モラハラで感情を外に出せなくなった妻
私の事務所に相談に来た、30代後半の女性Aさんは、顔の表情に苦悩がにじみ出ていた。昭和中期まで、よく言われた「所帯やつれ」である。この言葉は、既に死語となっている感はあるが、離婚弁護士の体感として、所帯やつれの女性の数自体は、昭和中期と比べ、それほど減っていないと思う。
そのAさんは、「いつも夫から怒られてつらい」と言った。「つらくて泣くことはあるか」と尋ねると、もう何年も泣いたことはないという。新婚当時は、つらくて涙が出たが、泣くと「泣けばゆるされると思っているのか」と余計に怒られるので、泣かないよう我慢しているうちに泣けなくなった。声を立てて笑うことも、もう何年もないという。
Aさんは、夫のモラハラから身を守るために感情を殺しているうちに、感情を外に出せなくなってしまったのだろう。昔の快活なAさんに戻るのは、とても難しいし、夫と別居・離婚しても、快活な状態に戻るには、何年もかかるだろう。
ところで、Aさんのように感情を押し殺している女性は、突然大粒の涙がはらはらと頬を伝うことがある。例えば、台所に立っているとき、道路を歩いているとき、突然、何の脈絡もなく熱い涙がこぼれる。傷ついた心が「つらい」と訴えるのだ。
モラハラが原因で起きる「夫源病」
そのようなつらい毎日を我慢しているとどうなるか。医師たちは、夫が原因で妻にさまざまな症状が出ることに気付き始めている。
更年期障害に詳しい石蔵文信医師は、夫が原因のさまざまな心身の不調を「夫源病」と名付けた。この「夫源病」の原因は、夫のモラハラにあるという。
認知症を専門とする長谷川嘉哉医師は、アルツハイマー型認知症の女性患者の夫は、「個性的な方」が多いと指摘している。長谷川医師は「個性的な方」と上品に表現されているが、要するにモラハラをする夫(モラ夫)、それも末期的なモラ夫の、日常的、継続的モラハラが妻の脳に影響して、認知症の一因になっているのではないかと疑っているのだ。
日常的にモラハラを受けている妻は、ストレスからさまざまな身体の不調を起こす心身症になったりすることがある。また、ストレスにより免疫力が低下して、さまざまな病気になったり、心身がボロボロになる妻も決して少なくない。まさにモラハラは万病のもとである。
離婚成立後に倒れて救急搬送
別居、離婚しても、安心できない。ある妻は、毎日のように夫が激しく怒鳴るため、とうとうシェルター(一時保護施設)に逃げ、その後離婚が成立したが、離婚成立後、突然、身体が動かなくなって倒れ、救急搬送された。
大きな病院でさまざまな内科的検査をしたが、原因は見つからなかった。おそらく、常にモラハラによる精神的ストレスを受けていたところに、別居・離婚が成立したことで、今まで抑え込んでいたものが一気に解放されたのだろう。ストレスにより心と身体が悲鳴を上げていたにもかかわらず、これまではそれらを押し殺す生活が続いていた反動で、さまざまな症状が身体に表れたのだと考えられる。
夫は理由を理解できないまま別居
さて、私はAさんの代理人として、別居後、夫のB氏に電話した。B氏は、なぜAさんが出て行ったのか理解できないという。
B氏によると、離婚の理由はあるはずもなく、離婚は認めないという。Aさんも別居して、苦しさから逃れたので、離婚に進むことは、特に希望しなかった。その結果、AさんとB氏は、別居したまま、当面は離婚しないことになった。
このような場合、子どもの有無にかかわらず、Aさんよりも収入の多いB氏は、Aさんに月々生活費を送金し続けることになる。B氏には、夫婦として同居せず、何らの「内助の功」は得られないまま、妻の生活を支える義務だけが課される。
同居している間、Aさんは、「結婚とは何なのか」と悩み続けた。その悩みを、別の形でB氏が背負うことになったのである。
離婚の成否にかかわらず、AさんとB氏の結婚は到底成功しているとはいえまい。率直に言えば失敗である。この失敗の原因は、指摘するまでもなく、B氏のモラハラである。しかし、B氏に自覚はない。
「私も『モラ妻』ではないか」
私はツイッターで、日々、モラハラについてツイートをしている。フォロワーから質問を受けることも少なくない。
