G7広島サミットのタイミングでイタリアに大洪水が
メローニ首相は、イタリアのエミリア・ロマーニャ州を襲った悪天候によって引き起こされた未曽有の洪水災害の緊急事態を注意深く監視するため、G7広島サミットを途中で離脱することとなった。
今回の洪水ではこれまで、15人の犠牲者が確認されており、5月28日までの情報では、200以上の道路で土砂崩れの影響が高まっている。773本の市道と州道が閉鎖され、そのうち302本が部分的に遮断されており、470本が全面通行止めとなっている。また、大規模な地滑りが422件発生したと記録された。一時期は3万6000人以上が自宅を出て避難していたが、現在、州内で約300人がまだ避難をしている。住民への支援活動が続けられているところだ。
推定被害規模は約70億ユーロ(約1兆円)と見積もられ、さらに増加する見通しだ。
メローニ首相が、自身のツイッターアカウントからG7の話題をつぶやくたびに、「握るのはゼレンスキーの手じゃなくて、シャベルだろ! 早く帰ってきて泥かきをしろ」や「自国が非常事態によく笑ってられるよな、死者も出ているのに失望した」や「ウクライナを支援するよりエミリア・ロマーニャの支援だろ!」など、コメント欄は不満と批判の声で埋めつくされ、中にはメローニ首相の外見を揶揄する酷い誹謗中傷も散見された。
広島で緊急記者会見した12時間後には被災地に到着
5月20日、日本時刻24時からG7広島サミットの最終記者会見を開き、まず最初に、「良心が私に帰国を要求している」と述べ、難しい選択ではあるが、前倒し帰国は必要な選択だと、約43分間、原稿など何も見ずに、首相自身の言葉で説明をした。
その12時間後には、既に被災地に到着しており、泥水の中に立っていた。
フォルリとラヴェンナ地域の浸水地域を訪問した。第一弾の被災地域への支援として、自営業者に対する税金支払いと住宅ローン支払いが停止され、ボーナス3000ユーロ(約45万2千円)を支給する。また、避難民家族に月額最大900ユーロ(約13万5千円)を支給すると発表された。
イタリア北部ミラノは右派が多く、メローニ支持者も多いが、共産党コムニスタの牙城はボローニャ(現在、洪水災害で大変なエミリア・ロマーニャ州)で、そのエリアだけはまだ左派勢力が強い。ここに災害援助や手厚い補償など梃入れをすると、左が右に傾く流れが予想できる。
ここがメローニ政権の踏ん張りどころで、まさにピンチがチャンスとなるのだ。
LGBTQの権利を認めずカナダのトルドーに説教されたか
G7でカナダとイタリアの二国間会談を行った際は、トルドー首相が突然何の前触れもなく、予定にない議題のLGBTの権利について「イタリア政府がとっている立場を懸念し、公式に非難をした」というニュースが飛び交った。
LGBTQの権利に関して欧州基本権機関(Fra)が発表したレポートによると、イタリアは差別指数が19%という最も高い指数を示した国であった。EU諸外国、フランス、スペイン、ドイツなど、ほとんどのEU加盟国には、LGBTQに対して憎悪と差別を禁止する法律が存在しているが、イタリアには憎悪と差別を禁止し、それを罰する法律はない。
カトリック教徒のメローニはLGBT法案には反対の立場
一児の母でもあるメローニ首相は、人の生死観、倫理観を率直に述べる女性で、敬虔なカトリック信者である。首相になる前の選挙運動中も、人工妊娠中絶や同性婚、ジェンダー思想やLGBT法案、大量移民受け入れに対して、はっきりと「NO!」という立場をとってきた。
イタリアはローマ・カトリック教会の総本部のお膝元で、国民の87.8%が自らをカトリックであると見なす。最大教派はキリスト教である。
宗教的戒律を守る敬虔なカトリックの信仰心とイタリアの社会文化的バックグラウンドを鑑みたとき、左派ポピュリズムから右派保守台頭への変化は大きく、価値対立の現れは顕著であった。メローニ首相の掲げる国民保守主義は若者にも支持されていると言えるだろう。
そもそもジョルジャ・メローニとは何者なのか
