「政府の政治責任を明確に」という意図で行われた質問
2月10日、衆院内閣委員会で立憲民主党の馬淵澄夫議員による皇位の安定継承をめぐる質疑が、約40分間にわたり行われた。
皇族数の確保策を検討した有識者会議の報告書が、政府から国会に手渡されたのが昨年、令和4年(2022年)1月12日。それからすでに1年以上が経過した。しかしこの間、国会審議の場で同テーマについて断片的な質疑はあっても、真正面から取り上げられることはなかった。
今回の馬淵議員の質疑では、ご本人の持ち時間のすべてをこの問題に充てられた。その点で注目すべき質疑と言えた。
しかも、答弁に立ったのは松野博一内閣官房長官ただひとり。もちろん、内閣官房の役人によるサポートはあった。しかし直接、答弁するのは官房長官にかぎる、というのが馬淵議員サイドの強い要請だったようだ。答弁内容について、政府の政治責任を明確にするという意図からだった。
やる気も責任感もない岸田内閣
質疑全体を通して、この重大かつ緊急性を要する課題に対し、岸田文雄内閣がいかにやる気も責任感も無いのかが、浮き彫りになった。
前の菅義偉内閣の“置き土産”ともいうべき有識者会議報告書に対しても、冷淡そのもの。
報告書に盛り込まれたプランの制度的整合性の欠如や、憲法違反の疑いという、致命的な欠陥を指摘されても、“どうぞ国会で好きに料理して下さい”、という投げやりな態度に終始した。
内閣が責任を持って法案を提出すること(いわゆる閣法)にさえこだわらず、閣法にするか議員立法にするかまで、すべて国会に委ねるという趣旨の答弁をしていたのには、驚いた。
上皇陛下のご退位を可能にした皇室典範特例法を制定した時は、当時の安倍晋三首相が主導権を国会に渡すまいとして、国会サイドの大島理森衆院議長や野田佳彦元首相らと“綱引き”を演じた。それと比べると、岸田内閣の場合は正反対だ。当事者意識もなく、厄介な問題は国会に丸投げ、という無責任この上ない姿勢が目についた。
以下、具体的な中身に立ち入ってみよう。
質疑で問われた3つの柱
この質疑の柱は次の3点。
①有識者会議報告書に対する政府の姿勢
きちんと報告書の正しさを国会に説明できるのか? その内容に対して政府は責任を負えるのか?
②国会議論との関係性
国会でこのテーマについて「立法府の総意」が取りまとめられた際、その後の具体的な立法化のプロセスを政府はどのように見通しているのか?
③報告書の内容
そこで提案された2つのプラン=「女性皇族が婚姻後も皇室に残る案」「旧宮家系の国民男性を養子縁組で皇族とする案」それぞれの問題点に対して、政府はどう答えるのか?
これらのうち、最も重要な論点となるのは当然、③と思われた。ところが①②への質疑が進められる間に、思わぬ“落とし穴”が待っていた。それは何か。
有識者会議報告書に冷淡な政府の姿勢
先にも少し触れたように、政府は報告書への思い入れが薄く、「一応『尊重』はするけれど、その内容に責任を取るつもりはまったくない」ことが浮き彫りになった。
すなわち①をめぐる質疑の中で、報告書の内容は、政府として確定した政策決定ではなく、検討のプロセスの中途段階にあるもので、それゆえ閣議決定は行っておらず、国会での活発な議論に「資するもの」つまり“叩き台”以上の意味は持たない、という事実が早々と明らかになった。
「具体的な制度内容については、国会でのご議論を経て、今後、検討されていく」「政府としてはその結果を踏まえて必要な対応を行ってまいりたい」というのが、松野長官がこの時の答弁で繰り返す“決め台詞”になった。
岸田内閣は報告書の中身に対して、執着せず、責任を負うつもりもない。その結果、馬淵議員が報告書の弱点を鋭く衝いた問いかけを行っても、ことごとく“暖簾に腕押し”という格好になってしまった。
「国会でのご議論」に責任転嫁
そもそも有識者会議が設置されたのは、上皇陛下のご退位を可能にする皇室典範特例法が平成29年(2017年)6月に成立した時、国会が全会一致の決議として「安定的な皇位確保するための諸課題」について「先延ばしすることはできない重要な課題」とし、これについて政府が「速やかに」検討することを求めたことに対し、きちんと応答するためだったはずだ。
ところが、報告書ではこれについては事実上の無回答。目先だけの皇族数確保策にすり替え、本来の課題はさらに「先延ばし」を図る内容になっていた。
政府がそんな報告書をそのまま国会に回してきたのであれば、国会サイドとしては当然、その無責任さを問題視するのが筋だ。馬淵議員もそこを追及された。
しかし、松野官房長官の答弁は先のパターンの繰り返しだ。
「国会でのご議論をさらにお進めいただければと思います」と。
無責任こそ、“最強・無敵”と思わせるやり取りが続いた。
憲法違反が疑われるプランなのに…
