昨日まで仲の良い家族で、朝も妻は笑顔で送り出してくれたのに、仕事から帰ってみると妻と子どもがいなくなっていた……。弁護士の大貫憲介さんは「『妻が突然出て行ったが、原因にまったく心当たりがない』という男性は多い。しかし、妻の側は夫のモラハラに長い間悩んでいたというケースが少なくない」という――。

※個人が特定されないよう、ストーリーには若干の変更が加えられています。

結婚指輪を外す女性の手元
写真=iStock.com/solidcolours
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ある日突然、妻子がいなくなった

40代前半の働き盛りの男性のAさんが、すっかり憔悴しょうすいしきって、法律相談に訪れた。顔色もよくない。寝不足のようだ。

「何かに巻き込まれましたか?」と水を向けると、「先日、仕事から帰ったら、妻と子どもたちがいなくなっていました」と語り始めた。

妻が家を出て行った理由は全くわからないと言う。昨日まで仲の良い家族で、夏には家族旅行、年末年始は家族で過ごし、普通の幸せな家庭だったそうだ。語ると自然に涙がこぼれ出て、Aさんはつらそうだった。

そして、「言い争いはありましたか」と聞くと、ここ半年は、言い争いもなかったという。ただし半年前、妻から、「あなたのしていることはモラハラです」と言われた。Aさんにはモラハラの心当たりは全くなかったため、「そんなことを突然言い出す方がモラハラなんだぞ」と妻を諭したという。

妻が離婚を考える理由の多くは「モラハラ」

私は今年、弁護士34年目である。離婚案件を数多く扱ってきた。私自身は、離婚案件では妻側に立つことが圧倒的に多い。そして日々、弁護士として、妻たちの不満を聞いてきた。

日本では、3組に1組が離婚する。離婚の動機のトップは、「性格の不一致」である。

フランスの精神科医が夫婦間の「モラルハラスメント」を発見し、1998年に著書を出してから、モラハラの概念が世界中に広がった。日本の離婚弁護士たちは以前から、日本の夫たちの横暴をよく知っていたが、その横暴さが言語化され、離婚裁判でモラハラに言及されるようになって既に約20年が経っている。

端的に言おう。妻たちの不満の多くは、夫の横暴さにある。妻たちからみた「性格の不一致」とは、夫の横暴と言い換えてもよいと思うほどだ。そこでここでは、暫定的に、夫の横暴をモラハラと定義しておく。そして、モラハラを行う男性を「モラ」(モラ夫の定義は別の機会に述べる)として、さまざまな事例を紹介しながら解説したい。

離婚弁護の経験上、モラ夫は、ごく普通の日本の男性であり、全く珍しい存在ではない。モラ夫の原因を精神疾患、人格障害等に求める説もあるが、これらの説は間違っている。モラ夫は、むしろ家庭の外でも中でも規範意識のある、通常の男性である。多くのモラ夫たちは、自分がモラ夫であることの自覚はなく、むしろ、妻こそが横暴で理不尽な主張をしていると考える。そして、自分がその被害者と認識していることも少なくない。

日本の夫のモラハラを糾弾していた福沢諭吉

妻たちは、夫がモラ夫だと言い、夫たちは妻こそがモラ妻と言う。

Aさんも妻に対して「(お前こそが)モラハラだぞ」と諭している。さて、どちらが正しいのだろうか。

実は、これとほぼ同様の論争は、1898年の明治民法制定前後にも起きている。明治民法は、当時の男女間(夫婦間)には、さまざまな問題が起きているとの認識を背景として、「妻は夫を主君として従うべきである」とした「教女子法」(1710年貝原益軒)の思想をベースに、イエ制度を定めた。

これに対し、福沢諭吉は、「現在の男女の間柄のはなはなだしき弊害を矯正しようとするならば、私は、むしろ、……夫の方を戒めたいと思います。……夫の無礼、不作法、粗野、暴言はどうかすると家庭の調和を破ることが多いので、これを慎むことは男子の第一の務めです」(福沢諭吉『女大学評論 新女大学』現代語訳)と説いた。福沢諭吉は既に、明治時代に日本の夫のモラハラを糾弾していたのだ。

家を出ていく素振りはまったくなかったのに

Aさんには当時、5歳と4歳の娘2人がいた。Aさんによると、家族はとても仲良しで、いつも一緒に行動していたという。

妻子が突然いなくなった日の朝も、妻は、いつもと同じようにキスをしてくれ、にこやかに「行ってらっしゃい。気を付けてね」と優しく声をかけてAさんを送り出してくれた。家を出て行く素振りは、まったくなかった。

