毎年夏になると、川や海で流された子どもを助けようとした大人が溺れて亡くなるケースが後を絶たないのはなぜなのか。水難学会の理事で、水難学者の斎藤秀俊さんは「『ういてまて』を守ろうとする子どもは助かる可能性が高い一方、大人は『救助を』と考えてしまい命を落とすことが多い。大人がこの考え方を変えない限りは、生還は難しい」という――。
海水浴場
写真=iStock.com/undefined undefined
※写真はイメージです

子どもは助かり、助けに行った親が命を落とす

今年の夏の水難事故を振り返ると「娘と息子の救助に向かった父親が溺れた」という痛ましい事故が目につきました。

毎年のことなのですが、子どもを助けに向かった家族が命を落とし、子どもの方は助かる事故が繰り返されています。そういったニュースのコメント欄を読むと「子どものために命を落とすのは本望」とか「親として、子どものそばにいたい」とか、さまざまな意見が寄せられます。でも大人目線は少し横に置いておくとして、子ども目線になれば「そんなこと」を思うお子さんがいるのでしょうか。本当はみんなが助かって笑って過ごすことのできる毎日を望んでいたはずです。

水難事故の厳しい現実

水難事故の現実は、「浮いているか」「沈んでいるか」のどちらかです。

ほんの20年くらい前は、「救助隊が到着したら、捜索から」が当たり前だったくらい、水難事故では沈んでいました。親子の事故であれば、両方とも沈んでいました。海でも、川でも、池でもです。

最近になって、ようやく浮いて救助を待つ例が目立つようになってきました。現場の救助隊の皆さんからも、「無事救助できました」とうれしい声をよく聞きます。

「ういてまて」です。溺れそうになっても「浮いて呼吸を確保できたから、救助まで生きていられた」。つまり「ういてまて」とは「救助」と両輪の関係にある考え方のことなのです。

そのような中で「子どもは助かるのに、助けに行った親はなぜ溺れるのか」

それは、水難事故に遭うと子どもは「ういてまて」という考え方でいるのに対して、大人は「救助」と考えてしまうからなのです。最後まで「救助」と思い込んだ大人が命を失ってしまうことが多いのです。

助けに行った父親が命を落とした

地元の報道(山陰放送)によると、7月16日午後、男性は、妻・娘・息子などと、島根県出雲市の浜を訪れ海水浴を楽しんでいました。しばらくして小学生の娘と息子の姿が見えなくなったことに気が付いた男性は、妻と共に浜辺から沖合を探しました。海上に2人の子どもの姿を見つけ、父親が救助に向かいましたが、今度は3人とも姿が見えなくなってしまいました。

妻が近くにいた男性に助けを求め、救助が現場に向かいました。3人が海上で救助された際、男性はあおむけの状態で、2人の子どもは父親につかまるような状態だったということです。2人の子どもは命に別条なく、父親は搬送された病院で死亡が確認されました。

「浜から35メートル」という距離

男性は、泳いで子どもたちのそばまで近づいたと思われます。浜からの距離は35メートルほど。その海面で男性は子どもたちと浮いていたとのことです。

35メートルというと、小学校のプールのコースの長さが25メートルですから、それより少し距離がある程度です。岸からしばらくは足が海底に届いたことでしょうから、泳いだ距離は実質25メートルくらいだったかもしれません。

25メートル、これはプールの縦の長さくらいです。特に海では25メートルというとすぐ先の景色なので、どうしても近くに見えて、つい泳いで行こうとしてしまいます。

25メートルくらいなら、筆者も普通にきっと泳いでいきます。救命胴衣も何もつけませんし、浮き具も持ちません。人を救助して、陸に戻る時に邪魔だからです。ただ、それは筆者が、赤十字水上安全法指導員の資格を持ち、入水救助の方法を教えたりする立場にあるからこそです。こうした知識やスキルがない場合は、絶対にやめた方がいい。

25メートルに潜む「魔物」

「25メートル前後」といえば、水難事故調査を続けていると、海岸での事故でよく聞くことのある距離です。

波の戻りで海に身体が引っぱられると、砕波さいはという、波が白く崩れる部分に巻き込まれます。それを過ぎると、そのすぐ沖にある砕波帯のさらに沖で、流された人が浮いていることが多いのです。

【画像1】海岸の「砕波」
写真提供=斎藤秀俊さん
白い波が砕波、沖の次の波までの間が砕波帯。写真左側に立っている男性を見ると、深さが成人の肩ぐらいということがわかる。水難学会指導員養成講習会で、5分間の背浮き実技訓練中。2012年9月、愛知県田原市

