父の死をきっかけに考えた食の大切さ
“後悔のない人生を送りたい”――。多くの人はそう思うものだが、それがかなわなかったことで苦しんでいる人もいる。お漬物と低アルコール飲料をECで展開するSEAM(シーム)のCEOを務める石根友理恵さん(35)も、その一人だ。彼女の後悔は、自分の父の死に対してだ。
石根さんの父は、長年アルコール依存気味で、それがひとつの理由となり長らく疎遠の関係になってしまった。母から父の危篤の知らせを受けて病院に駆けつけた時にはすでに話せない状態に。そのまま永遠の別れになってしまった。
「私が小さい時から父はアルコールに頼りがちな生活を送り、気分の波のアップダウンがひどく、ご機嫌の時もあれば、家族に暴言を吐くこともありました。そんな生活を長年続けたせいか、次第に心身が弱り死に至ってしまったのです。疎遠になっていたといっても、紛れもない私の父です。殴り合いをしてもいいから、生きている間に本音をぶつけ合い、話をしてみたかったと後悔しました」
しかし、その悲しい経験が、起業家としての石根さんの大きな転機となった。
“ゼロイチ”の熱狂こそが、自分の命を燃やせるもの
ここで、石根さんが起業に至るまでの経緯を振り返ってみたい。
2011年、神戸大学を卒業後、サイバーエージェント(以下、サイバー)に入社。1年半、SNSを使ったウェブマーケティングに従事した後、ITベンチャーのワンオブゼムに転職した。安定した有名企業の社員の身分を捨て、海のものとも山のものともわからないベンチャー起業に転職した理由は何か。
「サイバーでは、私みたいな新卒にも裁量権を持たせて仕事をさせてくれました。社員全員が事業成長に向かっていて、かつ社内飲みやイベントで社員のモチベーションアップやコミュニケーションもよくとれていて、本当に居心地のいい大好きな会社でした。でも当時の私はまったく結果を出せぬままのポンコツだったにもかかわらず、生意気にも、もっと自分の意思で決められるところで働きたいと思っていたのです。そこで、サイバーの先輩が創業した、ワンオブゼムに転職しました」
創業して間もない会社なので、給料などの条件面は下がった。マーケティング部署もない状態。石根さんは部署の立ち上げから、PR・広報も任された。
「会社の一部門の立ち上げから形にするまで関わり、ものすごく大変でしたが本当に楽しかった。改めて自分は“ゼロイチ”、何もない状態から新しいモノやサービスをつくるのが好きな人間だと知ったのです」
“ゼロイチ”の熱狂のとりことなった石根さん。会社でも仕事を教えてもらえるわけではないので、何かわからないことがあれば、知っていそうな人に聞きにいく、という“セルフOJT”を繰り返して、さまざまなビジネススキルを身に付けていった。「会社をつくった今でもそうなのですが……」と笑う。
そんな毎日を送っている時に、父が急死した。
妊娠9カ月で会社を立ち上げ、胎児が発育不全に
「生まれて初めて、近しい人間の死を経験して、ものすごく考えたんです。自分の人生について、自分の死についても。私が死んだ後、世の中に残せるものはあるかと考えたら、私の場合、事業、組織(仲間)、家族だと思ったのです。何をやるかは明確ではなかったのですが、自分の死後にも残る事業をゼロから立ち上げたいと決意しました」
その頃の石根さんのメモが残っている。
「失敗してもいい、どれだけ貧乏してもいい。後悔だけはしないで生きていきたい」と書かれているそうだ。
ワンオブゼムを退職してフリーランスを経た後、妊娠9カ月の身重の状態で、自身の会社、SEAMを立ち上げた。
「私、ワーカホリックで、仕事を抑える限度を知らず……。それに、キャリアも女性としてのライフステージも諦めたくなかった。そんな状況で会社を立ち上げて、毎週あちこちへ出張にも行っていました、まったくもって“アホ”としか思えません(苦笑)」
関西出身の石根さん曰く“アホ”な行動は数々ある。
しかし、妊娠後期の“アホ”は笑い事では済まされない。働きすぎから食生活が不規則になった。お腹の胎児に栄養が届かず発育不全になってしまったのだ。
