2022年に芥川賞を受賞した高瀬隼子さんは、作家であり現役の会社員。新刊『うるさいこの音の全部』(文藝春秋)では、若い女性の小説家が新人賞を受賞すると、周囲の見る目が変わりそれまでの日常が崩れていく様子をリアルに描く。高瀬さんは「タイトルに入れた『うるさい』という言葉のように、他人の言動に抱く違和感はどうしても発生するもの。ふだんはスルーしていることを小説に込めました」という――。

※一部、小説の結末部分に触れています。

兼業作家としてのリアルなシミュレーションが現実になった

――おいしいごはんが食べられますように』がベストセラーになった高瀬さん。昨年の芥川賞受賞時は一般企業にお勤めでしたが、現在も兼業で小説を書いているのですか?

【高瀬隼子さん(以下、高瀬)】はい。今も同じ会社に勤めています。もう事務職として10年以上、働いてきたことになりますね。ふだん、仕事の時間と小説を書く時間は分けていますが、実は在宅勤務の日より出社した日のほうが、夜の執筆がはかどったりします。在宅だと通勤しないので自由時間が1時間半ぐらい増えるはずなのですが、書き進めた文字数を見ると、出勤した日のほうが多く書けているので、不思議ですね。

作家・高瀬隼子さん
写真提供=文藝春秋
作家・高瀬隼子さん

――うるさいこの音の全部』は、長井朝陽という27歳の女性がゲームセンターに勤めながら小説を書いていたところ、新人賞を受賞して本を出し、兼業作家であることが職場でバレて、ちょっと面倒くさいことになっていくという物語です。のちに朝陽は芥川賞も受賞しますが、高瀬さん自身の体験が反映されているのでしょうか?

【高瀬】実はこの作品を書き始めたのは芥川賞受賞より前で、私自身、職場では小説を書いていることを知られていない段階でした。ですから、朝陽に起こるのは「もしバレちゃったら怖いなぁ」と想像しながら描いたことです。実際にバレてしまうと、周りの人に冗談で「先生」と呼ばれてしまうなど、想像で書いたことが本当に起こり、ちょっと怖いような気もしました。そういった体験や芥川賞を受賞した後の部分は書き加えたりはしています。

――高瀬さんの洞察力が発揮されたのですね。てっきり、ご自分が作家になり感じたことを記録した小説なのかと思っていたので、意外でした。

【高瀬】そう受け取ってもらっても構わないのですが、この作品を書いたのは、どちらかというと、小説家を主人公にして作中作(小説の中で書かれていく小説)を書いてみたいということが大きかったです。書きかけの小説があって、それを書いている小説家の現実のパートがあって……という形式がかっこいいのではと(笑)。実際に書いてみると、やはりその作業はスリリングで面白かったです。

「うわぁ」と思われるような嫌な人を描くのは楽しい

――その作中作では、女子大学生の無謀で無神経な行動が描かれます。思いつきで中華料理店の息子にご飯をおごらせた挙げ句、彼と寝てみたり……。個人的に、私も大学生時代に同級生が似たようなことをやらかした記憶があり、リアルで痛い! と思いました。

【高瀬】主人公の朝陽はごくごく一般的な性格。そんな真面目そうな人が「うわぁ」と思われるような小説を書いているという構図にしたかったので、大学生の悪い面が出る話を書いてみました。作中の「わたし」ほどひどいことはしていなくても、大学時代にちょっとした軽薄さを持っていた人は多いかなと、そんな反省も込め……。でも、同時に、嫌な話を書くのは楽しいんですよ。「ここでこんな態度を取ったら、すごく嫌なやつになる」などと面白がりながらスラスラ書けます(笑)。

――表題作のほかに、朝陽が芥川賞を受賞して取材攻勢を受ける様子を描く『明日、ここは静か』も収録されています。朝陽に嫌なことを言う記者が出てきたりしますが、これは実際にあったことですか。

