※本稿は、相良奈美香『行動経済学が最強の学問である』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。
今、世界のビジネス界が最も注目する「行動経済学」
私はアメリカで「行動経済学博士」を修め、現在、「行動経済学コンサルタント」として、アメリカやヨーロッパを中心に、幅広い業界の企業に、「行動経済学をいかにビジネスに取り入れるか」、コンサルティングをしています。
行動経済学というとマイナーな印象があるかもしれませんが、実は行動経済学は「いま世界のビジネス界が最も注目している学問」だと言ったら、驚くのではないでしょうか。現にアメリカの企業で今まさに起きているのは、「行動経済学専攻の学生の争奪戦」です。
「もしも行動経済学を専攻していなかったら、グーグルになんか絶対就職できなかった」
こう語るのはペンシルベニア大学大学院で行動経済学を専攻した私の友人です。私の大学院時代の友人の多くは教授として学問の世界にとどまりましたが、就職組の多くはFAANG(Facebook、Apple、Amazon、Netflix、Google)で働いています。
また、試しにグーグル検索で“Behavioral Economics job(行動経済学 仕事)”と入れて検索し、ヒットする9カ月分の情報量を2012年と2022年で比較してみました。結果、2012年は2万3800件ヒット、2022年は2730万件ヒットし、この10年で1147倍となっています。
初年度の年収は最低1500万円、時給30万円も…
求人情報そのものばかりではありませんが、「行動経済学 仕事」ということに急激に関心が高まったと言っていいでしょう。私が大学院生の2000年代後半の頃は、行動経済学の学会に行っても参加者はほんの数十人。ほんの20年足らずで状況は激変しました。
これまで行動経済学のバックグラウンドを持つ人材の雇用に何度も関わってきましたが、
いま行動経済学の博士課程を持つ人を採用するなら、初年度の年収は最低1500万円。教授をコンサルタントとして雇うなら、「時給30万円」なんてこともあります。
「教授をコンサルタントとして雇う?」
不思議に思うかもしれませんが、アメリカではよくあることで、新たな事業計画を立てたりビジネスを立ち上げたいというときは、スペシャリストを学問の世界から招きます。
私が以前お世話になった教授の方々の中にも、アップルやマイクロソフトに引き抜かれた例もあり、名だたる大学の教授となると引き抜き合戦となることも珍しくないのです。
ネットフリックスは「情報」と「選択」を増やし過ぎない
では、なぜ今、世界のビジネス界で、行動経済学が注目されているのか。それは、お金が動く「経済」という枠組みの中で、人はどう行動するのか、それはなぜなのか。それを理解することがビジネスでは重要であり、それを明らかにするのが行動経済学という学問だからです。
こうして、行動経済学が広まった現代を生きる私たちの周りには、すでに行動経済学が組み込まれた商品やサービスが溢れています。特に効果的に使っているのはFAANGでしょう。
例えば、動画配信サービス・ネットフリックスは1997年の創業当初はDVDのレンタル会社でしたが、2007年から動画配信事業に移行しました。2億人を超えるユーザーを持ち、巨大IT企業に成長した大きな要因のひとつが、行動経済学を効果的に使ったレコメンド機能と言えます。
動画配信サービスは「何か面白いことがないかな?」という、年齢も性別も国も好みも違う人たちに応えるために、何百万ものコンテンツを揃えなければなりません。また、何百万というコンテンツはマーケティング戦略には必須でしょう。
しかし、あまりに数が多すぎると、ユーザーは選べない。では、どうするか? ――そのために作られた戦略には、おそらく行動経済学が入っています。
ネットフリックスのユーザーならよく知っている通り、アプリを立ち上げ、自分の名前をクリックすると、すぐにいろいろとおすすめの番組が現れます。ユーザーはこのレコメンド機能に従って視聴できますし、さらに関連する番組も並べてくれるので、自分で深く考えなくても次々と好みの作品を選ぶことができます。
また、アプリを利用すればするほど、どんな作品を好むかのデータが集まり、より精度は高くなります。
「人は情報も選択肢も多ければ多いほどいい」というのが合理的な個人を前提とする伝統的な経済学の答えですし、消費者自身も顕在意識としては「たくさんの選択肢があったほうがいい」と考えます。