③に関わる質疑では先に触れたように、旧宮家の養子縁組プランの問題点についても、当たり前ながら言及された。
憲法第14条には、国民平等の原則についての規定があり、その中で「門地(家柄・血筋)による差別」を他の列挙事項とともに、名指しで禁止している(第1項)。
ところが報告書では、旧宮家という特定の家柄・血筋に限って、同じ国民でありながら養子縁組という手続きによって、“特権的”に皇族の身分を新たに取得できるというプランを提案している。
これに対し有識者会議のヒアリングにおいて、憲法学者で東京大学大学院教授の宍戸常寿氏が「門地による差別」に該当し、憲法違反の疑いがあることを指摘された(令和3年[2021年]5月10日)。
この指摘は、別に突飛な新説や異説ではなくて、これまでの憲法学の通説をそのまま養子縁組プランに適用したに過ぎなかった。
「門地による差別禁止」の例外は天皇・皇族のみ
念のために、主な見解をいくつか紹介しておく。
14条が「門地」によって差別されないといっている「国民」とは天皇・皇族をのぞく一般国民を指す(伊藤正己氏ほか『注釈憲法〔第3版〕』)
象徴天皇制に伴う天皇ならびに皇族の身分上の例外を除けば、日本国憲法は近代的意味の平等を徹底して保障しようとしていることがうかがえる(野中俊彦氏ほか『憲法I〔第4版〕』)
天皇・皇族(は)……皇位の世襲と職務の特殊性から必要最小限度の特例が認められる(芦部信喜氏、高橋和之氏補訂『憲法〔第4版〕』)
要するに、“門地差別禁止”という憲法上の一般的規定(第14条)の例外は、同じく憲法そのものに明文の例外規定(第1章、特に第2条)を根拠に持つ天皇と皇族(皇室典範特例法施行後は上皇も加わる)に限定される、ということだ。至って当然のロジックだろう。
欠陥のある報告書を国会に提出した政府
血統として「皇統に属する男系の男子」は、旧宮家系の人々以外にも“国民の中”に数多く存在する。旧宮家系その他の皇室の血筋をひく人々も国民である以上、等しく国民としての権利と義務を持つ。そうであれば、憲法に照らしてそのような人々だけを例外扱いすることはできない。
にもかかわらず憲法上の根拠もなく、例外枠をあえて拡大しようとする制度を提案したのが、先の報告書だった。もちろん大きな問題をはらむ。それなのに、政府はそれをそのまま国会に提出した。政府には報告書の提出者として、逃れられない責任があるはずだ。
馬淵議員の質疑はもちろん、この点にも及んだ。
しかし、松野長官の答弁は例のパターンの繰り返しだ。
「具体的な制度内容をどのようなものとするかは、国会でのご議論を経て実際に制度化が図られる際に、検討されていくものと考えております」
難題は国会に押し付けた
松野長官は、報告書の提案内容の問題点が一つひとつ指摘されるたびに、それをそのまま政府から国会に手渡した当事者として、責任ある回答を行おうとは決してしなかった。
「その点については、どうぞそちらでよく議論して下さい」という答え方でひたすら逃げる、という姿勢を最後まで変えなかった。
これは、問題点の指摘に対して真正面から回答できるような、説得力のあるロジックを、政府自身が持ち合わせていない事実を示している。
ならば、そのような欠陥を抱えた報告書を丁寧にチェックもせずに、そのまま国会に回すべきではなかった。しかし、政府としては、厄介な“宿題”を抱え込んで批判の矢面に立ちたくない。そこで、ろくに中身を吟味・検討もしないまま、難題の解決を国会に押し付けたかった、というのが本音ではあるまいか。
国会は国民の負託に応えられるのか
私は委員会の傍聴席でやり取りの一部始終を見ていて、脱力感に襲われた。
皇位の安定継承という課題に対して、岸田内閣に大きな期待を持てないことが、よく分かった。
今後は、国民の代表機関であるはずの国会の真価が問われる。
果たして国民の負託に応えた真剣な議論を積み重ねることができるか、皇位の安定継承という本来の課題に立ち返って、妥当かつ実現可能な方策を盛り込んだ皇室典範の改正を、いかに速やかに実現できるか、注視したい。
「日本国の象徴」であり「日本国民統合の象徴」とされ、「主権の存する日本国民の総意」に基づくとされる「天皇」をめぐる制度において、憲法違反の疑いが指摘されるようなことは、決してあってはならない。
憲法上、国民とは区別されて皇統譜(大統譜・皇族譜)に登録される天皇・皇族は別として、戸籍に登録される一般国民の中から、旧宮家という特定の家柄・血筋の人々だけを特別扱いすることで、国民平等の理念に亀裂を走らせるような制度を新しく設けることは、果たして妥当なのか、どうか。
そうした制度を導入することは、天皇・皇室に素直な敬愛を抱く国民の気持ちにも、暗い影を投げ掛けることになる惧れがあるのでないだろうか。