令和初の天皇誕生日一般参賀
2月23日は「天皇誕生日」。天皇陛下はこの日、63歳になられた。国民の一人として心からお祝い申し上げ、天皇陛下のご健勝とご多幸、皇室の弥栄を祈り上げる。
当日、皇居ではコロナ禍の影響で実施が見合せられていた天皇誕生日に際しての一般参賀が、令和になって初めて実施された。天皇陛下は、この日のおことばの中で「誕生日に初めて皆さんからお祝いいただくことを、誠にうれしく思います」とおっしゃられた。
お出ましは午前中に3回。皇后陛下、ご長女の敬宮(愛子内親王)殿下、秋篠宮殿下、同妃殿下、秋篠宮家のご次女、佳子内親王殿下とご一緒に、宮殿・長和殿のベランダに立たれて、国民からの祝賀をお受けになった。宮殿東庭には、コロナ禍による人数制限のため、6万1031人の申し込みがあった中から約13.5倍の倍率の抽選で当選した人たちが、参賀に訪れた。
入念に準備された記者会見のメッセージ
天皇陛下は例年、天皇誕生日に際して事前に記者会見を行われ、その内容がお誕生日当日に発表されている。天皇陛下から広く国民に向かってメッセージを発信される数少ない貴重な機会だ。天皇陛下におかれては、毎年、入念にご準備なされている。
今年の記者会見では6月にご結婚30年を迎えられることに関わる質問が出され、丁寧に答えておられた。
「結婚してから、30年近くが経つのかと思うと、時の流れの速さを感じます。昨年12月の雅子の誕生日の感想にもありましたが、雅子が29歳半の時に結婚してから、その人生の半分以上を私と一緒に皇室で過ごしてくれていることに、心から感謝するとともに、深い感慨を覚えます」
皇后陛下へのこまやかな愛情が伝わる。
「一生、全力でお守りします」
天皇陛下は、よく知られているように、ご結婚に先立って、皇后陛下に次のようにおっしゃっていた。
「皇室に入るのはいろいろ不安や心配がおありでしょうが、雅子さんのことは僕が一生、全力でお守りしますから」と。
このおことばは、平成5年(1993年)1月19日、皇室会議で両陛下のご結婚が内定し、ご婚約の記者会見の席上で皇后陛下ご自身が紹介された。
このおことばに触れた時、私は一瞬、涙ぐましい思いにとらわれた。天皇陛下の一途なお気持ちに感動するとともに、その一方で「一生、全力でお守りします」とまでおっしゃらなければならない、苛酷な背景に思いをいたしたからだ。
「全力で誰から“守る”のか」
まだ平成の頃、あるテレビの討論番組に出演した時、それまで皇后陛下(当時は皇太子妃)へのバッシングを続けていた保守論壇の重鎮というべき方が、声を荒らげてこう言った。
「『全力で守る』とおっしゃるが、誰から“守る”のか? われわれ国民に敵対するような表現ではないか」と。
私は悲しい気持ちになり、とっさに反論した。
「皇太子殿下(今の天皇陛下)にとって身近な母宮でいらっしゃる皇后陛下(今の上皇后陛下)が、皇室に嫁がれてどれだけおつらいご経験をしてこられたか。それを誰よりもよくご存じの皇太子殿下ならば、『全力でお守りします』というのは、お相手を真剣に愛しておられたら当然に出てくるおことばではないですか」と。
上皇后陛下が皇太子妃時代にさまざまな悲しいご経験をしてこられた事実は、比較的よく知られているだろう。
平成に入って、皇后になられてからも、週刊誌などによるバッシングが繰り返された。それが高じて、遂にバッシングへの義憤に駆り立てられた人物によって、週刊誌を出している出版社の社長宅に銃弾が撃ち込まれるという、皇室の方々が最も悲しまれる事件まで引き起こされてしまった。
海外メディアが驚いた皇室バッシング
今の皇后陛下も、皇太子妃時代に執拗なバッシングが続いた事実は、人々の記憶に刻まれているはずだ。果ては幼い敬宮殿下についてまで、悪意があるとしか思えないような記事も書かれた。その他に、宮内庁内部にも皇后陛下のご病気への無理解という問題があった。
天皇陛下はご約束通り「全力で守る」というご姿勢を、さまざまな逆風の中でも誠実に貫いてこられた。皇后陛下にとって、これほど心強い支えはなかっただろう。
私が海外のメディアから取材を受けるたびに、彼らがこうした現象を不思議に思っていることを感じる。
「私たちは日本人の多くが皇室に敬愛の念を抱いていると思っています。また日本人が心優しい国民だというイメージも持っています。さらに他の王室と比べて、日本の皇室にそれほど大きな落ち度があるとも思えません。なのになぜこうした人権無視の残酷なバッシングが繰り返されるのですか?」と。
SNS活用をめぐる天皇陛下と秋篠宮さまの温度差
そうした皇室バッシングへの対応策という性格も持つ、SNSの活用を宮内庁が検討していることへも、記者から質問があった。これに対する天皇陛下のお答えは、昨年の秋篠宮殿下の記者会見でのご発言と、ある意味ではコントラストをなす内容だった。
