2023年度から出産育児一時金が42万円から50万円に引き上げられることになった。産婦人科医の宋美玄さんは「私はかねて出産費用は無料にすべきと主張してきました。8万円増えたところで果たしてこれで子どもが増えるのか疑問です」という――。(構成=ライター 池田純子)
生後2カ月の赤ちゃんを腕に抱く父親
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むしろ政府の出すお金は減っている計算に

政府は以前から少子化対策の一つとして出産育児一時金を上げると言っていましたので、2023年から上がることになって、ようやくという思いです。しかし20万円ぐらい上げるのかと思ったら、たった8万円。それでネットでは「産院が分娩料を値上げしている」と騒がれている。産婦人科医としては、分娩料が高くなったとしても、妊婦さんの手元に残るぐらいのお金は支給してほしかった。8万円では少なすぎます。

そもそも出産育児一時金が42万円から50万円になったところで、政府の懐はいたみません。

42万円が50万円になるということは、20%弱の値上げですが、ここ6年で2割以上、出生数は減っていますから、政府の出す出産育児一時金は、それほど増えていないのです。

たとえば2016年の出生数は97万6978人でしたが、2022年は推計約77万人と考えて(厚生労働省「人口動態統計」より)、単純計算しても98万人×42万円=4116億円だったところが77万人×50万円=3850億円に。むしろ減っているのです。

政府は、いかにも大盤振る舞いしているかのように喧伝していますが、実は予算を上げていないということを、まず、みなさんにも知ってほしいです。

【図表】出生数及び合計特殊出生率の年次推移
出典=令和3年「人口動態統計月報年計(概数)の概況」(厚生労働省)

分娩が減れば産院の収益も減ってしまう

これまでも出産育児一時金が増額されると、産院が分娩料を値上げし、そのたびに便乗値上げだと騒がれてきました。

しかし、産婦人科医の立場からお伝えしたいのは、産む人が減れば、産院に入るお金も減るので、産院が今までの設備を維持するには、値上げも仕方ないという事情です。今は物価高や人手不足に対応できないほど窮している産院も少なくありません。

分娩が減っていることで実際、地方では分娩をやめる産院もあり、集約化されています。とはいえ分娩による収益は、どこも減っています。

一方、都市部に関していえば、分娩はそこまで減っていませんが、もともと金額が高い。産院が分娩を扱おうとすると、設備投資が高額になりますし、人員も必要になるからです。

ただ出産は自費診療なので、自由に価格を設定できる分、他の診療科の赤字部分を分娩で穴埋めしようとしている病院もありますから、一時金増額のたびに病院が便乗値上げをしているのではないかと騒がれてしまうのだろうと思います。

しかし、2024年から出産費用が公表されて、産院の費用が見える化されますから、利用者は比較して選べるようになります。

よく「都立病院はあれだけ安くできるわけだから、もっと安くしてほしい」という声も聞きますが、そもそも税金の入っている公立の病院と私立病院では収益構造が全く違います。見える化されれば、そういった比較検討もしやすくなるだろうと思います。

一緒に楽しんで育児をする夫婦
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出産が保険適用になると逆に医療が保てなくなる

出産費用については「保険適用にしてほしい」といった意見もありますが、私はさまざまな理由から反対です。

いちばんの理由は、保険点数の設定方法は不透明で、医療全体として都心部だと保険診療だけでは運営していけないぐらい安い保険点数のものが多いためです。もしも分娩が保険適用になってしまうと、十分な設備投資や人員配置ができず、結果的に医療を保てなくなる恐れがあります。保険適用となることで、多くの産院が立ち枯れする可能性があります。また、保険適用となっても個室代などの部分は自己負担となり、医療部分の3割負担と自己負担分を合わせると保険適用前よりも持ち出しが多くなることも考えられます。実際、昨年4月からの不妊治療の保険適用では、補助金がなくなって3割負担となったこと負担額が増えた方も多くいらっしゃるようです。

産婦人科医の立場としては政府には、産院が経営のことをそれほど気にせず、安全に分娩できる体制を維持できる仕組みをサポートしてほしいです。

妊娠・出産は本来、危険なものですが、出産時に命を落とすという事態が極力起こらないインフラをととのえることは必須です。そのために私たちも医療に従事していますし、政府が少子化対策をしたいなら、出産が安全にできなくなることは望んでいないと思います。世界に誇る安全性の高い周産期医療を保てなくなるのは避けたいですし、それは誰にとってもつらいことではないでしょうか。

