※本稿は、林真理子『成熟スイッチ』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。
初対面の人の心をどうひらくか
1995年以来ずっと『週刊朝日』で対談連載を続けてきました(2022年10月より不定期掲載/2023年5月30日発売号より休刊)。さすがにそれだけ長い期間やったら、対談相手のゲスト全員とすんなり打ち解けたというわけにはいきません。機嫌が悪くて約束の時間から45分間、控え室から出てきてくれない女優さんもいましたし、何人かの方々とは話がちっとも盛り上がらず、どんよりとした空気のまま対談終了の時刻を迎えたこともありました。
解剖学者の養老孟司先生は、私がとくに切望してお迎えしたゲストだったのですが、緊張が伝わってしまったのか、なかなか会話がうまく進みませんでした。少し落ち込んで、その日の夕食を一緒に食べた友人に、
「頭のレベルが違いすぎたかな」
とこぼしたら、
「『バカの壁』は突き破れなかったのね」
と言われたものです。
週刊誌の対談というと、
「毎週、いろんな有名人と会えて楽しいですね」
「旬な人と話をするだけでお金がもらえて、うらやましいかぎり」
なんて言う人たちが必ずいます。なかなか理解してもらえないのですが、毎週のペースでやるとなると、対談の準備のための時間や労力、精神的な負担は本当に大変なものでした。
「このオバさん、誰?」から距離を縮めるには
会話のしやすさという面では、たとえ初対面でも文化人の方が相手だと、お互いに時代感覚もわかっているし共通言語があるので少し気がラクなのですが、いちばん気をつかうのが若い芸能人の方々がゲストの時です。
想像してみてください。私との対談収録にやってきた売れっ子芸能人の彼や彼女は、まず間違いなく「このオバさん、誰?」という気持ちでいるはずです。マネージャーに言われるがまま対談収録の場にやって来た。そうしたら、妙に態度が大きい知らないオバさんに出迎えられる。彼らが内心思うことといったら、きっとこんな感じです。
「ライターのオバさんには何人も会ったけど、このオバさん、なんでこんなにエラそうなの?」
「どうしてこのオバさんと一緒に写真撮らないといけないわけ?」
そういう心情が手に取るようにわかるので、まず私は彼らに会うなり、好意をわかりやすくアピールして近づくことにしています。
「まあ、かわいい! なんて顔がちっちゃいの」
「テレビで見るよりも、さらにイケメンだね」
本心から言っていることではあるのですが、少し過剰なぐらい伝えないと、謎のオバさんは受け入れてもらえません。私は今まで数多くの芸能人の方々にお会いしてきたので、実は彼らの突出した外見力にもある程度の耐性は出来ています。しかし、そうした“美女慣れ”“イケメンずれ”は封印し、素朴な感動を伝えます。
相手自身と相手の仕事に興味を持つ
その上で、もう一つ必ず伝えるのが、彼ら自身と彼らの仕事に自分が本当に興味を持っていることです。
「お芝居、劇場に観に行きました。よかったですよ」
こう言うと、百人中九十九人、ほぼ全員の顔がパーッと明るくなります。故三浦春馬さんだけは違っていたので、あとから思い出して、なおさら心が痛みました。三浦さんが熱演したミュージカル『キンキーブーツ』について、
「初演も観ましたよ!」
と伝えたのですが、全く乗って来てくれなくて妙だなあと思っていたのです。
お芝居ではなく映画でもいいのですが、「テレビで見かけた」ではなく、わざわざ足を運んだりお金を遣ったこと、彼らの仕事に本当に興味を持っていることを伝えると、心をひらいてくれる度合いが俄然違ってきます。
せっかく忙しい中、時間をつくってくれたんだから、お互いにいい時間を過ごしたい。だからめいっぱい「ファンですよ」ということを伝えるようにしています。ヘンに気取ったり出し惜しみせず、招いた側でもあり年長者の私が胸襟を開くことが礼儀だと思っています。
憧れの人への懐き方
渡辺淳一先生、宮尾登美子先生、田辺聖子先生、瀬戸内寂聴先生……お世話になった先生方が一人また一人と居なくなってしまいました。この事実と正面から向き合うと、さびしくてたまらなくなるので、普段は出来るだけ考えないようにしています。
