国会で取り上げられ、政府まで動き出したジャニーズ性加害問題。約200社の現場で組織風土改革に携わってきた柴田昌治氏は、今回の騒動には日本的組織の悪しき慣習が色濃く出たと指摘する。ジャニーズ事務所は、問題解決と騒動の収束に向けてどう動けばよいのか――。
児童虐待防止法の改正に賛同する署名を各党に提出し、報道陣の取材に応じるジャニーズ事務所元所属の(奥から)カウアン・オカモトさん、橋田康さん、二本樹顕理さん=2023年6月5日、国会内
写真=時事通信フォト
児童虐待防止法の改正に賛同する署名を各党に提出し、報道陣の取材に応じるジャニーズ事務所元所属の(奥から)カウアン・オカモトさん、橋田康さん、二本樹顕理さん=2023年6月5日、国会内

海外から投げかけられた疑念

ジャニーズ事務所の騒動は3月から広がり、国会や政府が動くほどの大きな問題に発展した。

ジャニー喜多川氏(2019年に死去)から性加害を受けたと訴える元ジャニーズ事務所のタレントたちが、児童虐待防止法の改正を求めて約4万人の署名を国会に提出し、政府はこども家庭庁など関係省庁による対策会議を開いた。

ここまで大きな問題になるとは誰も予想していなかったのではないだろうか。

本稿では、今回の騒動を通して浮かび上がった日本的組織に共通する問題を解き明かしていきたい。私は1980年代から組織風土改革のコンサルティングに携わり、隠蔽いんぺい体質をはじめとする日本的な組織風土の問題に取り組んできた。ジャニーズ性加害問題は、芸能界という特殊な世界で起きた不祥事だと片付けるわけにはいかない。少年たちへの卑劣な性加害でなくとも、会社や業界が黙認している不正や問題はあるからだ。

今回の経緯を振り返ってみよう。

昨年11月、ガーシーこと東谷義和氏と元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト氏が、YouTube動画の対談で性被害について語った。しかし、この時点では一部で話題になったに過ぎない。

騒ぎが大きくなったのは、今年3月にイギリスのBBCが、ドキュメンタリー番組を放送してからである。4月にカウアン・オカモト氏が日本外国特派員協会で記者会見した後、元ジャニーズJr.メンバーによる実名告発が相次いだ。最近の報道には、元マネージャーによる少年たちへの性加害もあったらしいとある。

日本では誰もが知るジャニーズだが、国際的な知名度はほとんどない。したがって、マイケル・ジャクソンの性的虐待を海外の主要メディアが取り上げるのとは意味が違う。BBCがわざわざ取り上げたのは、一連の経緯に何らかの不可思議なものを感じたからだろう。少年たちへの性加害という卑劣な行為に対して、見て見ぬふりを続けてきた日本社会への疑念が生じたということだ。

口をつぐんだ利益共同体

ジャニーズ事務所で「何が起こっていたか」を究明することは重要だ。だが、それよりも、なぜ“黒船”が来るまで卑劣な所業が問題にならなかったのか? を明らかにすることのほうが、本当の意味で事態の全体像を捉えることになるだろう。

ジャニー喜多川氏の性加害については1960年代にも週刊誌で取り上げられ、80年代には元所属タレントによる告発本も出ている。『週刊文春』の記事に対してジャニーズ事務所が名誉毀損きそんで訴えた裁判では、2003年に東京高裁が、ジャニー喜多川氏によるセクハラ被害はあった、と認定している。この時点で、ジャニー喜多川氏の性加害は周知のものとなった。

にもかかわらず、新聞やテレビが騒ぎ立てることなく、告発が事実であるならその後も性被害は続いたことになる。特に同事務所のタレントを起用するメディアは、報道を控えたと見られている。ジャニーズ事務所への忖度そんたく、業界の目先の利益を優先した結果である。いわば“公然の秘密”“暗黙の了解”として扱ってきたマスコミや芸能界、日本の社会が海外メディアの目に不自然かつ不可思議と映るのも当然だろう。今となっては日本人の多くも同様に感じていると思うが、これは納得できない顚末てんまつなのだ。