政府はもっと財政出動をするべきだ

政府が出産育児一時金を上げたことは、結果的に産院への支援になっている面がありますが、SNSでは、ぼったくっている産院と産む側の人との対立構造のように言われています。政府は産む人に明確に届くような支援をすると同時に、産院が医療を保つことのできる支援もしてほしい。双方に届く支援が必要だと思います。

私としては、お産が減って出産育児一時金の支給も減っているのだから、政府もケチくさいことをいわずに、もっと出せばいいのに、とつくづく思います。

たとえばイギリスのように、NHS(National Health Service)といった保険制度で基本的に出産費用は無料、でも、キャサリン妃のようにプライベートの病院で産みたい人は自腹で払う。そういうシステムを取っている国もあります。無償化といっても無限に補助する必要性は乏しいので、どこかで線引きは必要だと思います。

また港区や渋谷区など、全国でも突出して出産費用の高い地域では、自治体から出産時にそれなりの金額が支給されています。分娩費用は地域差が多いので、出産一時金で足りない分は自治体が相当額を補助するという制度も考えられます。

少子化対策に必要なのは抜本的な経済政策

もしも出産育児一時金が十分に増えて、自己負担が減れば産む人にとってはうれしいことだと思います。だからといってそれで産む人が増えるでしょうか。私はそうは思えません。少子化の原因は、分娩時の負担額が大きいためではないからです。

結局、出産育児一時金の増額など小手先の政策では、少子化対策にはならないと思います。では、真の少子化対策とは、どういうものでしょうか。

今の日本で子供を育てるには、小さい頃はすごく手がかかるし、手が離れると、今度は教育費がかかるので、一人産んでも、もう一人産もうとはなかなかなりません。昔のように「今は収入が少なくても、右肩上がりに成長するから、産んでも何とかなるよね」という人はたぶんいないでしょう。

今、子育て中の人たちの多くは、沈みゆく日本で、自分の子供だけは船のマストの上に登れるように手厚く教育するというマインドです。その空気感が変わらないと、もう一人産もうとはならないと思います。

いくら保育園に入りやすくしても、企業が育休や時短の制度を進めても、やはり日本に住んで安心、このまま産んでも何となるという空気にならない限りは、子供は増えないだろうと思います。

氷河期世代の団塊ジュニアにも支援がなかった

先日、自民党の麻生太郎副総裁が「少子化の最大の原因は晩婚化」と発言しましたが、ではなぜ晩婚化になっているのか? 早く結婚して出産しにくい社会になった結果、女性が子供を産むのが遅くなっているわけです。晩婚化が少子化の原因だとして騒ぐのではなく、起きるべくして起きた“結果”なのだということにこそ、注目してほしいところです。

参院本会議で立憲民主党の水岡俊一氏(右端)の代表質問を聞く岸田文雄首相(同2人目)=2023年1月26日、国会内
写真=時事通信フォト
参院本会議で立憲民主党の水岡俊一氏(右端)の代表質問を聞く岸田文雄首相(同2人目)=2023年1月26日、国会内

晩婚化、晩産化によって、ほしい子供の数が得られなくなることは事実ですから、まず政府としては、若い人たちが早く結婚して、子供を持ちたくなるような雇用の安定や若いうちからの収入の向上など、根本的な経済政策に取り組むことが先決ではないかと思います。

振り返ってみると政府の経済政策は、ずっと失敗しています。団塊ジュニア世代も、氷河期の中、何のレスキューもなく、子供を産めないまま生殖年齢を卒業してしまった。だから、日本では第3次ベビーブームがなかったのです。

さらにいうと先日、東京都の小池百合子知事は、都の不妊治療事業の卵子凍結支援の拡大を検討すると表明しています。もちろん卵子凍結は個人の選択肢としてはいいと思いますが、それを公費で補助するかどうかというのは、また別の問題だと思います。

繰り返すようですが、大切なのは「子供を産んでもなんとか育っていくだろう」という空気感です。政府は国民がポジティブに生きられるような政策を行うことが、いちばんの少子化対策です。

今はコロナショックの影響もありますし、もう少し社会全体が明るくなって、日本も再生できそうだよね、という空気にならないと、若い人たちも子供を産もうという気持ちにはならないのではないでしょうか。