しかし、行動経済学は「情報や選択肢が多すぎると、人は最適な意思決定ができないばかりか意思決定自体ができなくなる」と解釈しています。行動経済学の理論で、「情報オーバーロード」「選択オーバーロード」という状態です。
そこでネットフリックスは、何百万ものコンテンツを用意した上で、ユーザーが実際に目にする情報や選択肢については適量に絞って最適化している――それがレコメンド機能です。
世界的大手が活用する「現状維持バイアス」
アマゾンやディズニーなどの配信サービスも同じで、プログラムの第1話が終わると自動的に第2話が始まりますが、思い出してみればDVDの時代は自分で再生し、その都度「見続けるかどうか」を決定していました。その結果、今のようにだらだらと見続けてしまうことは少なかったのです。
しかし、今の配信サービスのように勝手に再生されたら、今の状態を続けたい「現状維持バイアス」という行動経済学の理論が働いて視聴を続け、やがて「1話が終わったら自動的に2話が始まってそのまま見るのが当たり前だよ」という状態になり、延々とアプリを使い続けます。TikTokはまさにこれです。
人間は合理的かつ冷静に意思決定すると伝統的な経済学は考えますが、実は非合理ですし、こういった企業は、そのことを理解し、上手くビジネスに取り入れているのです。
スターバックスがトップ企業でいられる理由
FAANG以外にも、食品から医薬品まで多くの大手メーカーは行動経済学をビジネスに取り入れていますし、トップ企業がトップでいられる理由の一つに、行動経済学に基づいた戦略がある例もよく見聞きします。
例えばスターバックスのモバイルアプリは、行動経済学を徹底的に活用して作られているようです。
特に注目したいのが「スター」というポイント制度。最終的には「ゴールドスター」のステータスとなり、新製品を一足先に購入できたり、誕生日プレゼントがもらえたりする特典がつきます。
何より「スターバックスの上級ステータス」というランクづけは、顧客に優越感をもたらします。これは行動経済学で言う「ポジティブ・アフェクト(ポジティブな淡い感情)」という理論を利用した戦略と言えます。
ステータス制度は航空会社、ホテルなど多くの企業が導入していますが、スターバックスのこの「スター」制度では、モバイルアプリで「残り4日!」と期間限定ボーナスがもらえる期間がメッセージで送られてきたり、「ゴールドスターまであと○○スター」とゴールまであとどれくらいかを示されたりします。
これらも行動経済学の観点から言えば、ゴールが近づくほど意欲が増す「目標勾配効果」という理論の応用です。期間限定ボーナスや徐々にステータスが上がっていく仕組みは、コンピュータゲームの理論をビジネスに応用した「ゲーミフィケーション」でもあります。
「25も200の差も同じ目盛り」に隠されたトリック
さらに、ステータスバーの目盛りにもちょっとしたトリックがあり、25スターと50スターの目盛りの間隔が、200スターと400スターの目盛りの間隔と同じになっています。
25の差も200の差も同じ目盛りというのはグラフとしては明らかに間違いなのですが、行動経済学的に言えば優れた戦略。顧客はよく吟味せずにパッと見た雰囲気で判断するため、「もう50スター集めた。頑張って最後まで集めよう」と誘導されてしまうのです。
実際には、50スターまでよりも、その先の400スターまでのほうが、集めなければならないスターは当然、多くなります。こうしてスターバックスのこの「スター」制度は、多くの利用者を集めています。
多くの企業は人の非合理な意思決定と行動のメカニズムを知り、競争相手より優位に立とうとしているので、行動経済学を使っていることを企業秘密として公言しません。いわばお客さまには知られたくない“公然の秘密”というわけなのです。
しかし、行動経済学を学ぶと「このサービスは行動経済学が裏にあるな」とすぐにわかるようになる――それどころか、ひとたび行動経済学を学ぶと、世界が違って見えてきます。
あらゆる企業の戦略が張り巡らされた今、教養としての行動経済学を身につければ、二度とそれまでのような素朴なものの見方はできなくなるでしょう。
・企業側としては、顧客にサービスや商品をより多く楽しんでいただくための戦略家になれる。
これこそ、世界のビジネスパーソンが行動経済学を学ぶ理由なのです。