“悪意なき隠蔽”は武家社会の名残り

今回のジャニーズ問題を知ったとき、ふと浮かんだのが「御小姓」という言葉だった。武将に仕えた小姓は、主に少年たちが務め、平時は身の周りの雑用係、戦時には親衛隊としての役目などを担っていた。意外とおさまりのよい男色からの連想かもしれないが、現代の日本には武家社会の残滓がまだあると私は感じている。

鎌倉時代から幕末まで武家社会は約700年続いた。明治以降も武士の伝統をうまく使いながら経済発展してきた結果が現在の日本社会だ。スポーツの国際大会で活躍するチームを「サムライ○○」とポジティブな意味で呼ぶのも、武家社会への愛着や畏敬の念が根強いことを物語っている。

武家社会の思考は「前提を疑わない」のが基本だ。支配階級であった武士は、体面を保つために資財を費やしても、食事などの日常は意外に質素だった。信念を持って堅実に戒律を守り抜く武士だからこそ、周りも一目置いたのだ。

忘れてならないのは、武士としての絶対条件は、武家社会を規定している戒律を守り抜くことであり、彼らは厳しくしつけられる。だから、「なぜ、君主が偉いのか」「なぜ、身分が決まっているのか」というしつけに反する問いはそもそも許されるものではないことだ。

武術着に身を包んだ男性が帯刀している
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“お作法”と“しつけ”の本質

ジャニーズ問題で明らかになったメディアや業界の隠蔽体質は、実のところ日本の組織では珍しいことではない。政府、官庁、企業にも“公然の秘密”や“暗黙の了解”は存在し、組織内部に問題視する者が現れると「昔からやっていることだ」「業界の常識だ」で片付けることが日常的に繰り返されている。

隠蔽には2種類ある。一つは犯罪や不正と知りながら、悪意を持って事実を隠すもの。もう一つは、善悪は超越して「仕方がないことだ」と黙認し、悪意はないが「空気を読む」という“お作法”をしつけられ、身に付けているがゆえの隠蔽だ。

企業内の隠蔽で圧倒的に多いのは、お作法をしつけられたことによる隠蔽だろう。自動車業界の検査データ改ざん、食品業界の偽装表示をはじめ、世間を騒がせる企業不祥事も、告発されるまでは職場のお作法として隠蔽されていたものがあるということだ。

お作法は“しつけ”によって叩き込まれ、伝承されていく。しつけというものには基本的に自らの善悪の判断を差し込むことはできない。例えば新入社員が「こんなことやっていいの?」と疑問を抱いても、「理解できないのは勉強不足だからだ。もっと勉強しろ」とさらにしつけられる。度重なるうちに、正常な感覚が麻痺してくる。マナーというものが事実に誠実な姿勢、相手へのリスペクトや思いやりが前提であるのに対して、しつけが大切にするものは事実や相手への思いやりより、その社会で内向きの規範となっている建て前を守り抜くことにある。

社長への建白書をまとめた社員たちのケース

大企業であればあるほど「なぜ、正しい考えを持っているのにハッキリ言わないのか」ともどかしく思う社員たちは多い。仕事に意欲的でハッキリ自己主張する社員のほうが変わり者と見られがちなのだ。

しつけにより叩き込まれたお作法はいつの間にか無自覚になり、社員の情熱やモチベーションを奪い、組織の停滞を招く原因の一つになると私は考えている。

伝統のある重厚長大な大企業で、お作法の弊害を痛感したことがある。重大なコンプライアンス問題をきっかけに、正しく行動できる社員を増やそうと風土改革に取り組んだときのことだ。5年ほどで中心メンバーは目に見えて高い成果を上げた。しかし会社全体としては旧態依然としていたから、もっとコンプライアンス意識を高めようと、課長を含めた若い社員たちが集まった。