画像1では、白い波が砕波、そのすぐ沖で背浮きをしている人たちがいるのが砕波帯、さらにその沖で浮いている人たちがいるのが砕波帯の沖です。そのあたりが距離にして砂浜の汀線(波打ち際)から20メートルから30メートルくらい先です。

その距離、つまり砕波帯の少し沖くらいなら、陸から見て「助けにいけそう」と判断されがちです。でも、この砕波帯の沖というのが魔物で、そこはちょうど海が深くなっているところでもあります。

画像1では砕波帯に立っている人がいますが、水面は肩ぐらいであることがわかるかと思います。

砕波帯の沖というのはさらに厄介で、浮き輪や救命胴衣を身に着けたまま流されてしまうと、たかが30メートルくらい先でも岸に戻れなくなってしまいます。その先に「離岸流」が発生していれば、どんどん沖に流されていきます。

行きはよいよい…

助けに行った人が溺れる原因は、砕波帯の沖が「深い」「戻れない」ところにあります。

砕波帯の沖であれば、波の波長は長くなるので、浮き具につかまって浮いていれば呼吸は確保できますし、なくても画像1のように背浮きをしていれば、呼吸は十分確保できます。だから「ういてまて」という考えで、とにかく救助を待っていれば、すぐに命を落とすことはありません。

それに対して、子どものそばに泳いでいく親の心境は「助けたい」が多かったのではないでしょうか。浮き輪や救命胴衣を探し出して身に着けるようでは「子どものところに早くたどり着きたい」という気持ちに逆行するし、とっさの事故だと、救命胴衣を着てから水に入るという発想になかなかならないことでしょう。

距離にして30メートル程度です。小学校の時に泳ぎの経験があって、少しの自信があれば行けない距離ではありません。大方の大人は子どものところにたどりつくと思います。

ところが、そこから岸に戻ることがなかなかできないのです。水難事故の入水救助は「行きはよいよい帰りは怖い」なのです。

助けに行った大人はなぜ溺れるのか

画像2をご覧ください。このイメージは、浮き輪で浮いているお子さんを、大人が引っ張って岸に戻ろうとする、その瞬間を描いています。浮き輪で浮いているとはいえ、そのお子さんを引っ張って岸に向かって泳がなければなりません。

【画像2】助けに行った大人が溺れる理由
提供=斎藤秀俊さん

大人はどうしたらいいのでしょうか? お子さん1人を引っ張ると、片手がふさがります。お子さん2人なら両手がふさがります。両手がふさがってしまえば、大人は泳ぎながら呼吸することすらままならなくなります。

砕波帯の沖では、海底が急に深くなっています。つまり、お子さんが救助を待つ場所では、大人の足が海底に届かないことが普通にあります。

このような所では、立ち泳ぎができない限りは1分も浮いていることができません。呼吸することができません。ここで助けに向かった大人が「ういてまて」と気持ちを切り替えれば、背浮きになってとにかく呼吸を確保することができます。しかし、そう気持ちを切り替えられず、助けようとしてしまうと、一気に危険な状態に陥ります。「小学生の時に泳げた」のと「今日、立ち泳ぎで浮ける」のとは根本的に異なるのです。

たった30メートルくらいの距離でも、海岸の先の方では画像2のように極めて厳しい現実が待っています。

親が「救助」という考え方を切り替えない限り、親子一緒の生還は難しいのです。

子どもに「ういてまて」と声をかけ続ける

それでは、どうしたらいいのでしょうか。砂浜海岸を例にとり、現実で考えましょう。

砂浜で親が慌てるのは、お子さんが浮き具などで海上に浮いて、沖に流されている状態のときです。すでに沈んでいて姿が見えなかったら「途方に暮れる」ばかりですから、沖に泳いでいくことはそうそうありませんし、まずは「砂浜のどこかで迷子になっているのではないか」と陸を探すことでしょう。

浮いているお子さんの姿を見つけたら、海岸から大きな声で「ういてまて」と叫び続けます。お子さんは「自分に気が付いてくれた」と少し安堵あんどしますし、浮くことに全力を尽くします。多くの小学校では、背浮きの時に「ういてまて」と声をかけ合って練習しているので、子どもはかけ声だけでどうしたら良いか判断できます。

そして119番通報をします。通報で通信員に「海に流されている」としっかり伝えてください。そのキーワードで、通報を受けた消防本部から、各都道府県にある消防防災航空隊の救助ヘリコプターの出動につないでくれます。通信員の「いま救助隊が向かいますので、待っていてください」の言葉をぜひ信じてほしいと思います。

