宮内庁の説明不足が招いた混乱
昨年9月、秋篠宮邸の改修工事を終え、秋篠宮家の皆さまは同邸にお移りになる、と見られていた。しかし、ご次女の佳子内親王殿下だけは、「分室」(旧御仮寓所)でお一人暮らしを続けておられる。この事実について、宮内庁が十分な説明を行わないために、さまざまな臆測が広がっている。
現在、ご公務に熱心に取り組んでおられる佳子殿下。ご家族が秋篠宮邸(本邸)にお移りになってからも、分室でお一人暮らしされていることが今年の1月ごろから一部の週刊誌などで取りざたされるようになった。
その当初、宮内庁サイドは警備上の配慮とプライバシーを理由として、きちんとした説明をしなかった。
ところが、ずいぶん遅れて去る6月30日、秋篠宮家をお支えする皇嗣職のトップ、加地隆治・皇嗣職大夫が急遽、宮内庁詰めの記者たちにプリントまで配って、こんな趣旨の説明をした。
「経費を削減する目的」で眞子さま、佳子殿下は引き続き分室にお住まいになる前提で、宮邸にはお2人のお部屋は設けなかった。眞子さまはご結婚により皇室を離れ、佳子殿下がお1人で分室で暮らしておられる、と。
しかし、いつ計画を変更したのか、発表が大幅に遅れたのはなぜか、具体的な経費削減額などについて、まともな回答がなかったことから、かえって混乱を増す結果になった。
しかもその後、分室の改修工事がさらに追加されることも分かった(7月18日、テレ東BIZ)。
これまで知られている事実を総合すると、秋篠宮邸の改修工事に着手した令和2年(2020年)3月の時点では、佳子殿下がご家族とは別にお1人で暮らされる予定ではなかったと考えられる。その後、何らかの事情で佳子殿下はお1人暮らしを決められた。その事情とは何か。
佳子さまの予定を変えた「眞子さんのご結婚」
この間で最大の出来事は、もちろん眞子さまのご結婚だ。
眞子さまのご結婚に当たり、秋篠宮殿下のご判断でまったく異例ながら、「納采の儀」など一切の関連儀式を取りやめられた。その結果、天皇陛下へのお別れのごあいさつの機会である最も大切な「朝見の儀」も行えなくなった。
これでは、畏れ多いが、皇室から“石もて追われた”に近い。ただし、昭和天皇・香淳皇后の御陵に参拝され(令和3年[2021年]10月12日)、さらに皇居・宮中三殿にも私的にお参りされる(同年10月19日)ことで、ギリギリ皇室とのご縁がつなぎ留められたともいえる状態だった。
お2人の抱擁が示したもの
この時、終始、眞子さまのお味方であり続けられたのは佳子殿下だった。それを象徴したのが、令和3年(2021年)10月26日、眞子さまのご結婚当日に御仮寓所(当時)の玄関前で、両手を大きく広げて抱擁された場面だろう。
佳子殿下はあの場面が、テレビカメラを通して全国に放送されることを自覚されていたはずだ。その上で、秋篠宮家として祝福できないご結婚であっても、少なくともご自身だけは姉のご結婚を支持し、心からお祝いされるという姿勢を鮮明にされた。
江森敬治氏の『秋篠宮』などを読むと、眞子さまのご結婚をめぐり、それまで極めて仲の良かった父親の秋篠宮殿下は、あくまでご自身が皇嗣であり、筆頭宮家の当主であられるという公的なお立場を優先されて、ご結婚を突き放した立ち位置におられたように拝される。
一連の儀式を取りやめられたご判断も、その延長線上にある。
これは、父親としてかなりおつらいご判断だったと拝察される。母親の紀子妃殿下もそれに歩調を合わせられた。
これに対して、佳子殿下はご自身の姿勢をあの抱擁によってはっきりと示された。
「皇室に残るつもりはない」
そうした経緯を振り返ると、佳子殿下がお一人暮らしという選択をされた理由も、ある程度は想像できる。それは秋篠宮邸の改修工事が着手された当時には予想されていなかったはずだ。
『文藝春秋』9月号に秋篠宮家関係者の興味深い証言が紹介されている。
佳子殿下がご結婚によって皇室から離脱を願っておられるらしいことは、以前から報じられていた(たとえば『文藝春秋』令和3年[2021年]12月号)。それに加えて、眞子さまのご結婚をめぐる経緯の中で、外部からのすさまじいバッシングと宮家内の齟齬などによって、そのお気持ちをより強められたという事情があったのではないだろうか。
自由・権利を制約される皇室
皇室の方々の場合、国民の自由や権利を保障する憲法第3章(国民の権利及び義務)が全面的には適用されない。これは、憲法の一般原則を定めた第3章よりも、その“例外規定”である第1章(天皇)の方がより優先して適用されるためだ。
憲法において、天皇は「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」であり(第1条)、その地位は「世襲」(第2条)とされる。天皇以外の皇室の方々もまた、一定のグラデーションをはらみながら、天皇に準じた立場と見なされる。
今のルールでは、男性なら皇位継承資格を持ち、女性でも皇后や内親王・女王などは天皇の国事行為を全面的に代行する「摂政」に就任したり、期間限定で国事行為の臨時代行を務めたりする可能性があるし、妃殿下方も社会通念上、その配偶者と一体と見られるのを避けにくいからだ。
そのため、戸籍に登録された国民に普通に認められている、法の下の平等や選挙権・被選挙権、表現の自由、居住・移転の自由、職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由、プライバシーの権利などが、皇統譜に登録される皇室の方々の場合は、全面的または大幅に制約される。
