閉じ込められた超高密度になっている必要がある……ということから、ブラックホールがいかに高密度な天体かが分かるかと思います。
そもそも「ブラックホール」とは?
このブラックホールはどのように生まれたのか。なぜ存在は確認されているのにもかかわらず、誰の目にも見えないのか。本題に入る前に、ブラックホールに関して、現代物理学で語られている理論などから少しだけ説明します。
天体などの物体は時空に影響を与える(時空をゆがませたりする)一方で、その物体の動きは、その曲がった時空から影響を受けます。一方的にではなく、お互いに影響を与え合うわけですね。この関係性をアインシュタインは、「アインシュタイン方程式」と呼ばれる式で表しました。現代におけるブラックホールの理論は、この式の答えを、ドイツの天文学者・シュバルツシルトが導いたことで始まっています。
アインシュタインの「一般相対性理論」におけるブラックホールには、質量と電荷(粒子や物体が帯びている電気の量)、スピン(回転の勢いを表す概念)の3つの性質が存在します。それに対して、シュバルツシルトが提言したブラックホール(以下、シュバルツシルトブラックホール)は、電荷も持たず、回転もしていない、最も単純なブラックホールでした。
天体が自身の重力を支えきれずに重力破壊を起こし、電荷を持たず回転もしていない質量の分布が小さい領域に押し込まれた結果、生まれたのがシュバルツシルトブラックホールです。
このブラックホールは、その中心からシュバルツシルト半径(ブラックホールの質量で決まる半径)だけ離れた場所に、先ほど述べた「事象の地平面」という境界を持ちます。この光すら抜け出せない「事象の地平面」の外側、内側で時空は完全に断絶されていると言われ、内側から光が漏れだすことはないので、ブラックホールは誰の目にも見えないというわけです。
これらを踏まえて厳密に言い換えると、ブラックホールとは光が到達することができる未来のある地点(限りなく遠いところ)から、光が過去に遡ってもどうしても到達できない時空の領域を指します。その境界を「事象の地平面」と呼ぶことができるでしょう。
ちなみにこの「事象の地平面」では、強力な重力により、そこから十分遠くから見ると時間の流れが止まってしまって見えます。その地点ではスピードを持って動いている物体も、遠く離れた地球にいる我々から見るとほぼ止まって見える、ということです。
以上、少し長くなりましたが「ブラックホールとは光さえも脱出できない天体」の説明でした。ということで、冒頭の質問に戻ります。
ずばり、ブラックホールに落ちたら人はどうなってしまうのか?
まるでアリ地獄のように落ちていく
ブラックホールになんらかの理由で落ちてしまった可哀想な人を、観察する第三者の目線で見ていきましょう。
ここでは、「そもそもブラックホールまでどうやって行くつもりだ?」とか「呼吸するための酸素はどうやって確保するつもりだ?」といったことは考えないことにします。
まず、人はブラックホールの影響を受ける時空に到達すると、強い重力を持ったブラックホールの中心に引き付けられるように、落下をはじめます。アリ地獄をイメージするとわかりやすいかもしれません。このとき人がただようのは「降着円盤」といわれる、ブラックホールに落ちたガスなどが、土星の輪のようにブラックホールのまわりを囲った円盤です。
そのうち、ブラックホールの「最内縁安定円軌道」(シュバルツシルト半径の3倍の球面にあたるところ)という地点に行き着きます。「最内縁安定円軌道」とは、「降着円盤」の最も内側にあたる部分であり、物質がブラックホールのまわりを安定感を持って回転することができる、最も内側の軌道になります。
これより内側に入ると、安定感を失い、すべての自由落下する物体は、ブラックホールに向かって落ちていくことになります。
そのうちに、ブラックホールの表面ともいえる「事象の地平面」に近づいていきます。「事象の地平面」に近づくほど、遠くに離れた我々からは、時間の流れがゆっくりになるため、この可哀そうな人が「事象の地平面」を通過するのを見届けようと思うと、無限の時間が必要となります。
しかしながら、ブラックホールに落ちた人目線で見ると、「事象の地平面」を通過するからといって何か特別に時間の流れや空間的な異常を感じることはありません。有限の時間でブラックホール内部に入り込むことができてしまいます。
私たちの日常的な感覚からは理解しにくいかもしれませんが、通過する人、それを観察する人とでは、立場によって時間の進み方が変化してしまうので、このような違いが生まれます。
ブラックホールに落ちたら人はどうなるのか
中心に近づけば近づくほど、全身で見たときにつま先にかかる重力の方が、頭に加わる重力に比べて圧倒的に大きくなっていきます。このような力の差を“潮汐力(*)”といい、太陽質量の恒星質量ブラックホールの場合、落ちていく人には約10億Gにも及ぶ潮汐力がかかるといわれます。
残酷な結果ですが、体はこの潮汐力によって細く引き伸ばされ、ブラックホールに到達する前にバラバラにされてしまうと想像できます。ブラックホールの質量が大きい場合(超大質量ブラックホールの場合)には、半径が大きい分、かかる潮汐力が1G未満に抑えられるため、意外なことに、なんの影響も受けないままブラックホール内部にまで到達することができるでしょう。
さて、ではこの可哀想な人がブラックホールの内部に入れたとしましょう。このとき、落下している人の速度は光速の約95%にも達します。自由落下する時間はブラックホールの質量に比例し、太陽質量の恒星質量ブラックホールに落ちた場合、中心地まで落下するのに約0.000001秒しかかかりません。
この場合も、脱出する手だてはないので、ブラックホールの中心に到達するどこかで、結局は五体バラバラになってしまうと想像されます。どちらにしろ、ブラックホールに入ったが最後、一瞬のうちに全身をバラバラにされてしまう以外の道は今のところないわけです。
ただ、この様子は光さえ脱出できない場での出来事なので、観察者はよくも悪くも、その様子を見ることはないでしょう。
最後に、ブラックホールの中心には「特異点」と呼ばれる点が待ち受けています。特異点は、時空の曲がり具合を表す量が無限大となり、物理法則が破綻する点です。現在の物理学の理論では、特異点付近の近くで何が起こるのかは誰も予測できません。
これを可能にするには現時点では完成していない新たな理論が必要だと考えられています。