今年9月にエリザベス女王が死去し、73歳のチャールズ新国王が跡を継いだ。長くイギリスに住むジャーナリストの冨久岡ナヲさんは「インフレやエネルギー危機で苦しい生活が続く中、寒さや飢えに無縁の『王室』に反発を覚える人もいるのではと予想したが、国民の悼み方を見ていると『君主制に疑問を持っていても、女王個人には親しみを感じていた』という人が多かったようだ」という――。
花束に添えられた女王の写真
撮影=冨久岡ナヲ
花束に添えられた女王の写真

エリザベス女王の突然の死

とりわけ英王室ファンでもなんでもなかったのだが、エリザベス女王の訃報が臨時ニュースとして流れた時は筆者も少なからずショックを受けた。たった2日前にはリズ・トラス新首相(10月20日に辞任表明)を笑顔でスコットランドのバルモラル城に迎え、つえを持ちながらもしゃんと立っていたのに。

確かに報道写真で見ると女王の手の甲は真っ青になっていて、深刻なチアノーゼ症状ではと騒がれていた。しかし、まさか48時間後に亡くなってしまうとは誰も想像していなかった。直系の親族のうち臨終に立ち会えたのは、宮殿に滞在していた娘のアン王女と、西スコットランドにある館からかろうじて間に合った長男チャールズ新国王のみ。初孫であるウィリアムがロンドンからアバディーン空港に到着した時はすでに遅かったのだが、空港から自ら四駆車を運転して伯父たちを乗せ、祖母の元に馳せ参じた。

妻のメーガンは連れてくるなと父から言われたヘンリー(ハリー)は単身、ロンドン郊外の一般空港から飛んできた。アバディーン空港到着は夕方6時半を回り、すでに女王の死後3時間がすぎていたという。

それほど女王の死は急な出来事だった。テレビ番組は相次いでキャンセルとなり、何度も同じ台本を読み上げるだけの訃報を繰り返している。普段は華やかな服装で登場するニュースキャスターたちが局の国営民営を問わず一斉に喪服をまとっている様子は、皆が同じことをするのを嫌う英国的日常から見ると異様な光景だった。国営放送として中立なはずなのに、君主制廃止を支持するスタッフが多いとされるBBCも、さすがに粛々とした態度で放送を行っている。

折しも庶民の生活は、コロナ禍によって受けた社会的ダメージ、インフレが招いた物価高、ウクライナ戦争で悪化したエネルギー危機などが重なり日に日に苦しくなっていくばかり。今冬は「ヒート・オア・イート」つまり、暖房か食事のどちらかしか賄えないという生活困窮者が大量に発生すると予測されている。このような状況下ではとうてい国民がそろって嘆き悲しむようなムードにはならず、むしろ寒さにも飢えにもまったく無縁な「王室」という存在に反発を覚える人のほうが多いのでは? という自分の予想はものの見事に外れた。

グリーンパークからバッキンガム宮殿に向かう人たち
撮影=冨久岡ナヲ
グリーンパークからバッキンガム宮殿に向かう人たち

全国からの弔問者で埋め尽くされたロンドン

たまたま仕事の都合でバッキンガム宮殿裏手にある地下鉄駅まで行くことになったのは、スコットランドからバッキンガム宮殿へと運ばれた女王の遺体が、ウェストミンスター・ホールに移送される日だった。葬儀まではあと数日あるのに、目的地の駅は警備のため閉鎖されて降りることができず、次の駅から地上に出てびっくり。人また人の波なのだ。行きたい所へなかなかたどり着けない。多数の団体バスが道路脇をふさぎ、全国津々浦々から来ていることがわかる。女王の戴冠70周年を祝うプラチナ・ジュビリー祝典が開かれたほんの数カ月前の人出には及ばないものの、これほどの人がいったい何のために集まってきたのだろう?