ここでジョルジャ・メローニとは何者なのか、改めて振り返ってみたい。
2022年、9月25日に実施されたイタリアの総選挙で、メローニが率いる右派国民保守主義政党の「イタリアの同胞(FDI=フラテッリ ディターリア)」が上院と下院で絶対過半数を獲得し、第一党となり、同年10月22日、ジョルジャ・メローニは、大統領府で「責任と誇りをもってイタリアに尽くす」と宣誓し、第68代イタリア共和国閣僚評議会議長に就任。新政権を発足させた。
イタリアに共和制が誕生してから76年後、イタリア史上初の女性首相が誕生したのである。
主要な国際メディアは、「ファシズム復活のリスク」に焦点を当て、このイタリアの新しい政治秩序が右にシフトしたことの影響と結果について分析し始め、メローニ首相率いるイタリアの右派連合が、プーチンに接近し、深刻な脅威になり得る可能性を不安視した欧州支配層は、「不和が生じる」と強い懸念を示した。
欧州右派のターニングポイントは、間違いなくメローニ首相になるだろう。彼女の持つ熱烈なナショナリズムに国民が魅了され、イタリアのナショナリズムは損なわれていないことをメローニ首相が示したのだ。
日本では極右のファシストだと誤解されているのではないか
首相自身が、「私の率いる政党『イタリアの同胞(FDI=フラテッリ ディターリア)』は、自由主義と国民保守主義(イタリア・ナショナリズム)をスローガンに揚げた保守グループである」と断言していることもあり、イタリア国民の多くは、はっきりと「愛国保守主義の政党であり極右政党とは違う」と言い、「極右政党ではない」という見方のコンセンサスが取れている。
一方、日本でのメローニ首相の印象と言えば、第二次世界大戦後に元ファシストによって設立されたイタリア社会運動(MSI)を起源とした政治思想で、青年組織に加わったという過去の経歴から、今も「極右政党」「起源ネオファシスト」「ファシスト源流」だというイメージが強く、誤解されているのではないだろうか。
メローニ首相は、次のように演説で語っている。
「自由と民主主義は現代ヨーロッパ文明の際立った要素であり、私はその中にいて常に自分自身を見失うことなく、非民主的な政権に親しみを感じたり同調したことは一度もなかったと自負しています。1938年の人種法はイタリアの歴史上、最低最悪の汚点であると常に思ってきたし、私の政権にファシズムを含む政権は存在しないと断言します」
左翼の父親に捨てられた復讐心から15歳で政治組織に
彼女の父は左翼共産主義者で無神論者、母は右派寄りの資本主義者であった。
「15歳の時に、家族を捨てた父への復讐心から、父とは真逆の思想のイタリア社会運動(MRI)の青年組織である青年戦線の装甲扉をノックした」と、自伝となる著書『Io sono Giorgia(私はジョルジャです)』の中で語り、「何でもいいから何かに属していたい、政治活動が唯一の心の拠り所であった」と、自分の育った家庭環境と波乱万丈な生い立ち、思春期に経験したエピソードを赤裸々に綴っている。
その後、政治活動にのめり込んでいったジョルジャ少女だが、強く心が動かされた動機というものは別にあった。
それは、2022年10月25日、首相に就任して初めての議会でした所信表明演説の中で明らかになった。「パオロ・ボルセリーノ裁判官が殺害された『ダメリオ大虐殺』の翌日に政治家になろうと決意した」と語った。
裁判官が殺され「憤りは政治に変換されるべき」と開眼
ダメリオ大虐殺とは、1992年7月19日に起こった事件だ。当時のマフィア組織犯罪集団コーザ・ノストラのボス、トト・リーナが「国家とマフィアの交渉」を水面下で行っていたが、ボルセリーノ裁判官がこの交渉を妨害したことへの報復で、パレルモの検察庁に送られた「マフィアとの契約書」と呼ばれる書類について明らかにしようとしていたため、殺害された。「国家に裏切られ虐殺された」とも後に言われ、国は強く批判された。