その窮屈さは、昭和60年(1985年)に2年間の英国オックスフォード大学留学を終えられた天皇陛下が、まだ皇太子にもなっておられない浩宮殿下と呼ばれた時代であっても、「自由は2年間オックスフォードでじゅうぶんに堪能しました(だからそれ以上は望みません)」とおっしゃられたというエピソード(「産経新聞」平成5年[1993年]1月31日付)によって、察することができる。
宮内庁幹部の「警鐘」
この点について、前出の『文藝春秋』令和5年(2023年)9月号から宮内庁幹部の証言を紹介する。
「(皇室の方々は)どこへ行くにも側衛官が付き、何をするにも両陛下や警察庁長官、そして総理大臣に逐一報告されてしまう。皇族方は、監視下での生活を余儀なくされています」
「現在、17方いらっしゃる皇族(正確には天皇陛下・上皇陛下および15方の皇族)の中で、精神面で鬱的な状況に陥っていない方は、一人もいません。皆さま、それを押し隠して公務や儀式に臨まれている。『自分は鬱病なので』と、周囲に口にするのは秋篠宮さまくらいです。……
『体調がよろしいですから、安心してください』と、国民の皆さんにお伝えできる状態の皇族は一人もいないのです」
驚くべき証言だ。「宮内庁幹部」というのは、西村泰彦長官をはじめ、池田憲治次長、五嶋青也審議官など54人。全員その氏名が公表されている。そのうちの誰かの証言なのだろうか(そこからかなりの人々を匿名の証言者候補からたやすく除外できるが)。
この人物の発言を、そのまま額面通り受け取ってよいかは速断しがたいが(“皇族”という語のアバウトな使い方もしかり)、関係者が皇室の現状について、このような警鐘を鳴らさざるを得ない厳しい現実があるは、確かだろう。
息苦しい皇室からの離脱
そのような中で、佳子殿下は最も身近な眞子さまのご結婚をめぐる顚末を、ほとんどわが事としてご覧になったに違いない。そうであれば、佳子殿下が息苦しい皇室からの離脱を願われても、やむを得ないかもしれない。
過去に、三笠宮家のご長男、寛仁親王は皇籍離脱への希望を口にされ、皇族の身分にとどまられたものの、アルコール依存症になられたり、同じくご次男の桂宮が「私のようなつらい思いをする人間をさらに作りたくない」として、独身を通されたような事例もあった。
結婚しなくても離脱は可能
一般には、内親王・女王の皇籍離脱はご結婚によってだけ可能になると誤解されているようだ。しかし、年齢が15歳以上なら、ご本人の意思による離脱も可能だ(皇室典範第11条第1項)。一応、ルールとしては皇室会議の同意を必要とするが、ご本人が離脱の意思を明確にされた場合、皇室会議でそれを否定するのは、よほど特別な事情でもない限り現実的には想定しにくい。その場合も、皇籍離脱に伴う一時金はご結婚の場合と同様に支出される(皇室経済法第6条第1項)。
したがって、ご本人が皇室からの離脱を強く望まれた場合は、ご結婚によらなくてもそれは可能だ。
先頃、政府から国会の検討に委ねられた、皇族数の目先だけの確保策をまとめた有識者会議報告書では、「内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する」制度を提案する。しかし、その一方で「現在の内親王・女王殿下方は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときには皇族の身分を離れる制度(皇室典範第12条)の下で人生を過ごされてきたことに十分留意する必要があります」としている。
これは、ご本人がご結婚によって皇籍離脱を望まれた場合、そのお気持ちを極力、尊重すべきことを意味する。当然の配慮だろう。はたして佳子殿下はどのような選択をされるだろうか。
同じ『文藝春秋』の記事では、首相在任中に「女性宮家」の創設を検討された野田佳彦氏が、以下のように述べておられた。
愛子さまは皇室に残られるか
もし内親王殿下や女王殿下方がご結婚やご本人の意思によって次々と皇室から離れられるような状態なら、そのような皇室にあえて嫁ごうとする国民女性は現れにくくなるだろう。まして、必ず1人以上の男子を生むことが事実上強制されるような、今の「男系男子」限定という皇位継承のルールが維持されたままなら、なおさらだ。
秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下は極めて険しいご生涯をたどられることにもなりかねない。
そうした最悪の未来を回避するために、現在のルールを見直せば、直系優先の原則によって“次の天皇”は敬宮(愛子内親王)殿下ということになる。しかしその前提として、はたして敬宮殿下ご本人は皇室にとどまるという選択をされるか、どうか。先の記事には、宮内庁関係者の以下の証言も収めていた。
敬宮殿下はご成年をお迎えになった際の記者会見(令和4年[2022年]3月17日)で次のようにおっしゃられていた。
これは、皇室におとどまりになられるお気持ちを示唆されたものではないだろうか。
それにしても、憲法上どうしてもやむを得ない制約はともかく、皇室を支えられる当事者の方々のご人格と尊厳がしっかりと尊重されなければ、そもそも天皇・皇室をめぐる制度それ自体の存続が至難となる。