関戸ひとみさんは、「わくわく広場」というチェーン店舗を運営するタカヨシの初の女性執行役員だ。47歳の時にパート社員として入社した関戸さんは、この会社に来て「自分がやるべきこと」を見つけたという――。

パート社員から執行役員へ

採れたての野菜や果物から、人気のパンや総菜、スイーツ、弁当まで、地域の食材や名産品がにぎやかに並ぶ「わくわく広場」。産直の小売店はさまざまあるが、「わくわく広場」はイオンやららぽーとなどショッピングモールに出店し、“地産地消”の直売ショップをチェーン展開する稀有なビジネスだ。

2001年にスタートし、今では全国150店舗以上に広がっている。その事業を行うタカヨシで営業本部長を務め、昨年末、社内で女性初の執行役員に就任したのが関戸ひとみさんだ。

タカヨシの従業員は2000名余り。パートから正社員へのキャリアアップも積極的で、関戸さんもその一人だった。タカヨシにパートで入社したのは2016年、47歳の時。きっかけは近所にできた「わくわく広場」で買い物をしていて、「社員募集」のポスターが目に留まったという。

「大好きなお店だったので、軽い気持ちで応募してみたんですよ。新鮮な野菜を買えるのが気に入っていたけれど、“あれ、何でこんなところにこれが置いてあるんだろう?”とか、行く度に突っ込みどころがあるのはモヤモヤしていて(笑)。私、このお店をマネジメントできるかもと思ったんです」

関戸 ひとみさん
撮影=伊藤菜々子

夫の実家で働きながら感じた「やりがいが欲しい」

そこから店長、マネジャーと昇進していき、入社7年目には執行役員に抜擢された関戸さん。そのときも「やります!」と即答したというから、フットワークの軽さに驚くが、本人は淡々と気負いなく肩の力も抜けているように見える。そのギャップが不思議で、これまでどんな道を歩んできたのだろうと気になってしまう。

「キャリアアップは自分には無縁のものだと思っていました。あの頃は体力も気力もあって、いろんなことができる年代なのに、子どもがいることでチャレンジできないという諦めもありました。社会から必要とされていないような不安、私はこのまま終わっちゃうのかと焦りも感じ、何か新しいことにチャレンジしたい、やりがいが欲しいと常に思っていましたね」

そう振り返るのは30代半ばのこと。関戸さんは結婚を機に会社勤めを辞め、夫の実家が営む生花店で勤めていた。店頭で販売するためには専門知識が必要なので、勉強に励んでフラワー装飾の資格を取得。長女、長男を出産した後も育休はほとんど取らず復帰し、子育ても家事も一人でこなしていた。

植物にふれることで癒やされる思いはあったが、仕事は単調であくまで手伝いの作業に過ぎなかった。年末年始も休みなく働くなか、仕事と家事の両立にも体力の限界を感じ始めていく。そして30代の終わり、思いがけず転職の誘いを受けたのである。

関戸さんは20代の頃からバレエを習い、結婚後も近所のバレエ教室へ通い続けていた。その先生から「手伝ってくれない?」と誘われ、幼児やストレッチクラスを教える講師を頼まれたのだ。義父母に相談すると、「やりたいことをやってみたら」と背中を押してくれた。この転職によって、関戸さんには自分の人生観も変わるような気付きがあったという。

「自分自身と向き合うことを教えられたのです。バレエは自分の体や心とちゃんと向き合わないと上達しないもの。けれど、私はありのままの自分を受け入れられず、力が入り過ぎていることに気付かされました。子育てと家事を両立すること、義父母のもとで働くことも、本当の気持ちに蓋をして一人で頑張ろうとしていたのだろうと。今思えば、もっと力を抜いても良かったのかなと……」

【図表】関戸さんのLIFE CHART

目に飛び込んだ「店長候補」

そんな日々に転機が訪れたのは、43歳の時だった。関戸さんは会社員の夫と離婚し、一人で子どもたちを育てようと決断したのだ。バレエ教室の仕事ではとても生活できず、転職先を探し始める。そこで歯科助手の資格を取って勤めたが、自分には向いていなかった。

次に求人誌で見つけたのは、通所リハビリセンターで要介護の人に運動指導をする仕事。身体を動かす仕事は楽しかったが、千葉の自宅からは1時間半かかり、早朝に出ても帰宅は遅くなる。子どもの弁当作りもあると毎日4時間ほどしか寝られず、さすがに体がきつかった。

やむなく転職を考えていた矢先、家の近所に「わくわく広場」が開店した。店先で見た社員募集のポスターには「店長候補」と書いてある。さっそく面接を受けるとパートで採用され、4カ月後には契約社員に。柏市の「わくわく広場」で店長を任されることになった。

関戸 ひとみさん
撮影=伊藤菜々子

失敗の中で知った“自分の限界”

「私はシングルマザーなので、いつまでもパートのままでは困る。マネジャーには『社員になりたい』とお話ししました。すると『じゃあ頑張ってみてください、その結果で決めましょう』と言われ、最初の頃は気負って朝から晩まで働いたのですが……」