当時、弱冠15歳のジョルジャ少女は、この「ダメリオ大虐殺」でのパオロ・ボルセリーノ判事とその護衛の殺害事件に衝撃を受け、「傍観していてはだめだ。怒りと憤りは政治に変換されるべきだという考えに駆り立てられ、私は政治家になろうと思った」と、所信表明演説で語った。
メローニ首相の強い信念を象徴するマニフェストの一つに「マフィアの撲滅」がある。
2023年1月16日、パレルモで「マッテオ・メッシーナ・デナーロ(コーザ・ノストラのボス)を逮捕」のニュース速報が世界中を駆け巡ったとき、その日のうちに、メローニ首相は、シチリア行きの航空券を早速手配し、パレルモに降り立っていたのだ。
1992年「ダメリオ大虐殺」の犠牲者の記念碑を訪れ、静かに黙とうを捧げた姿は報道され、その時の素早い判断力と実行力は高く評価された。
メローニ首相の政治手腕と人気の理由
メローニ首相への支持率が下がらず、むしろ上がっているのは、マニフェストに掲げた事柄について、公約どおり一つひとつ着実に有言実行しているからだろう。
「エネルギー価格高騰」の対処については、スーパーボーナスをより首尾一貫して適用可能なものにし、労働者と企業の利益のために、税金と拠出金のくさびを削減することで「労働税の削減」をして負担を軽減させた。
前例のない「移民の急増加問題」に関連しては、国の領土全体で6カ月間の非常事態を宣言した。緊急管理は、中長期的な政策で構造的な解決策の基礎を築いていき、効率的かつタイムリーな対応を行い、庇護希望者の承認手続きの時間短縮化を図っている。
中国との協定「一帯一路構想」を更新するかがポイント
メローニ首相は、選挙公約でもこだわっていた「メイド・イン・イタリーの保護」のために経済開発(企業およびメイド・イン・イタリー)省を新設した。
農業省、保健省、経済開発省の3つの省庁によって「昆虫食品に対する4つの新規則」に、共同で署名された新法令が誕生し、同日「イタリアの伝統的な食文化、古典的イタリア製食品とイタリア料理」をユネスコ無形文化遺産にするための申請書を提出した。
イタリアはG7諸国の中で唯一、中国と「一帯一路構想」(BRI)として知られる鉄の協定を結んでいる。2019年にコンテ政権が署名したが、2024年3月で期限が切れるため、更新する必要があるが、米国はこれを更新しないよう圧力をかけている。
現在、非公式交渉では決定を数カ月延長することになっている。この問題は、G7のアメリカとイタリアの二国間会談で非公式の会合の主題であり、メローニは両者の異なる立場をできるだけスポットライトから遠ざけるよう努めていたようだが、イタリアは、11月末までの期限付きで最終決定をしなければならず、決定を棚上げする文書の決定を迫られている。
なぜメローニはイタリア国民に愛されるのか
メローニ首相の魅力は、人情味があるところだ。これまで時折、公の場で感情を抑えることができなくなり涙する場面もあった。メローニ首相が泣くときに共通していることがあると気づく。それは、志半ばにして人の命が不本意に奪われ、その人の未来が絶たれてしまった現状を目の当たりにしたとき、そして、困難や屈辱や残虐行為、人権が踏みにじられてもなお強く立ち上がり、回復して戻ってきた人々に感動したときだ。
2022年7月8日、安倍晋三元首相が街頭演説中に銃で撃たれて殺害された。その2カ月後、イタリア・カリアリで、メローニ首相が選挙演説中のステージにLGBTQ+の過激派活動家が乱入してくるという衝撃的なハプニングがあり、現場は凍りついた。
メローニ首相は、怯むことなく、この活動家とステージ上で質疑応答を1分続けた。
「私はあなたと違う考え方をする権利があります、あなたはそれに反対することができます、そして私たちはお互いの意見を尊重する。それが民主主義です」(メローニ首相)
メローニ首相は場の空気の切り替えが早く、理路整然としており、こういった過激派活動家や穏健派や反対勢力にも臨機応変に対応ができる。そんな度量と勇気、国民の心情に寄り添う姿が、老若男女、南北地域隔たりなく、すべての層の有権者が心を掴まれてしまう理由なのだろうと思う。