秋篠宮殿下のご発言は、SNSの導入にいささか前のめりで、かつ失礼ながら「技術論」に傾いた印象が強かった。これに対し、天皇陛下は「天皇・皇室はいかなる存在であるべきか」という原理・原則に立ち返って、重厚かつ慎重なご姿勢を示された。
「情報を、適切なタイミングでお知らせするのも大事」
「皇室の活動についての情報発信を考えるに当たっては、その前提として、皇室の在り方や活動の基本に立ち返って考える必要があると思います。皇室の在り方や活動の基本は、これまでもお伝えしているとおりの国民の幸せを常に願い、国民と苦楽を共にすることであると思います。そして、時代の移り変わりや社会の変化も踏まえながら、状況に応じた務めを果たしていくことが大切であると思います。
皇室を構成する一人一人が、このような役割と真摯に向き合い、国民の幸せを願いながら一つ一つの務めを果たし、国民との心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております。国民との交流を重ね、国民と皇室の信頼関係を築く上では、皇室に関する情報を、適切なタイミングで国民の皆さんに分かりやすくお知らせしていくことも大事なことであると考えます」
あくまでも「皇室を構成する一人一人が……役割と真摯に向き合い……務めを果たし」ていくことが第一義であって、適切な情報発信“も”それに次いで大事、というスタンスでいらっしゃる。
日本の皇室にふさわしい情報発信
SNSについてはこれまでに、メリットとともに警戒すべきデメリットも指摘されている。そのデメリットの部分が、皇室と国民の間に思わぬ亀裂を生じさせないとも限らない。
天皇陛下があらかじめ用意しておられたご回答の中に、「SNS」という単語自体があえて取り上げられていなかった点も見逃せない。
関連質問へのお答えの中では、以下のように述べておられた。
「海外でもいろいろな王室の方々がSNSを使ったりして情報発信しておられることは、私も承知しております。恐らくその国々にあった形で、それぞれ発信をしておられることだと思いますけれども、この辺も宮内庁の方でいろいろと情報を集めているのではないかというように思っております」
「その国々にあった形で」という言い方から、他国のやり方をそのまままねするのではなく、わが国における皇室の在り方に照らして、自主的・主体的に情報発信の在り方を丁寧に探るよう、宮内庁に期待しておられることが拝察できる。
いずれにしても、天皇陛下は情報発信の前提として、技術論“以前”に、皇室自身が「基本」に立ち返って考える大切さを、強調しておられる。国民統合の心理的基盤において、重要な部分を担うべき皇室の存在意義を十分に自覚しておられ、そのような皇室の中軸である天皇として重責を担うご覚悟がうかがえる。
皇宮警察の不謹慎なリーク
そのような天皇陛下のご覚悟に対し、週刊誌などには今も匿名の人物による真偽不明な発言が氾濫している。
最近も、敬宮殿下に関わる話が、匿名の「皇宮警察関係者」の発言として載せられ、それがそのまま記事のタイトルにまでなっていた(『週刊女性』3月7日号)。しかし、それは「……ようです。……もっぱら噂なのです」という不確かな伝聞やうわさ話。しかも、敬宮殿下のご人格を傷つけるセクハラまがいの不快な内容だった。
そもそも、皇宮警察は皇室の方々の護衛などに当たるのがその職務のはずだ。にもかかわらず皇宮警察関係者の中に、皇室の方々の信頼を裏切る無責任な情報を、まことしやかにリークする者がいるような組織体質では、とても職務を全うできないのではあるまいか。
近年、皇宮警察について聞くに堪えない不祥事が立て続けに報じられている。そのような中、今年1月20日の「年頭視閲式」に天皇・皇后両陛下が初めてお出ましになった。これは皇宮警察の綱紀粛正を願われてのことだったのではないか。それでもこうした不謹慎なリークが続いている事実を、どう考えればよいのだろうか。
ノンフィクション作家の工藤美代子氏は、匿名の皇室情報について強く苦言を呈しておられる。
「皇室関係者」「宮内庁関係者」「皇室記者」「皇室ジャーナリスト」……すべて匿名の人物ばかりというのは、ノンフィクションを書いている身としては気になった。なぜなら、ノンフィクションは事実を書くことが大前提であり、その内容に著者が責任を持てない限り書いてはいけないのである。……
匿名のコメントに真実が含まれていることも多々あるので、簡単には無視できないのは事実だ。しかし、ただの憶測であったり、雑誌を売らんがための煽り記事だとしたら、あまりにも無責任ではないだろうか(『女性皇族の結婚とは何か』)
もし今後もこの種の無責任な匿名情報が後を絶たないようであれば、皇室の方々は反論も十分にできないお立場で、一方的に尊厳を傷つけられ、過大なストレスを抱え続けられることになる。未婚の方々のご結婚にも無視できない障害となるだろう。
それは大げさでなく、やがて皇室の存続自体を至難にしかねない。