「わくわく広場」の特長は、自ら商品の仕入れをしないこと。地元の農家や飲食店に登録してもらい、生産者が売りたいものを出品するというシステムだ。その日によって並ぶものが変わり、欠品もある。店舗によって品揃えが違うので、店長には独自の経営手腕が求められる。関戸さんは生花店で働いていたので、売り場の見せ方は得意だったが、肝心の売り上げを伸ばすことには苦戦したという。

「まったく売れ筋じゃないものを集めてしまい、全然売れなかったことがありました。当時は野菜や果物がメインで、加工品に力を入れていなかったんです。私は加工品を売ってみたくて、たまたま和菓子屋さんがいたので『母の日に和菓子をいっぱい売りたいので持ってきてください』と頼んだら、まるまる売れ残ってしまって。『わくわく広場』は委託販売なので生産者さんのロスになり、迷惑をかけてしまったんです」

結果を出さなければと一人で気負い、失敗を重ねる中で学んだことがあった。当然ながら、自分の力には限りがあるということ。店舗には十数人のスタッフがいて、それぞれ得意、不得意がある。そこで皆で話し合うといろいろなアイデアが出てきた。各自に役割分担して任せたところ、目に見えて結果につながった。

後日談だが、入社当初から運営に関わっている柏市のエリアは、いまも売り上げの高い店舗が多く、このエリアのドミナント化に大いに貢献したことは社内でも定評があるようだ。

数字が伸びるとわくわくする自分を見つける

翌年には新店舗の立ち上げを任され、津田沼パルコの地階に出店。そこでは求人から苦戦し、農業の生産者がいないエリアなので産直野菜も揃わなかった。何を売ればいいのかと悩み抜いた末、思いきってパンの売り場を作ったところ、見事に当たったという。

「売れるのを見ていると楽しくて、私は商売が好きなんだと思いました。数字がどんどん上がっていくと、本当にわくわくするので」と関戸さん。ようやく自分の「やりがい」を見いだし、毎日が無我夢中だったと振り返る。3年目には正社員として採用され、「エリアマネジャーをやらないか」と声がかかる。そのときも「やります!」と迷わず答えたという。

「現場のやりづらさを解消するのが、私の役割。この会社で自分がやるべきことだと思ったのです。会社の方針(個店経営=エンパワーメントの推進)と自分の目標が完全に一致していると思いました。会社の経営側の認識と現場の状況にはギャップがあって、現場のやりづらさは知っている人にしか変えられない。そのためには私がマネジャーになって、会議の席に出なければいけないと思ったのです。当時は本部で月1回会議があり、エリアマネジャーは男性ばかり。それでも会議の席ではずっと手を挙げていて、『本当にお店の人のことをわかっていますか?』などと生意気なことを言っていましたね」

エリアマネジャーになると、8店舗のマネジメントを担当。店長やリーダーは同じような悩みを抱えており、関戸さんはそれまでの経験を基に、運営の助けとなるリーダーの手引きを作った。そうして風通しが良くなると、現場のモチベーションが上がり、結果にもつながっていく。

店舗のスタッフは、子育てや家庭の事情からパートで入った女性が多いが、優秀な人材を引き上げることも心がけた。楽しそうに働いている人には「リーダーをやってみない?」「店長になりませんか」と声をかけ、サポートする。さらには「正社員になりたい」と希望する人も増えている。関戸さんは女性たちの背中を押すロールモデルになっているようだ。

2010年代後半にはマネジャー職はほぼ男性社員だったが、今では営業本部の管理職約20名はすべて女性になった。

関戸 ひとみさん
撮影=伊藤菜々子

「私は皆の気持ちを背負っている」

「お店の運営は家事に似ていて、どこまでやっても切りがないんですよ。24時間、365日切れ目ないので、ずっと管理し続けなければいけない。けれど、家事を担ってきた女性たちは、切れ目なく現場をまわす感覚を持ち合わせていると思います。毎日やっているからこそ、どんな作業が大変なのか、現場の人は何を負担に感じているのか、どんなことを改善したら嬉しいのかもよくわかる。私はそんな皆の気持ちを背負っているという思いでやってきました」

昨年には営業本部長になり、執行役員に就任した関戸さん。辞令を受けたときは「やります!」と即答したものの、実は初めてプレッシャーを感じたのだと漏らす。

「本当に私にできるだろうかと自分に問いかけてみました。でも、まだまだやりたいことがある、もっと面白いことができるんじゃないかと楽しみに思えたので」と声がはずむ。

「わくわく広場」が目指すのは全国1000店舗の出店だ。さらに売り上げを伸ばし、後進も育成しなければと、夢もふくらんでいる。役員になった重責は感じていても、淡々と気負いなく見えるのは自分の軸がぶれないからだろう。

何かを決断するときに考えるのは、「楽しいか、楽しくないか。それだけです」と関戸さんはほほ笑む。そのためには自分自身と真摯しんしに向き合い、等身大の自分を大切にしてきたのだろう。そんな母の姿を傍らでずっと見てきた子どもたちには、この頃よく言われるらしい。「いつも楽しそうだね」と。

役員の素顔に迫るQ&A

Q 愛読書
ヨシタケシンスケ『かみはこんなにくちゃくちゃだけど

関戸さんの愛読書
著者提供

Q趣味
植物を育てること。最近では「ビカクシダ」にハマっています

関戸 ひとみさんの趣味:植物を育てること
著者提供