Aさんは、結婚10年以上の夫婦として、他人がうらやむほど仲が良く、友人たちは妻の手料理を絶賛していたという。Aさんは子煩悩で、いつも残業はそこそこに切り上げて自宅に直帰し、娘たちと遊ぶのを楽しみにしていた。

そして今回、行方不明の妻に宛てて「何も言わずに出て行ったことは許すから、帰ってきてほしい。自分の悪いところは改める。愛している」という内容の手紙を書いて、妻の実家に郵送した。

離婚裁判でわかった妻の言い分

間もなく、離婚調停が始まった。Aさんは、反省するべきところは反省すると伝え、夫婦としての再同居を強く望んだ。しかし、妻の離婚意思は固く、調停は不成立となり、離婚裁判に進んだ。

妻はなぜ離婚を希望したのだろうか。離婚裁判での妻の証言を紹介しよう。

レシートをチェック、深夜に長時間の説教

妻の証言
子どもが大学生になってやっと決断できました
漫画=榎本まみ

・夫は、家事や育児を担当せず、ワンオペだった。

・ところが、家事や育児についてのささいな点についても、夫は妻を非難し、説教した。カキ鍋にカキを入れるのが早すぎる、部屋の隅に埃がある、子どもの箸の持ち方がおかしいなど、ささいなことでも、「なぜ、ちゃんとできないのか」「何度言えばわかるのか」と質問されることが日常だった。

・生活費は、スーパーなどのレシートの提出と交換で現金をもらった。夫は週末、その週のレシートを点検し、1点で1000円以上の商品については、なぜそれを買ったのか説明を求められ、浪費と非難された。

・週に2、3回は夜11時ごろから、時には早朝4時ごろまで、延々と説教された。特に、お金を使い過ぎていると叱責されることが多く、説教に疲れて謝罪しても許してもらえなかった。

・子どもの夜泣きで起こされると、「俺は明日仕事なんだよ」と怒鳴られた。

・第2子が生まれてから数年間悩み、意を決して半年ほど前に法律相談に行き、夫の言動がモラハラだと知った。

夫の反論

・夫婦でよく話合い、議論が長くなることもあったが、妻も言いたいことを言っており、決して一方的ではない。

・節約に努めたのは、子どもたちによりよい教育を受けさせるためであり、妻も理解しているはず。

・怒鳴ったことも暴力を振るったこともなく、虐待したかのように言われるのは心外。

・不満があれば、言ってくれれば、直すべきところは直したのに不満をはっきり言われたことはない。

レシートチェックや長時間の説教が決め手に

離婚弁護士として、モラハラが絡む裁判で一般的に離婚が認められるかどうかを言うのは難しい。それぞれのケースには、特有の事情があり、判決は、裁判官の人生観や家族観、それぞれの弁護士の弁護活動、小さい子どもの有無など家族構成、本人の証言の巧拙などにも大きく左右される。

Aさんの事例では、家計費のレシートチェックや長時間の説教が決め手となって、この「婚姻は継続し難い」と認められ、離婚判決となった。

「普通の幸せな家庭の話」ではない

Aさんの件は、決して「普通の幸せな家庭に起きたケース」とはいえず、多くの夫婦間で起きている問題を象徴しているように思う。

Aさんは、「昨日まで仲が良かった」「妻からの不満は聞いたことがない」と証言している。ところが妻は、「数年間悩み、半年前に離婚相談に行った」のである。決して、突発的な思いつきや誰かの入れ知恵で離婚に踏み切ったのではない。

つまり、Aさんが目の前にいる妻をよく見ていなかったこと、そして、妻の心を理解していなかったことに、最も根本的な問題点がある。

Aさんは、結婚して夫婦になった以上、夫婦はそれぞれの義務・役割を果たすべきであり、それが当然と理解していたのだろう。他方、妻は、いたわり合い、苦労を分かち合う平等なパートナーを望んでいた。両者の間には、根本的な価値観の違いがある。

妻を「指導」しようとしていた夫

また、Aさんは、妻に歩み寄らず、妻を「指導」しようとしていた。そこに、上下関係の意識がなかったと言い切れるだろうか。

夫を主君(主人)とする社会的文化的規範が通用する時代は、既に過去のものとなっているのである。

男女が理解し合うのは容易ではないが、不可能ではない。多くの女性は、平等なパートナーを求めている。男性が「自分は妻を平等なパートナーと見ているだろうか」と自らを見直すことにより、日本の家庭がより幸せになることは間違いない。