行列は、献花に来たか、ひつぎが運ばれる様子を一目見ようとする人たちだった。道路に面した歩道ぎわで場所取りをしている白人女性に聞くと「昨日、北イングランドから家族4人で出てきた。このままロンドンに滞在して国葬が終わるまで一部始終を見るつもり。今朝、公園で献花してきたわ。入り口はあそこよ!」と教えてくれた。

このあと葬儀まで4日間行われたひつぎの公開安置中は、25万人以上が10キロ以上に及ぶ列を作り徹夜で並んだ。彼女ももちろん参加したのだろう。国葬の日である月曜日が祭日と決められたので、このように仕事の休みを取ってまで上京してきた人は相当な数だったらしい。ロンドンの宿泊施設はすべて予約で埋まり、路上でキャンプする人も絶えなかった。鉄道のターミナル駅では、終電が出たあとに残った特急列車の車両を「宿泊用に」と無料開放した鉄道会社もあった。

若者の王室支持率は30%なのに

献花用に定められた公園内のスペースのひとつを訪れると、花束やカード、ぬいぐるみ、女王に宛てた手紙などがあとからあとから置かれていく。毎晩、その日1日にささげられた花や供物をすべて片付けるそうだが、翌日はまた早朝からいっぱいになる。置かれたカードには「70年間、私たちのためにありがとう」「変わらぬ笑顔が心のよりどころでした」などと書いてある。子どもの描いた女王と愛犬の絵の隣には、若い頃の女王に謁見えっけんし談笑している男性の写真が置いてあり「お会いできて光栄でした」と誇らしげな添え書きが読めた。

どちらかといえば、高齢な王室ファンや英国旗を掲げた白人の国粋主義者ばかりが献花に来るのでは、と想像していたことも間違っていた。ありとあらゆる肌の色、年齢、性別の人が花束を抱えて切れ目なくやって来る。若い人や家族連れが目立ち、統計機関YouGovによる18~24歳の王室支持率はたった30%、という調査結果が信じがたい。花束を置いて「さようなら」と投げキスをする人、十字を切る人、そっとひとりで涙ぐむ人、仲間同士で肩を抱き合って祈る人たち。周辺に君主制廃止を叫ぶ団体が見当たらなかったのは、警備が厳しかったからか、まるで肉親の哀悼さながらの現場の雰囲気にけおされて場所を変えたのかはわからなかった。

ハイドパーク内に設けられた献花スペース
撮影=冨久岡ナヲ
ハイドパーク内に設けられた献花スペース

英国きっての大地主、王室

国葬の中止を求める声は一部のメディアに上がっていたが、これも大きな声とは感じられなかった。国葬の費用は「国(State)が賄う」とだけ発表されている。王室の金庫からも拠出されてはいるものの内訳は明らかにされていない。日本では女王の葬儀費用は11億円、16億円といった数字が報道されていたが、すべて推定値だ。

驚くまでもないが、王室は英国きっての大地主。上がる利益のほとんどは国庫に収められる。その中から2割程度までが助成金として王族に還元されるという自給自足的な仕組みで、居所の一般公開や投資など他の収入源もある。このため、「王族は国民が払う血税だけで養われている」という見方はあまりない。

献花スペースに置かれたたくさんのメッセージを読んでいると、エリザベス女王が国民の心に占めてきた存在感が少しずつ形を表してきた。父ジョージ6世王の時代を知る人はすでに75歳以上で、総人口の8.6%程度しかいない。ほとんどの英国民にとって「英国の象徴」といえば、20代の若さで2人の子どもを抱えて戴冠し、国民の目の前で妻、母、君主として成長し淡々と公務を続けたひとりの女性しかいなかったのだ。

お酒、車の運転、ユーモアもたっぷり

その女性エリザベスは、戦後から20世紀が終わるまでの平和な50年に君臨し、激動の21世紀になっても動じることなく「いつもそこにいた」。4人の子どもたちが代わる代わる引き起こすスキャンダルには頭を悩ませられたが、自身は一度も醜聞のネタになったためしがない。何があっても言い訳をしないというモットーを父王から受け継いでいた。

かといって堅物ではなく、お酒もたしなみ、乗馬や車の運転も得意なら会話にユーモアを盛り込むのもお手のもの、という人間味を感じさせる面も国民にはよく知られていた。

日本の皇室とほんとうに違うと感じるのはこの点だ。

英国の女王または王は、君主ではあるが国を直接治めることはせず、権限は議会が持つ。日本の天皇が「日本国及び日本国民統合の象徴」という存在であるのと、イメージ的に重なる部分がある。女王の祖父の代までは皇族と同じく「名字がなかった」という共通点もあったのだが、現在の類似点といえばこれくらいのものではないだろうか。2つの国を比べると、国民との距離感の差が明らかだ。