子どもと一緒に「ういてまつ」

本当は、岸から「ういてまて」と叫び続けてほしいところです。でも、どうしてもお子さんのそばに行きたい衝動が抑えきれなかったら、浮き輪でも救命胴衣でもなんでもいいので、浮くものを身に着けて、膝下までの水深のところまで海に入ることもありえます。距離にして10メートルくらいはそばに近づけます。そして「ういてまて」と叫んでください。

それでも衝動が抑えきれずに深いところに入ってしまったら、浮き具でお子さんと一緒に浮いていましょう。考え方を「救助」から「ういてまて」に切り替え、お子さんと一緒に「ういてまつ」のです。そして一緒に岸に戻ることは諦めてください。

救助隊の到着を待っていてください。もし浮き具がなかったら、背浮きになって呼吸を確保してください。それが、家族全員が生還するための最後のよりどころです。

消防防災ヘリコプター、海上保安庁ヘリコプター、警察ヘリコプターのいずれかが先に到着すれば、つり上げ救助という方法で1人ずつ海面からつり上げてくれます。それまで救助隊の到着を待っていてください。しかし、頼みのヘリコプターも、海に入る前に119番通報しなければ来てくれません。

どうしても「救助」したいなら

もちろん、事故現場では「親としての責任を全うしたい」という強い意志を持つ方もおられます。学生時代を通じて競泳で体を鍛えたとか、水球で自己保全技術はばっちり習得したという方々のために、日本赤十字社水上安全法救助員養成講習会があります。

その水上安全法講習会を受講すれば、入水救助が少しは安全にできます。

では入水救助で画像2のようになったとき、どのように子どもたちを引っ張ることができるでしょうか。

ここでは、ごく簡単にご説明しますが、きちんと水上安全法講習会を受講して、最終試験に合格して、さらに日頃から研鑽しない限りは絶対にマネしないでください。本当に命を落とします。

①岸から子どもたちを発見したら、「溺者発見」と声を出してしっかり指をさして、画像3のように顔上げ泳法で近づきます。砕波帯を持ちえる技術でやり過ごし、子どもたちに限りなく接近します。

【画像3】水上安全法講習会で学ぶ、顔上げ泳法
写真提供=斎藤秀俊さん
顔上げ泳法の一つ。顔を上げるのは、要救助者を見失わないため。2017年5月、新潟県長岡市で行われた赤十字水上安全法講習会で

②ここで画像4のような立ち泳ぎになり、子どもたちに「もう大丈夫だ」と声をかけながらゆっくり近づきます。ちなみに競泳で鍛えた受講者でも、水上安全法の受講開始時には「ダイジョ……」くらい声を出した途端に沈みます。

【画像4】要救助者を観察する
写真提供=斎藤秀俊さん
状況をしっかりと把握して、声かけをする。2017年5月、新潟県長岡市で行われた赤十字水上安全法講習会で

③子どもたちが2人で浮き輪が二つなら、片手で一つずつ、両手でしっかりつかみます。

④子どもたちの方を向きつつ、背中に向かうべき海岸を向けて、「巻き足」で子どもたちの搬送を始めます。巻き足とは、立ち泳ぎの手法の一つです。

水上安全法では背の立たない水中で5分間の立ち泳ぎを求めています。でも、実際の現場では5分くらい立ち泳ぎがやっとできても意味がありません。溺れます。

⑤お子さんが1人だったら、「逆あおり」という泳法を使って海岸に向かって搬送します。いずれも救命胴衣を着装していると、距離のある救助搬送(自力移動)ではかなり体力を使います。搬送の様子と立ち泳ぎの様子は画像5と画像6にそれぞれ示します。

【画像5】要救助者の搬送
写真提供=斎藤秀俊さん
この方法「リアキャリー」だと、両手がふさがる。2017年5月、新潟県長岡市で行われた赤十字水上安全法講習会で
【画像6】5分間立泳ぎ(巻き足)の3分経過写真
写真提供=斎藤秀俊さん
すでに顔が水没している受講生がいる。最低でも5分間の立ち泳ぎが必須だ。2017年5月、新潟県長岡市で行われた赤十字水上安全法講習会で

赤十字水上安全法救助員養成講習会は、全国各地で開催されています。

新潟県の場合には長岡技術科学大学で9月23日、24日、30日、10月1日の4日間講習が予定されています。腕に自信のある方は、ぜひ「鍛えてもらえる」と期待して受講のお申し込みをしてください。詳しくは日本赤十字社新潟県支部にお問い合わせください。

子どもは浮いて待てたから助かった

水難事故で子どもが助かるのは浮いて待てたからです。浮くことができなかった親は力尽きます。

もしどうしてもお子さんの近くにいたかったら、子どもと一緒に浮いてください。でもできれば、ぜひ119番の救助隊を信じて、水に入らないようにして待っていてください。