【高瀬】いえ、これも想像です。実際に私が芥川賞を受賞したときのインタビューでは、聞き手の皆さんは小説を読むという労力をかけてまで取材してくれるわけですから、丁寧に接していただいて、こんな嫌な目にはあいませんでした。職場でも、朝陽が「小説家なんだから広報に協力して」と言われたようなことも、いっさいなく……。ただ、「何かひとつ違ったら、こういうことは起こりうるだろう」と思って書いている感じですね。

作家・高瀬隼子さん
写真提供=文藝春秋

結婚を強要するなど、ときどき耳に入る「うるさい」声

――朝陽は同僚や上司、友人から、いろんなことを言われて「ざわざわ」した気持ちになるわけですが、高瀬さんがふだんそういった違和感を抱くのはどんなことですか?

【高瀬】私の日常はわりと平和というか、もしかしたら小説家だということが知られたからかもしれませんが、直接ハラスメントみたいな言葉をぶつけられることはなくなりました。ただ、先日、喫茶店にいたとき、隣のテーブルで若い女性が年上の女性から「早く結婚しなさいよ」と言われているのを耳にして、勝手に言われた女性の気持ちになり、隣の席でキレてました(笑)。その女性がなぜそんなことを言われていたのかはわからないんですが……。

――「早く結婚しなさい」というのは、やはり今でも女性が言われがちなフレーズですよね。

【高瀬】まだ全然消えていないですよね。高瀬個人としては、あまり「結婚」という縛りに興味がなく、例えば友達が結婚してもしなくてもどっちでもいいし、したかったらすればいいと思っています。結婚するかしないかは本人が好きにすればいい話であって、そんなに重要なトピックではないですね。ただ、喫茶店で目撃したような結婚の強要は不愉快だと思っているので、そういう声には「うるさい」と言いたくなりますね。

 

「言われる側」の問題ではなく「言う側」が変わるべき

――いまだに職場でも、そういうプライベートな場でも、「うるさい」ことを言われてしまうケースはあります。そんなときはどう対応すればいいのでしょうか。

高瀬隼子『うるさいこの音の全部』(文藝春秋)
高瀬隼子『うるさいこの音の全部』(文藝春秋)

【高瀬】その場で「うるさい」と返したいけれど、言えないですよね。その人とはもう付き合いたくないと思っても、職場の上司とかお世話になっている人だと縁は切れないので、困りましたね……。相手も善意で良かれと思って言っている場合が多いとは思うけれど、「言われる側」の問題ではないはずで、本当は「言う側」が意識を変えてアップデートすべき。それなのに現実には「言われる側」しか困らないので嫌だなと思います。

――たしかに、「言われた側」が黙ってがまんするというパターンが多いですね。

【高瀬】「早く結婚しなさい」とか、そういう相手への押し付けをやめようよと思う人は増えているし、多くの人が意識して口や態度に出さずにいる中、言ってくる人は、昔から今に至るまでずっと一定数いて減らないし、いなくならないので、どうしたものかと思って見ています。私もふだん会社員としてはスルーしていることが多く、それをため込むだけだとしんどいので、小説に描いているのかもしれません。小説を書いているときだけは、自分の引っかかっていることが出せますね。

ときには他人に嫌われ注意もされるリアルな人間を描きたい

――この小説では、芥川賞を受賞し取材をたくさん受けた朝陽がつい話を作ってしまい、それが担当編集者にとっては、これまで朝陽が周囲に抱いてきたような違和感になってしまうという暗転が見事です。

【高瀬】ふだんの私もそうですが、誰しも話を盛ることはあるし、大なり小なりの嘘はつくもの。しかし、「小説家が取材で嘘をついちゃうとバレてしまって、こうなるんだな」と思いながら、その怖さを描いたつもりです。担当編集者は「そんな嘘をつかなくても」と止めてくれたわけですが、朝陽はゼロから話を作ってしまったし、やっぱり朝陽を担当するのはたいへんですよね(笑)。この小説に限らず他の本もそうですが、主人公がすべて正しくて正義というわけではなく、ときには他人に嫌われもするし、「それは違うだろう」と思われるようなこともしてしまう。そんな部分を残して書くようにしています。