文明人の都合でさまざまに語られてきた
「男は仕事、女は家庭」という現代社会の性別役割分業について、しばしば次のように言ってこれを擁護する人がいる。このような分業は太古の昔からおこなわれてきたことである。現在の狩猟採集民は、社会的分業や社会的階級が最も少ない社会であるが、この社会においてさえ、「男は狩猟、女は採集」という性別分業が見られる。人類の祖先も、男は妻子を養うために遠くまで狩りに出かけ、女はベースキャンプの近くで育児と家事に専念しながら片手間に採集もおこなっていたのだ。これは、きわめて「自然な」ことなのである、と。
アフリカ、オーストラリア、極地方などで現在も暮らす狩猟採集社会については、先進諸国の「文明人」の都合でさまざまに語られてきた。それは、狩猟採集民は、文明にとりのこされた野蛮で劣った人々であるという蔑視から、彼らこそが平和で平等主義を実現させた理想社会に住んでいるといった称賛まで、語る側の幻想を押しつけられたものであった。また、冒頭で述べたように、人類の進化や社会制度の起源を考える際に、たびたび現存する狩猟採集社会が引き合いに出されてきた。
男性中心の研究が多かった
20世紀半ば、サルからヒトへという人類の進化がようやく事実として定着するようになると、狩猟活動が人類の進化を力強く推進したという「狩猟仮説」がまっさきに主張された。狩猟のために武器や道具を使うことが、人類の道具製作や直立二足歩行、脳の大型化などの進化をもたらしたというのである。この仮説において狩猟をおこなう者は当然男性であり、人類の半分を占める女性が何をしていたかについては誰も想像しようともしなかった。
1960年代にはいって、狩猟採集民が実際にどのようにして暮らしているのかという研究が盛んになり、『Man the hunter(人間、狩りをする者)』(1968年)という画期的な論文集が出版された。この中で著者たちは、狩猟採集民の食生活において、植物性食物が動物性のものよりずっと安定的で多くのカロリーを占めていることを指摘し、採集活動の重要性を明らかにしたが、しかし、本全体としては男性がおこなう狩猟活動に焦点が置かれていた。また、題名の「Man」が、「人間」というよりも「男性」を意味していることからも分かるように、当時の狩猟採集民の研究は男性中心の視点に偏ったものであった。
フェミニスト人類学者が提示した「採集仮説」
1970年代に盛んになったフェミニズム運動のもとで、『Woman the gatherer(女性、採集する者)』(1983年)が出版され、女性が人類の進化に重要な役割を担ったという「採集仮説」が展開された。人類最初の道具は石器ではなく、採集に使う掘り棒(植物の根茎を掘り出す道具)や採集物を運ぶための蔓性のネットや籠である。女性たちが集団で採集に出かけ、食物をキャンプで待つ子どもたちに与えるために持ち帰るようになったのが、ヒトへの道の第一歩である。この仮説が強調する点は、「仲間に分け与えるために運搬する」ということであり、男性がキャンプへ肉を持ち帰るようになったのは、食物分配が習慣として定着したのちのことであるという。
これまでの狩猟仮説は遺跡で発見される石器を根拠にしてきたが、採集仮説で重要な運搬道具は、いずれも朽ちやすく遺跡には残らない。採集仮説はそうした自説の不利な点を自ら指摘しつつ、現在の民族資料などを使いながら女性からの視点を主張したのであった。
このように、人類の進化についての理論にも、どちらのジェンダーの側に立つかによって見方が大きく変わってくる。
男性中心主義の「狩猟仮説」にたいして、フェミニスト人類学者たちは「採集仮説」を提示して女性の重要性を主張したのだが、この主張により、「男は狩猟、女は採集」という性別分業のイメージがかえって強調される結果となった。
性別分業は生物学的に根拠があることなのか
そして、性別分業は生物学的に根拠のあることであるとさえ言われるようになった。
子どもを産み、母乳を与えて育てるという行為は女性にしかできないことであり、この出産と授乳のために女性は行動圏が狭められ、ベースキャンプの近くで木の実や果実、野草などを採集するにとどまった。一方、男性は広い範囲を動き回り、すぐれた運動能力でもって野生動物を倒し、その肉を女・子どものいるベースキャンプまで持ち帰り分け与えた。
つまるところ、性別分業の根本原因は、女性の生殖機能という「解剖学的宿命」にあるという意見である。
