政府は2022年7月8日より常用労働者数301人以上の企業を対象に男女間賃金格差の開示義務を課した。2022年度の実績は2023年6月末までに公表することが求められている。エコノミストの崔真淑さんは「女性の賃金が男性より低いという状況を改善するためには良い動きだが、欧米の前例を見ると、むしろ女性の低い賃金に合わせて男性の給料がダウンする傾向がある」という――。

男女の経済格差是正に向けて国が動き出した

上場企業や従業員301人以上の企業では、企業に男女賃金格差の公表が義務付けられた。2023年度以降は有価証券報告書でも同様の開示が必要になる。目的は男女賃金格差の是正である。

OECD諸国でも日本の男女賃金格差は非常に大きいことが知られている。OECD諸国の男女賃金格差の平均が12.5%(2019年)に対して、日本は22.5%(2020年)と10%も大きい格差が存在している。そこで、政府は欧州の一部の国で実施されている男女の賃金格差の公表を、日本企業にも義務付けた。しかし、この開示義務化には批判的な声が存在する。批判される理由は主に2つある。今回は、学術的な視点も交えて、男女賃金格差の公表の課題を考察する。

女性の雇用数を増やした企業は? 公表方法に課題あり

企業に公表が求められている主な内容は、男性の平均賃金に対して女性の平均賃金が何割になるかの全社員の平均値である。同時に、正規雇用者と非正規雇用者における男女賃金格差も公表が必要だ。しかし、この開示内容だけでは、男女賃金格差の実態を把握するのは非常に難しい。

こんなシチュエーションを考えてみよう。ある企業では、男性社員が圧倒的に多く、社内の多様性推進のために女性社員層を増やそうとし、女性の新入社員を一気に増やしたとする。日本の場合、勤続年数が短い若年層は、相対的に社内での賃金は低くなりやすい。このような環境下で男女賃金格差を開示すれば、その企業は女性活躍を推進しようとしているにもかかわらず、女性の平均賃金は男性のそれと大きく差があるように見える。

これは、逆も然りである。多様性推進に全く関心がない企業が、女性の勤続年数が短いためと言い訳ができる余地が残る。女性の勤続年数を伸ばすためにも働きやすさや、育休取得に対して工夫をしない企業に、何も働きかけられず終わる可能性もある。男女賃金格差の単純平均だけの開示では、政府の目的を達成するのはハードルが高いかもしれない。

企業単独では公正なデータを出すのが難しい

本当に重要なのは、同じ役職、同じ勤続年数など、似た属性同士での男女賃金格差が存在するかどうかと、何が原因かの仮説を構築することだ。しかし、このような検証を行うには、計量経済学の知見が必要となり、企業が単独で行うのはハードルが高いだろう。そこで、東京大学エコノミックコンサルティング(UTEcon)などでは、男女賃金格差の実態把握のためのツール「GEM App」を提供している。本当は、ダイバーシティを推進するため全力投球しているのに、男女賃金格差の単純平均値だけを見て評価してほしくない! という企業は、学術知見を活用するのも有効な手段だろう

ただし、こうした工夫をしたとしても、まだまだ課題は残ると思う。それは、どういう形で男女賃金格差を是正するかの手段である。

東京大学エコノミックコンサルティング(UTEcon)公式サイト「GEM App」ページより
東京大学エコノミックコンサルティング(UTEcon)公式サイト「GEM App」ページより
UTEcon「GEM App」サンプル版より
UTEcon「GEM App」サンプル版より

2006年に開示が始まったデンマークではどうなったか

実は、デンマークでは日本よりもかなり早く、2006年から男女賃金差の開示が義務付けられている。このデータを用いた学術研究から、男女賃金格差の是正手段について考察してみよう。2006年にデンマークで法改正が行われた。この法改正では、従業員35人以上の企業に対して、性別に分類した給与データ格差(個人の匿名性が保護されている状態)を報告することが義務付けられた。日本よりも、はるかに対象企業が多い開示義務化である。ファイナンス分野の研究(*1)では2003年から2008年のデータを対象に、この制度による「男女賃金格差への影響」と「企業価値」への因果関係を検証している。

賃金に影響を与える要因は業種、企業タイプ、労働者タイプなど無数に存在する。そこで、この論文では、計量経済学の手法を用いて、そうした要因を調整して、可能な限り「男女賃金格差」と「男女賃金格差」「企業価値」への因果関係を検証している。具体的には、法改正導入前に従業員数35~50人の企業で働く従業員グループと、20~34人の企業で働く従業員グループの差に着目して分析を行っている。

ミーティング中のチーム
写真=iStock.com/monkeybusinessimages
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賃金格差は法改正前から13%も縮小したが…

この2グループを比較しているのは、従業員35人近辺の企業群では、本来は企業同士で大きく性質が違わないはずなのに、法改正が直接的な原因となって大きな変化が起きている可能性があるからだ。そして、これらの企業グループの業種、企業規模、個人特性(年齢、職歴等)も考慮して因果関係の検証をしている。

検証した結果は……男女間賃金格差は、法改正前の平均値から、開示義務化の対象になった企業において13%も(!)縮小したのだ。やはり開示義務付けによる賃金格差への効果はあったんだ! と喜びたいところなのだが……。

アメリカでも賃金が高い層の給与を下げられた

しかし、その格差縮小メカニズムは非常に厳しいものである。というのも、多くの企業では男性の賃金を下げることで、相対的に賃金が低い女性の賃金水準と合わせて格差是正に動く企業傾向が観測されたのだ。また、この開示義務付けによる女性の賃金上昇傾向は、統計的に意味のある結果は得られなかったと報告されている。さらには、こうした影響からか、働くモチベーションの底上げにつながりにくく、開示義務化による企業価値へのポジティブな影響は統計的には観測できなかった。

実は米国でも、こうした現象に近いことが報告されている(*2)。アメリカでは、一部の州は賃金透明化法「pay transparency law」という法律を導入しており、企業に企業内の最低賃金と最高賃金の範囲を開示させた。目的は賃金格差の是正。何が起きたかといえば、賃金が低い層の給与が上がるのでなく、前述のデンマークで起きた現象と同様に、賃金が高い層の給与を下げることで、賃金格差是正が行われる傾向が確認されたのだ。

手に持った米ドル札を怪訝そうに見る男性
写真=iStock.com/Liubomyr Vorona
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なぜこうなってしまうのかは、まだ学術的にも明らかにはなっていない。しかし、給与を上げるより下げる方が企業にとって容易なのは明らかだ。日本での男女賃金格差のために、企業が男性賃金を下げることを行わないよう、今後、私たちも注意深くウオッチする必要がありそうだ。

(*1)MORTEN BENNEDSEN, ELENA SIMINTZI, MARGARITA TSOUTSOURA, DANIEL WOLFENZON, “Do Firms Respond to Gender Pay Gap Transparency?”, The Journal of Finance. 2022
(*2)The Economist “Pay-transparency laws do not work as advertised”