彼らは社長に直接思いを伝えようと提案書を作成した。いわば「建白書」である。古い体質の企業では、過去に例がない奇想天外な発想だった。

彼らは何度も書き直して9000字に及ぶ草案を仕上げた。私から見ても、実に素晴らしい内容だった。会社の将来を思う気持ち、よりよい組織に変えていきたいという熱情にあふれ、具体的な施策が提案されていた。

聞き取り調査中
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善意からの隠蔽も事実を歪める

彼らはそれを信頼する常務のところへ持って行った。その常務は最初に風土改革に取り組んだ部門のトップだったから、提案の意図がわかる。別部門の担当役員になってからも、元部下たちをいつも気にかけて相談にも乗ってくれる。彼らが最も信頼ができる人物であり、社長と直接話す機会も多いので、提案書を託すにはうってつけだった。

しかし、提案書は社長の元に届かなかった。お作法に反したことがない生真面目な常務は、なかったことにしたのだ。

社長が提案書を読んでいたらどうなっただろう。提案書に込めた彼らの熱い思いは社長にきっと響いたはずだ。実際に採用するかどうかはともかく、社員の意欲的な姿勢を喜ばない経営者はいない。

常務も悪意から揉み消したわけではない。お作法に外れる無鉄砲な行動は、若い社員の将来にマイナスだと常識的に判断したのだ。たしかに他の役員が「建白書とはけしからん。会社の秩序が乱れる。厳罰に処すべき」と言い出さないともかぎらない。元部下たちの将来を案じ、心配が高じて揉み消したのだと私は理解している。むしろ、善意からの隠蔽なのだ。

根源的な問いを習慣づける

だが、会社の将来を考えた場合、常務の判断が正しかったとは言いがたい。社長が賛同して全社的な風土改革に取り組む可能性は十分にあった。建白書が大きな変革の第一歩になったかもしれないのだ。

日の目を見なかった建白書は、社内や業界内に染みついたお作法が、悪意なき隠蔽をしばしば生むことを示している。

ゴミ箱からはみ出している紙ごみ
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常務がお作法より、事実への誠実さを優先する姿勢でいたなら、自分もリスクを冒して社長への提案にチャレンジしただろう。熱量のこもったメッセージを読んでもらい、「メンバーと会ってみたらどうですか」と推すこともできたはずだ。社長というのは、部下が考えるほど料簡は狭くないことが多いのだ。他の役員が「けしからん」と言い出せば、常務自ら矢面に立つぐらいの覚悟があってもよかった。

そういう役員がいてこそ会社は成長する。古い体質を壊すときは必ず抵抗があり、痛みを伴うものだからだ。

「どうやるか」の前に「なぜ、やるのか」

若手社員の建白書に印象に残る視点があった。自分たちはいつも「どうやるのか」に思考が狭められ、問題に気づかない。「なぜ、問題が起こるのか」と本質に向かう角度で考える人が少ない、という指摘だ。

思考が「どうやるのか」に限られてしまうのは、根源的な問いを禁じた武家社会の名残りだ。前提が固定されると、どうしても「どうやるか」と考えてしまう。対症療法ばかりで原因を追及できないのだ。ジャニーズ事務所が設置した「再発防止特別チーム」は、「事務所の組織風土やガバナンスに問題がなかったかを検証する」と、都内で開かれた記者会見で発表された。特別チームの議論が「どうやるか」の再発防止策をまとめることに終始せず、「なぜ、問題が起こったのか」という本質に向かう議論を尽くしてこそ、元ジャニーズJr.メンバーの勇気ある告発に報いることができる。BBCの発した疑念に答えることにもなり、“公然の秘密”や“暗黙の了解”といった日本の悪しき習慣とは無縁の組織風土を醸成することにつながるのだ。

お作法は、古い体質の企業だけでなく、日本人の生活習慣となっている。BBCのドキュメンタリー番組という“黒船”が来なければ、ジャニーズ問題も単なる暴露話で終わっただろう。今回の騒動は、日本の組織や社会を改めて振り返るチャンスとも言い得る。