しかしながら、現実の狩猟採集民の生活をつぶさに見てみると、女性は妊娠と出産という生殖機能にのみ彼女の人生を費やしているわけではない。私は1988年より、アフリカのカラハリ砂漠に暮らす狩猟採集民サン(「ブッシュマン」の名称で有名)の社会、生活、文化をフィールドワークによって詳細に分析してきた。その研究結果に基づいて、狩猟採集民の性別分業の実態を説明したい。
一人ですべてをこなすオールラウンド・プレーヤー
サンの女性は、近年においても犬を連れて狩猟し、罠を仕掛けて鳥や小型の動物を捕まえている。採集の途中で動物の足跡を見つけると、女性たちが足跡を追跡して獲物に近づき、ついには掘り棒で殴って仕留めることは、よくあることである。また、トビウサギに特化した猟法で女性たちが円陣を組み、集団でこの小動物を次々追い詰め狩猟する場面を私は目撃したことがある。
他の民族例を挙げると、アフリカの熱帯雨林に住むムブティ・ピグミーは、男女が共同でネット・ハンティングをおこなうし、オーストラリアのアボリジニ女性が犬を使って小型動物とカンガルーを狩猟する例、女性が本格的に狩猟に加わるフィリピンのアグタの例も報告されている。
また、採集活動のほうに目を向けると、採集はブッシュで生きぬく基本であり、男性もまた日常的に採集をおこなう。とくに男性たちが騎馬猟などで1カ月以上キャンプを離れてブッシュの中で生活するときは、男性もまた植物についての知識を持ち、自分で野生の植物や薪、水を集め、料理できなければ生き延びることができない。狩猟採集民は、一人ですべてをこなすことができる「オールラウンド・プレーヤー」であり、これこそが彼らが階層のない平等主義的な社会を築いてきた根底にあるのである。
母親になってからも変わらず狩猟をおこなっている
さて、今年の6月に狩猟採集民の女性が狩猟活動に重要な役割を果たしてきたことを示す研究が発表された。アンダーソン博士(シアトル・パシフィック大学)の研究チームが投稿した論文によると、女性は先史時代から狩猟に深く関わってきたという。例えば、ペルーの9000年前の遺跡からは、狩猟道具と共に埋葬された成人女性が発見されている。また、南北アメリカの先史時代において、大型動物を狩猟していたと考えられる27遺跡を分析したところ、女性が大型動物のハンターとして男性と同じくらい狩猟に参加していたことが明らかになった。
アンダーソン博士たちは、女性が狩猟をおこなっていた証拠を考古学の遺跡に求めるだけでなく、近年から現代に生きる狩猟採集民の民族誌の中から探ろうとした。この目的のため、過去100年間に公開された数十の学術論文に記載されている、北米、アフリカ、オーストラリア、アジア、オセアニアの63の狩猟採集社会における狩猟活動の実態を分析した。その結果、それらの社会の約8割の社会で女性が狩猟活動に参加しており、母親になっても変わらず狩猟を行っていることが明らかになった。
さらに、女性の狩猟の9割近くは、偶然獲物に出くわしたからおこなう場当たり的なものではなく、あらゆる大きさの獲物を意図的に狙って狩るものである。鳥やウサギといった小動物だけでなく、大型動物を狙ったものも多かった。
アンダーソン博士たちは、狩猟採集社会において男性が狩猟を、女性が採集をおこなうという定説を覆すべきであると結論づけている。
性別分業は宿命ではない
最後に、性別分業は女性の出産と授乳という「解剖学的宿命」にあるという説について検討してみよう。現実の狩猟採集民の生活を見てみると、女性は妊娠と出産という生殖機能にのみ彼女の人生を費やしているわけではない。
サンの女性は、出産の直前までブッシュを歩き回って狩猟や採集などをしており、「ブッシュの中で子どもを生んだ」という彼女たちの経験談も残っている。出産後は乳飲み子を背負ってブッシュに出ている。1~2歳になると、同じキャンプに住む大人たちや、兄姉たちに子守りを任せて母親は出掛けることができる。また、父親も育児に参加し、キャンプで皮なめしの作業をしながら子どもたちを傍らで遊ばせたり、子どもを肩車したりして知人を訪問しているといった光景はよく見られる。実際、サンに限らず多くの狩猟採集社会では、余暇時間が大量にあるために、女性の諸活動は母親としての役割から大きな制約を受けることはないのである。
「男は仕事、女は家庭」という固定観念は、戦後、日本経済の高度成長(男性のサラリーマン化)とともに形成されたもので、歴史的に日の浅いものであるといわれる。しかし、この近現代の産業社会における女性の位置づけを相対化することなく、時空間をこえた唯一の真実であるかのように考えたことが、「男は狩猟、女は採集」という定説に縛られてきた原因なのである。