開かれた王室、開かれた皇室

40年ほど前に英オックスフォード大学留学を終えて帰国された際、当時皇太子だった天皇陛下は「一番必要なことは、国民と共にある皇室、国民の中に入っていく皇室であると考えます」と述べられた。しかし今でも、日本の天皇皇后両陛下がエリザベス女王とフィリップ殿下のように一般客を装いお忍びで芝居を見に行ったり、居所近くのパン屋の常連客だったりという状況は想像できないし、これからも起こり得ないだろう。

どちらも「開かれた王室・皇室」を目指しているようだが、政府や国民からの期待は異なっており、日本の皇族には、公務外でも常に規範的な行動を取ることが求められていると感じる。英国はそこが緩いだけでなく、女王のユーモアは秀でたイギリス人気質の表れと評価され尊敬を受ける。

近年の大型行事用に制作された、女王主演の特別動画はまさにその好例となった。2012年ロンドンオリンピックでは、ジェームズ・ボンドと共にヘリコプターから飛び降り、今年のプラチナ・ジュビリーでは熊のパディントンと宮殿でお茶をし、ハンドバッグから「私の非常食よ」と熊も大好物のマーマレードサンドイッチを取り出して見せた。ちなみに出演したことは子どもにも孫にも一切教えず、当日のサプライズにするため側近たちは皆口止めされていたという。

いろいろな意味で、女王は70年もの長きにわたって「継続」と「安定」を象徴する母、あるいは祖母的存在だったのではないだろうか。思えばコロナ禍で最初の完全ロックダウンが宣言された時、パニックに陥る国民の気持ちを鎮めたのは政府声明ではなく、女王の「この困難をまた、皆で一緒に乗り越えて再びお会いしましょう」という、何度も国家レベルの危機を経験した人だけが語ることのできるスピーチだった。

「君主制には疑問があっても、女王個人に悪い感情は持っていなかった人が多かったんだなあ」と行列に参加する人々と話して感じた。どうも自分自身もその一人だったようだ。献花こそしなかったが、積まれた花を前に思わず女王の冥福を祈った。

今年6月、プラチナ・ジュビリーを祝うトラファルガー広場の群衆
撮影=冨久岡ナヲ
今年6月、プラチナ・ジュビリーを祝うトラファルガー広場の群衆

「老いた新国王」チャールズ3世の王室

女王逝去の瞬間から新国王となったチャールズだが、葬儀の間に何度かほとんど泣き出しそうな表情をした。カミラ王妃が心配そうな視線を向けている。ほんとうに泣きたかったのかどうかはわからないが、1年半前に先立った配偶者フィリップ殿下の葬式で、女王が終始マスクをかけて無表情を通し、ただ一度だけ一滴の涙が頬を伝うのを見せたのとは対照的だった。

王はすでに70代に入っているため、もしかしたら王位を継がずに息子ウィリアムに譲るのではという臆測もあったのだが、結局即位した。この老いた新国王が女王という大きな存在の代わりを務められるのか。泣きそうな顔に不安な気持ちを抱いた人は多かった。

「エコ・プリンス」と呼ばれた皇太子時代

チャールズは、皇太子時代に「エコ・プリンス」とあだ名を付けられるほど環境問題や代替医療などに関心が深く、世界経済フォーラム(WEF)が掲げる「グレート・リセット」の熱心な支持者として知られている。コッツウォルズに持つ農場にオーガニック農法を導入したのは1985年、その後にオーガニック食品の「ダッチー・オリジナルズ」を立ち上げトップブランドに育てるなど、エコ事業にも熱心だ。昨年秋にCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)がスコットランドで開催された時は、ウィリアムと共に出席して演説を行い、同じく環境保全活動に熱心な俳優のレオナルド・ディカプリオが現地へ突然現れて面会するなど、話題に事欠かない。

一生を通じて個人的な意見をほとんど表明したことがなかったエリザベス女王に比べ、こうして何かにつけて声高な発言をするチャールズに対する国民の人気は二分していた。故ダイアナ妃にはギスギスした結婚生活を暴露され、元不倫相手であるカミラ王妃と英国教会のおきてを曲げて再婚してしまったことも悪評につながり、王としての資質がないと考える人も少なからずいた。