妻たちからは、「自分も言い返す」「夫からモラ妻と言われている」ので、「私こそ/私も『モラ妻』ではないかと心配」といった質問も少なくない。
ところが、夫たちから「自分はモラ夫ではないか」と質問を受けたことはない。夫たちは、自らのモラハラに気が付かないし、心配しないのだ。そしてある日、妻が家を出て行った後に、妻の弁護士から「モラハラ」と指摘を受けて憤慨することになる。
モラハラは夫婦間だけではない
ここで、「モラ夫だけでなく、モラ妻もいるではないか」と憤慨することは、全く生産的ではない。
誤解を恐れずに言えば、日本の文化自体に、立場が強いものが弱いものに対してモラハラをするという、モラハラ要素がある。それが、学校や職場のイジメ、毒親、教育虐待、パワハラ、セクハラ、アカハラ(アカデミックハラスメント)、カスハラ(カスタマーハラスメント)、モンペ(モンスターペアレント)、教室虐待など、さまざまな場面で現れ、問題化している。
私たちは、その時の立場によって、容易に被害者にもなり、加害者にもなる。そのことを率直に認め、自らの加害者性に向き合うことが大切だと思う。
精神的な攻撃で心身が傷ついてしまう
まず、怒り、怒鳴り、非難するという「攻撃」は、身体的、物理的攻撃と同様、DVであることを知るべきだ。人間の脳は、物理的攻撃と精神的攻撃を明確に区別できないらしい。精神的攻撃を受けると「心が痛む」が、物理的攻撃による被害を表す「痛み」という言葉が精神的被害にも用いられているのは、まさにその表れだろう。
動物は、攻撃を受けると、逃げる。仮に逃げられないと闘う。逃げられず、闘っても勝ち目が全くないと、仮死状態になって攻撃をやり過ごす。これは、動物の本能的反応である。
夫から攻撃を受けても、社会的諸規範から、簡単には逃げられない。「夫相手に闘っても勝ち目はない。逃げられず、闘えない」とすれば、仮死状態になるしかない。
実際、妻たちの証言を聞いていると、モラハラを受け始めると、手足が冷たくなり、頭が働かなくなり、記憶力も悪くなるなどの諸症状が自覚される事例は少なくない。つらさ、悲しさなど、何も感じなくなるという「感情の平坦化」も、精神的攻撃を受けたことが原因である。
精神的攻撃(モラハラ)により、妻の心身は傷つき、感情が平坦化する。何年かはやり過ごせるものの、いずれ、心身の限界が来る。
「指導」がモラハラに
このような結末は、決してB氏も望んでいなかったはずだ。妻としての不足を指摘し、「指導」することが、妻の心身にこれほどまでの負担を生じているとは考えなかったに違いない。B氏は、それに気付く機会を逸してしまったために、Aさんは心身がボロボロになり、これ以上B氏の「妻」としてとどまることはできず、去って行った。
「指導」しているつもりが、実は精神的攻撃になっていることは非常に多い。「正当に指導している」との思いは、立場の優位性が背景にある。そして、相手が従属的な立場にあるとき、指導は、過酷で相手を傷つけるまで行われてしまうのだ。こうして、人間関係を歪め、時に破壊し、攻撃を受けた側の心身を深く傷つけ、ボロボロにしてしまう。
「指導」を含めた、優位者からの精神的攻撃(つまりモラハラ)が起きるのは、夫婦関係だけではない。親子、上司と部下など、上下関係による支配・従属が起きやすい人間関係にはすべて当てはまる。
相手を傷つけないよう思いやる
私は、「意見を言うな」と言っているわけではない。意見、感想を述べ、場合により指導をする場合、それを受ける側の心理を考え、精神的攻撃にならないよう、相手を傷つけないように留意するべきだと言っているのだ。これは全く窮屈なことではない。「相手の立場を思いやる」というごく普通のことを推奨しているに過ぎない。
日々、妻を苦しめ、そして、いつしか破局を迎えるよりも、お互いに気遣い、いたわり合う夫婦関係の方がはるかによいはずだ。多くの破綻した夫婦、離婚して初めて「幸せ」を取り戻す夫婦を多くみてきた離婚弁護士として、このことを、(従属的立場を強いられる女性にではなく)主に、(その当否はともかく、現実には、女性に対する優位性を得やすい立場の)男性に訴えたい。