※本稿は、相良奈美香『行動経済学が最強の学問である』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。
店頭の「一工夫」で商品がバカ売れする
みなさんは行動経済学というと、どんな印象をお持ちでしょうか。ビジネスパーソンのみなさんであれば、「自分とは関係がない」と思う方が大半かもしれません。
しかし、実は世界では行動経済学をビジネスに取り入れる企業が増えています。なぜなら、お金が動く「経済」という枠組みの中で、人はどう行動するのかを理解することが、ビジネスでは重要であり、それを可能にするのが行動経済学だからです。
行動経済学を用いたビジネスの成功例を紹介しましょう。
売れ行きが今ひとつ…が「おとり効果」で一変
行動経済学の理論で、人は無意識に比較してしまうという理論を基にしてできた「おとり効果(Decoy Effect)」があります。「誰も選ばないような選択肢(おとり)」をあえて追加することで、「もともとあったもの」を選ばせるという理論です。
実際におとり効果の事例があったのは、ウィリアムズ・ソノマ。カトラリーやお皿から家電まで高級キッチン用品を扱う小売店としてアメリカでは人気を集めています。
あるとき、ウィリアムズ・ソノマでは、275ドルのホームベーカリー(家庭用パン焼き機)を販売することになりました。しかし、事前のマーケットリサーチでは「買いたい!」という声が圧倒的だったのにもかかわらず、売れ行きは今ひとつ。
そこで、あえてより高い415ドルの新しいホームベーカリーも並列して販売することにしました。ちなみに、この原稿を書いている2023年5月時点では1ドル=137円ですので、275ドルは約3万7000円、415ドルは約5万6000円です。一つ5万円を超えるホームベーカリーはかなり割高です。ウィリアムズ・ソノマは本当に売る気があるのでしょうか。
しかし、この結果、面白い現象が起きました。もともとあった275ドルのホームベーカリーがバカ売れするようになったのです。なぜでしょうか。
脳は「比較」によって物事を認知しやすくなる
それは「比較対象」ができたためです。275ドルのホームベーカリーだけがあるときには、275ドルが高いか安いのか判断がつきません。3万円を超えると言われると、「パンなら一個数ドルでどこでも売っているし、わざわざ必要ないかな……」と尻込みをしてしまうのもうなずけます。
そこで、「おとり」として、より高いホームベーカリーをあえて一緒に並べたのです。隣に415ドルもするホームベーカリーがあることで、もともとのホームベーカリーが安く感じられます。
行動経済学的に言うと脳は「比較」によって、物事を認知しやすくなります。アップルなども、この「おとり効果」を巧みに利用した販売の仕方を取っています。
アップルは1種類のiPhoneだけを見せたりはせず、ストレージが違うiPhoneをあえて並べて、落とし所を考えているように感じます。この原稿を書いている時点での最新機種はiPhone14ですが、日本だと128GBが11万9800円、256GBが13万4800円、512GBが16万4800円となっています。
「一番容量の少ない128GBでは足りないかもしれない。だけど、512GBは多すぎて使わないだろう」
こう考えた消費者は、無難に真ん中の256GBを買おうとなり、もしもアップルが売りたいモデルが256GBであれば、おとり効果は見事に成功したことになります。こうした例からわかる通り、あえて無駄にも思える比較対象を作るということも大事なのです。
もう一つ知っておきたい「アンカリング効果」とは
先ほど、ウイリアムズ・ソノマやiPhoneの販売戦略は、選びそうにないものを混ぜることで、意図したものを選ばせる、「おとり効果」だとお伝えしました。
これと似て非なる行動経済学の理論が「アンカリング効果」です。例えば、「999ドルのiPhoneXを見た後に、549ドルのiPhone7が(高いのにもかかわらず)安く感じる」というケースがそれにあたります。つまりアンカリング効果とは、「最初に提示された数値などが基準になり、その後に続くものに対する判断が非合理に歪んでいく」理論です。
人は「ある数字」に強く影響を受ける
ストックホルム商科大学オスカー・バーグマンの実験では、被験者にあるワインをいくらで買うかを聞くという実験をしました。その際、「このワインをXドルで買いますか?」と聞くのですが、Xにはその被験者の社会保障番号(日本のマイナンバーのようなもの)の下二桁を入れた上で質問します。
つまり、社会保障番号の下二桁が20の人なら「このワインを20ドルで買いますか?」と聞き、下二桁が95の人なら「このワインを95ドルで買いますか?」と聞きます。当然、下二桁の数字が大きい人ほど高額になりますから、「買いません」という回答になります。
その後この実験では、「買いません」と回答した人に「では、いくらなら買いますか?」と質問をします。「ワインに95ドルも出したくない」と答えた人にこの質問をすると、「70ドルなら」などと答えます。
この調査の結果、下二桁の数字が大きい人ほど、最終的に買うと答えた価格も高額な数字を挙げることがわかりました。単に社会保障番号という、ワインとは全く関係のないランダムな数字であるにもかかわらず、人は最初に提示された数字に強く影響を受けるのです。
ワインは価格帯の幅が広く、価値がわかりにくいものなので行動経済学の研究によく用いられます。この調査では、同じく価格がわかりにくいアートについて、社会保障番号を基準に「いくらなら買うか?」と尋ねていますが、同じ結果になっています。
逆に言えば、精通している商品に対しては、アンカリングは起きません。毎日買うコーヒーの値段は、「コンビニならいくら、スタバならいくら」と明確に覚えているので、アンカリング効果は期待できないということです。