しかし即位後初のスピーチで、これからは連合王国および56カ国からなる英国連邦の君主としての義務をわきまえ、今までのようにいろいろな活動に携わることはなくなるとはっきり宣言した。そして、まだ女王の葬儀も終わらないうちから北アイルランド、スコットランド、ウェールズを駆け足で公式訪問し、街頭でお悔やみの言葉をかける国民に感謝し話しかけて回ったりしたことでかなり好感度を上げている。どうやら、ファストフードは体に悪いからマクドナルドを国から追い出すべきだ、と言い放ち「マックに足を踏み入れたこともないくせに!」と大ひんしゅくを買った皇太子時代とは決別したもようだ。

ハイドパーク内の公園に特設されたTVスクリーン前にも、女王の死を悼む大勢の人が
撮影=冨久岡ナヲ
ハイドパーク内の公園に特設されたテレビスクリーン前にも、女王の死を悼む大勢の人が

「ロイヤルファミリー」も戴冠式もスリム化

しかし、「公平と中立」という態度は女王に倣っても、チャールズ王がいままでとは異なる君主制を目指すことは明らかだ。まず大所帯である「ロイヤルファミリー」のスリム化。今後、王族として公務を行うのは、王と王妃のほか、アン王女とエドワード王子夫妻(未成年買春スキャンダルで王族としての称号を剝奪されたもう一人の弟アンドルー公は除く)ウィリアム皇太子とキャサリン皇太子妃の計7名だけになるとみられている。公式行事のたびにバッキンガム宮殿のバルコニーにわらわらとたくさんの王族が登場して手を振るシーンは、もうこれから見られないかもしれない。しかし、これで警備費から助成金まで含め王室予算は相当に縮小されるはずだ。

そして次に注目されるのが戴冠式。70年前に女王の戴冠が行われた日と同じ6月2日になるのではという見方もあったが、2023年5月6日に行われると発表された。サッカーのFA杯最終戦と、来年はリバプールが開催地となる有名なポップ音楽コンテスト「ユーロビジョン」の日程と重なることを避けての選択だとされる。こちらも新王は思い切り予算を減らしたいという意向を示している。世界中からたくさんの要人が専用ジェット機で集まるのは低炭素化の時代にそぐわないし、華美な祝典に巨額の国費を注ぎ込むのは、インフレで苦しむ国民の気持ちに寄り添うことにならないという考えからのようだ。

「王室は女王で終わった」の声も

また、基本的に戴冠式は王が「英国国教会(キリスト教)信仰の守護者(ディフェンダー)となる」ことを誓う宗教的儀式なのだが、マルチカルチャーな現代の英国を反映して、すべての宗教を含めダイバーシティーを祝うイベントにすることも検討しているらしい。

これには賛否両論が噴き出すことだろう。伝統的な英国文化がどんどん薄まり変化していることを嘆く王室ファンの中には「『意識高い系』君主なんて必要ない、王室はエリザベス女王で終わったのだ」と言う人たちがいる。チャールズ王の後継者であるウィリアム皇太子は、父よりもさらに意識高い系だ。

それとは別に、王室の公式行事は世界中の観光客を英国に呼び込む貴重な観光資源であり、その経済効果を軽視してはならないという見方もある。近衛兵の独特なユニフォームから総額350億ポンド(10月23日現在で5.8兆円)に当たるという数々の王冠や宝物類、そして王自身もすべて「ショーの目玉」。戴冠式は、公式行事最大の出し物として伝統を踏み盛大に執り行われるべきだと。そう言われれば、女王の葬儀は普段は触れることの少ない古い英国を見る機会として、確かにとても興味深いものだった。

「何があっても女王がいるからとりあえず大丈夫」という70年間も続いた安心感は消えてしまった。新しい王が女王と同じくらい長生きしても、君臨できる期間は20年余り。そしてその頃ウィリアム皇太子は60代になっている。やはりどう見てもエリザベス女王は特殊な存在だったのだ。これから英国は「王室は誰のもの? 誰のための、何のためのもの?」という問いを続けながら新しい時代を迎えることになりそうだ。