デビュー時には生意気なキャラクターに見られていた私ですが、名だたる先輩作家の方々から随分かわいがってもらってきました。なぜそんなに目をかけてもらったかというと、我ながら思うに、懐き方が上手いのでしょう。
私の実家は、母が戦後に山梨で始めた「林書房」という小さな本屋です。本屋の娘として育ったので「作家の方々に食べさせてもらった」という思いが刷り込まれています。大好きな有名作家に会うと「わーい、本物だ」と胸がときめき、嬉しくてたまりませんでした。初めて五木寛之先生にお会いした時も大感激しました。
そんな調子ですから、好きな作家を目の前にすると、作家愛が表情からも態度からもどうしようもなく溢れ出てしまうのです。尊敬する人の前で固まったり後ずさりしてしまう人もいますが、私は臆面もなくズカズカと前に出ていくタイプ。
「子どもの頃から大ファンです。あの本は……」
好きな作品の感想を伝えると、作家自身も私の敬愛が本物だということを見抜いてくれます。自分の本をちゃんと読んでくれているか、作家はすぐに察知しますから。
「大好きです」と言われて嬉しくない人はいない
前項の対談相手への好意の見せ方にも重なりますが、もともと尊敬の念を持っているならなおさら、それを相手に表さない手はありません。「大好きです」「ずっと会いたかった」と言われて、嬉しくない人はいません。中には、こちらの勢いに引いてしまう人も少数いるかもしれませんが、黙っていたら何も始まらないのですから同じことです。
気持ちを伝えたあとは、たとえどんなに親しくなっても、礼節をわきまえること。私は、女学校教師をしていたこともある母から「長幼の序」は叩き込まれていたので、そういう点での失礼は少なかったと思います。
何かをしてもらったり、ご馳走になったりした時には、必ず自筆のお礼状を送っていました。これを雑誌『噂の眞相』(2004年休刊)に、
「林真理子が直木賞の選考委員になるために、大御所作家に手紙を送りまくって媚びている」
と書かれたことがあります。お礼の手紙を送るのは私にとっては当たり前のことなので、「いったい何が悪いわけ!?」と驚きながら腹を立てたものです。
お菓子の力は絶大
人と近づきたい時に、まず私が使うのがお菓子です。単純なようですが、お菓子の力は絶大で、とくに女性を味方につけてくれる。
「もらいものですけど……」
と、いただきものを渡すのでもいいし、ドーナツなどでも買っていくと、自然な会話のきっかけになりますし、人間関係が一歩前進します。
日本の手土産文化というのは、なかなか侮れないものだと思います。たとえ初対面同士でも、渡す側も貰う側も双方が手土産によって緊張がほぐれる。
「自宅の近所で評判の店なんですけどね……」
「あら、どちらにお住まいなんですか」
など、ちょっとした、なんでもない会話がその後のやりとりをスムーズにしてくれる。「ほんの気持ち」の手土産の力は、「ほんの」どころか絶大です。
日大でも、お菓子をきっかけに少しずつ仲よくなって、
「はっきり言いますけど……」
と大学内の問題について忌憚のない意見を言ってくれる人たちが増えてきました。そういう時は、「本当にありがとう」とお礼を伝えたあとで、せっかく教えてくれた問題が出来るかぎり早く改善するように動くようにしています。勇気を出して言ってくれたのですから、絶対にその信頼を裏切りたくありません。
些細なことをケチると信頼がなくなる
信頼というと、これはどんな会社でも同じだと思いますが、職場の事務の人たちは本当によく人を見ています。たとえば、仕事上のつき合いで送られてきたお中元やお歳暮を自宅に持って帰る人。「みんなで食べよう」と言って分け合う人との人間力は、そんな些細なことで大きく開いてしまいます。
お金も、小銭ほど気をつけなければいけません。個人のお弁当代とか私用のお土産代まで経費で落とそうとする人は、それだけで信頼を損ねてしまう。些細なことをケチる方が、よっぽど高くつく結果になるのです。