「自分のせいで子どもが小さく生まれてしまうかも知れないと知ったときには、人生で二度目の後悔の嵐でした。ドクターに、『とにかくたくさん食べてください』と言われました。そんなに量を食べられる体質でもなく、なんとか効率よく栄養を摂れないかと思っていたときに勧められたのがお漬物だったんです。イマドキのお漬物は塩分控えめで、乳酸菌も多いので、栄養価が高い。でも添加物が多いのが難点です。そこで無添加のお漬物がないのなら、私がつくればいいということで『和もん』というお漬物の開発を考えました」
そこには、前述のとおり、父の心身が弱り、栄養失調気味が一要因で亡くなってしまったという背景もある。
「人間はちゃんと食べるものを食べて、栄養をとっていれば、生きていける。ただし、今は食べ物があふれている。こだわりや、精神的満足度、幸福度を満たす食があることが大事。そこで『ココロとカラダを満たす食体験』をSEAMのコンセプトとしたのです」
低アルコール飲料を大きく仕掛けたい
また、和もんに続き、低アルコール飲料事業もプランニングした。父の命を奪ってしまった一因でもあるアルコールだが「正しく飲めば、緊張した心身をリラックスさせますし、人と人とのコミュニケーションをスムーズにします。お酒は本来人間に幸せをもたらすもので、何より私自身、お酒が大好き。だからこそ、ノンアルコールではなく、アルコール商品をつくりたかった」
しかしお酒の事業はお漬物に比べると、各種免許の取得が必要になるなどハードルが高い。まずは無添加漬物をリリースした。しかし、お漬物では自分と家族が食べていくだけのお金を稼ぐことはできるが、ブランド規模がそれほどスケールしない。自分の人生を賭けるのならば、より大きな市場で、よりたくさんの人に届けたい。そこで低アルコール飲料の事業を大きく仕掛けていくと決意した。
その際、ベンチャーキャピタル(以下、VC)から、3800万円の資金調達ができたのが幸運だった。
この時、それまでやっていたウェブマーケティングの代理事業はやめて、リスクの大きい自社事業だけに注力することに。このように退路を断ったのが、石根さんらしい。彼女は、自分の気持ちに常に正直であり、あえて“ケモノ道”を選んでしまう性分だ。そしてケモノ道の先には、“ゼロイチ”の熱狂の渦が待っているのを知っている。
「収入は安定的にあるけれど、一人でウェブマーケをやっていた時のほうが精神的にキツかったんです。何より仲間がいなくて孤独だし、7〜8割ぐらいの力でしか仕事をやっていない。だったら、100%の力を注げるビジネスをしたいと思っていた時に、応援してくれるVCの方、仲間たちに巡り会えて幸せでした。私は決して器用な人間ではないので、自社事業だけに集中しようと思ったのです」
資金調達はできたものの、お金に余裕があるわけではない。最低限のメイクはするが、新しい化粧品や服は買わない。30代前半にして一般的な“女子の楽しみ”は捨てた。
こうしてアルコール度数3%(一部の商品は4〜5%)のクラフトカクテル「koyoi(コヨイ)」が生まれた。ネーミングは「今宵」と「小酔」をかけている。
「お姉ちゃん、ECで酒は売れないよ」
さて、コヨイを製造してくれる酒蔵をどうやって探したかというと。人づてではなく、なんとタウンページで探し、「うちのお酒を造ってくれませんか?」とアナログな方法でアプローチした。200軒近く電話をかけたうち、承諾してくれたのはわずか2軒。西日本にある酒蔵が、石根さんの熱意に打たれ、かつ「低アルコール飲料はおもしろい」と思って製造を引き受けてくれたのだそう。ある酒造の主は70代だったが、もともとチャレンジ精神がありおもしろがってくれた。しかし、これは珍しいパターンだ。
「酒蔵業界ってとにかく体質が古いんです。『そんなもの造れない』と何度も言われました。オンラインでtoCの小売りをやりますというと『お姉ちゃん、ECで酒は売れないよ』って何度もダメ出しをされました。でも、課題は裏を返せば、ポテンシャルでもあるので、ECで売れるようなお酒を造ればいい。そのためにはどんな戦略が必要かを考え抜いた。それがシーンペアリングだ。
「キャンプ場や野球場で飲んだあの時の味が忘れられない、何かを達成した時に同僚と乾杯したあの味は最高だったなど、お酒を飲んで楽しかった思い出はシーンにひも付いていると思うのです。そこでアウトドア、一人で家でまったりする、気の合う仲間とのパーティーなどのシーン別で飲むお酒を考案。例えば、『TAKIBI』というアウトドアをイメージしたものは、ウイスキーにシナモンや紅茶を入れてホットで飲むカクテル、『ハーバルデトックス』という一人で飲むことを想定した、ラベンダーをベースに心身をリラックスさせるカクテルなど16種類を展開しています」
さらには「パーソナライズ診断」を設け、自由時間はどんなことをしたいか、どんな味わいが好きか、苦手な食材は何かなどのチャート診断を行って、今の自分の気分や嗜好にぴったりなコヨイも提案してくれる。保存料、人工甘味料、着色料は不使用、多種多様なフルーツやハーブを新鮮なままでボトリングしている。安心・安全なアルコールカルチャーを世に広めたいという強い思いがある。
最初は3種類ぐらいの開発にとどめておくのが定石だが、16種類もつくったのは、やはり“アホ”だと石根さんは当時の自分を振り返る。
情緒面やクリエーティブ面で訴える戦略を打ち出す
スタイリッシュでカラフルなボトルに入ったクラフトカクテルは、一本1650円(税込み:360mL/375mL)で3杯は飲める。女性や、お酒は弱いけど飲むのは好き、という人に響きそうだ。
「『おいしそう!』とか『かわいい!』という情緒面やクリエーティブ面で訴えてまずは手に取ってもらい、その後、味はもちろんナチュラル製法や、アルコール3%という安心・安全面を訴求するという戦略で売り出しました」
もちろん、マーケットのニーズも読んでいる。
現在若者の強い度数のアルコール離れがあり、お酒は好きだけれど弱いというマイルドなお酒好きが一定数いるからだ。しかも「クラフトカクテルで低アルコール」というジャンルは競合が少ない。ポジショニングも取れると踏んだ。
会社の銀行通帳の残高を見て、ため息をつく日々
しかし人生は甘くない。先行投資型のモデル事業なので、どんどんキャッシュは減っていく。会社の通帳の残高を見て、「ウッ……」と絶句することもあったそうだ。資金調達に走ったが、そう簡単に事は進まない。資金が尽きそうになり、いよいよ会社が危ないとなった時に明るいニュースがSEAMを包んだ。2022年6月には、さらに6350万円もの第三者割り当て増資が可能になった。
「毎日お金の心配をしている身としては、本当にホッとしました。それまで『倒産するかも』と心配で眠れなくなることもあったので……。でも、非科学的なんですけど、『大丈夫、JUST DO ITだ』と常に思っていたのが、功を奏したのかも(笑)。こんなふうに弱気になることもあるけれど、会社のメンバーが『石根さんは前だけを見てください。実務は僕たちがやりますから』といって励ましてくれて、勇気をもらっています」
励ましてくれるのは、スタッフだけではない。プライベートでは5歳になった娘が「ママのお酒をたくさん売って、マンションを買ってね!」「ママの会社を継ぐよ!」などと、かわいいエールをくれる。夜や週末は娘との時間を確保するために、家事は手を抜き、仕事はなるべくしない。1日24時間しかないのが悔しいと思うほど多忙を極めるが、仕事への情熱はますます燃え盛るばかり。
「グローバルでは、確実に低アルコールの波が来ています。円安の現在では厳しい状況ですが、将来的には海外展開、そしてクラフトカクテル以外のアルコールの展開も考えています」とどこまでもポジティブだ。
父の墓前にコヨイを供えて、誓いを新たに
亡くなった父の墓前には「今、こういうのをつくっているんだよ」と、コヨイを供えた。まだ成功というレベルには遠いが、リリースから1年経ち、発売当時と比較して売り上げは300%伸びた。
「どんなに苦しくてもやめないこと。やり続けるには心が折れないこと」をポリシーに、メジャーリーガーの大谷翔平選手もやっているという曼荼羅チャート(目標達成シート)を作った。「自分のやりたいこと、やるべきこと」を毎朝つぶやくのが日課でもある。
そして「父が生きていたときにコヨイがあれば少し結果が変わっていたかもしれない。たくさんの人に心身に無理なく、お酒を楽しんでもらいたい」と、改めて思いを強くするのだった。